現役引退を表明したイチローが国民栄誉賞の打診を断ったとのこと。2001年、2004年に続いて3度目。何とも痛快なニュースです。
イチロー選手が引退した時、3度目の正直を狙う安倍内閣がイチローに国民栄誉賞を打診すると確信し、では、受けるか受けないか?で何人かの友人と議論をしたことがあります。
内閣の人気取りとしか思えない賞など蹴飛ばして欲しい。しかし、過去に断った際には「野球生活が終わった時に、もし頂けるのであれば大変ありがたい」とコメントしていたので、今回は受けざるを得ないのではないかとも思いました。
今回の辞退の弁は「人生の幕を下ろした時に頂けるように励みます」とのことです。
カッコ良過ぎる。
野球によって達成した多くの前人未到の記録や感動的なシーンの数々に比べれば、相手の都合で与えられる賞などにどれほどの価値があるというのか?
過去に受賞した素晴らしい方もいますので、それらの方々に敬意を払いつつ、でも、彼自身の価値観や美学とともに、この賞の本質を鮮やかに見せてくれた気がします。
私自身は1993年、内戦下のカンボジアで選挙を実施するための貢献に対して外務大臣表彰を受けたことがあります。危険の中での任務に報いたいとの多くの方々の尽力に感謝する一方、政府による表彰に意味があるとは思わなかったので辞退しようとも考えました。賞を授与する側の思考についての好奇心が抑えられず受けることにしたところ、代表で挨拶することになってしまい、とても困惑した記憶があります。
イチロー選手に話を戻します。
小さなことを積み上げること、毎日少しずつ限界を超える努力をすることがとてつもない場所に行く唯一の方法とのイチロー選手の言葉は、私にとっても支えになる言葉でした。彼は努力を続ける天才でもあったとも実感します。
最低50歳まで現役と言い続けていたことを彼なら有言実行してくれると思っていましたが、時の流れは残酷ですね。鍛え上げた身体に衰えはなくても、ボールに対する目と身体の反応が一致しなくなったのではないかと思います。
権力には迎合しない革命児、改革者。彼だけの世界観をプレーで、言動で表現できる選手であったことも含め、私のヒーローです。今回、さらにその思いが強くなりました。