23日、日曜日は小学校のクラス会だった。
4年生担任の恩師、5~6年担任の恩師のお2人も参加して
くださった。
80歳になる女の先生と、81歳の男の先生です。
お2人ともお元気でつやつやとしたお顔で参加です(^_-)-☆
2年に一度…という約束で開催しています。
でもいつもの参加メンバーにも脳梗塞で入院中の人や、孫が難病で
目を離せない…との人もあり、参加出来ることの幸せをしみじみ感じました。
岸和田城の見える「五風荘」で18人参加でした。
「がんこ」になって4度目ですが、その度に違う趣のお部屋に案内される…
それが楽しみです。
今回の部屋のシャンデリア…ガラスの色がシックでした(^_-)-☆
庭から見た岸和田城。懐かしいお城です!
庭で写真を撮ったりして3時過ぎ開散。思い思いに歩いて岸和田駅まで…
駅前で9人が2次会のお茶をしてお喋り(^^♪
川越に引っ越された女の先生と、東京から来てくれた旧友の2人を明くる日の
堺の街歩きに案内をする約束をしてあったので、そのまま堺駅前のホテルへ…
でもその前に堺市役所21階展望ロビーへ行き、堺の街を
上から眺めて見ようとエレベーターで一気に21階まで!
仁徳陵の大きさが上から見ると良く分かる!日暮れが早いので、
期待したほどは展望が利かなかったが、夜景もまずまず…
ホテルで夜中までお喋り…よくもま~こんなに話すことがあったものだと(^^♪
朝はゆっくり、ホテルで朝食バイキング。ここでも飽きずにお喋り!
10時頃、大小路からチンチン電車に乗り南宗寺へ。
ボランティアの丁寧な説明がありありがたかった(^_-)-☆
茶道は堺の茶人、 武野紹鷗、 千利休などにより完成されたが、
その「茶禅一味」の精神は南宗寺歴代の和尚に参禅することにより
確立されたという。
総門
仏殿天井には狩野信政筆の「八法睨みの龍」があり国指定重要文化財。
本堂は新しく造営中
境内は瓦敷きの道がしっくりと続く。土塀にも瓦が塗り込んである。
方丈から見た枯山水の庭
大坂夏の陣で徳川家康が、激戦に敗れて網代籠に乗って堺に逃げる途中、
槍に刺されて死んだが戦時中なのですべて秘密にし南宗寺開山堂下に隠した
…という噂のような本当のような話がある。
南宗寺で最も古い建物「坐雲亭」
内部に徳川秀忠、家光両将軍のお成りを記した板額が掛かる。
1623年7月と8月に2代と3代の両将軍が相次いで南宗寺を訪れている…
家康の眠る当寺に引き継ぎの報告かも…という謎も…
歴史の面白さも充分に味わえる寺だ。
千利休一門の墓
武野紹鷗の墓
信長より20年前に、堺を拠点とし栄えた三好長慶が建てたという南宗寺なので
三好一族の供養塔もある
庭はよく手入れされており、サザンカの花がいま落ちた風情に散り敷く
廊下にさりげなく置かれた消火用のポンプ?
利休好みの手水鉢、武野紹鷗遺愛の六地蔵灯篭、水琴屈など
茶人が垂涎するようなものがいっぱいだ(*^_^*)
たっぷり見学をして堺名物くるみ餅の「かん袋」へ…
昼食時なので運良くすっと座る場所もあり注文もすぐに出来た。
込み合う時間だとずいぶん待つこともあるが~
名物のくるみ餅の上にかき氷をかけて…暑い日だったので美味しかった!
注文をすると大きな板の注文票(?)がくるのも歴史を感じさせる。
チンチン電車通りを歩いて与謝野晶子の生家跡の歌碑を見る
「海恋し潮の遠鳴り数えつつ少女となりし父母の家」
通りを一筋入って千利休屋敷跡と産湯をしたという井戸…
少し歩き疲れたらしい先生を気遣い、軽く昼食に「美々卯」へ行く。
そこでもひとしきり喋ってそろそろ帰京をするべき時間なので駅へ向かう。
駅への途中、孫たちがいつも遊ぶ公園のベンチに座ってミカンを食べる。
幼稚園帰りの子供たちやママたちが寄って遊んでいる。
しばらく会わない孫たちのことを思う。まだ学校にいる時間だ!
2時半ごろ駅へ到着。帰京する2人と別れて帰宅。
四国遍路一泊2日、翌日のクラス会から一泊2日…よく遊んだな~と振り返る。
4年生担任の恩師、5~6年担任の恩師のお2人も参加して
くださった。
80歳になる女の先生と、81歳の男の先生です。
お2人ともお元気でつやつやとしたお顔で参加です(^_-)-☆
2年に一度…という約束で開催しています。
でもいつもの参加メンバーにも脳梗塞で入院中の人や、孫が難病で
目を離せない…との人もあり、参加出来ることの幸せをしみじみ感じました。
岸和田城の見える「五風荘」で18人参加でした。
「がんこ」になって4度目ですが、その度に違う趣のお部屋に案内される…
それが楽しみです。
今回の部屋のシャンデリア…ガラスの色がシックでした(^_-)-☆
庭から見た岸和田城。懐かしいお城です!
庭で写真を撮ったりして3時過ぎ開散。思い思いに歩いて岸和田駅まで…
駅前で9人が2次会のお茶をしてお喋り(^^♪
川越に引っ越された女の先生と、東京から来てくれた旧友の2人を明くる日の
堺の街歩きに案内をする約束をしてあったので、そのまま堺駅前のホテルへ…
でもその前に堺市役所21階展望ロビーへ行き、堺の街を
上から眺めて見ようとエレベーターで一気に21階まで!
仁徳陵の大きさが上から見ると良く分かる!日暮れが早いので、
期待したほどは展望が利かなかったが、夜景もまずまず…
ホテルで夜中までお喋り…よくもま~こんなに話すことがあったものだと(^^♪
朝はゆっくり、ホテルで朝食バイキング。ここでも飽きずにお喋り!
10時頃、大小路からチンチン電車に乗り南宗寺へ。
ボランティアの丁寧な説明がありありがたかった(^_-)-☆
茶道は堺の茶人、 武野紹鷗、 千利休などにより完成されたが、
その「茶禅一味」の精神は南宗寺歴代の和尚に参禅することにより
確立されたという。
総門
仏殿天井には狩野信政筆の「八法睨みの龍」があり国指定重要文化財。
本堂は新しく造営中
境内は瓦敷きの道がしっくりと続く。土塀にも瓦が塗り込んである。
方丈から見た枯山水の庭
大坂夏の陣で徳川家康が、激戦に敗れて網代籠に乗って堺に逃げる途中、
槍に刺されて死んだが戦時中なのですべて秘密にし南宗寺開山堂下に隠した
…という噂のような本当のような話がある。
南宗寺で最も古い建物「坐雲亭」
内部に徳川秀忠、家光両将軍のお成りを記した板額が掛かる。
1623年7月と8月に2代と3代の両将軍が相次いで南宗寺を訪れている…
家康の眠る当寺に引き継ぎの報告かも…という謎も…
歴史の面白さも充分に味わえる寺だ。
千利休一門の墓
武野紹鷗の墓
信長より20年前に、堺を拠点とし栄えた三好長慶が建てたという南宗寺なので
三好一族の供養塔もある
庭はよく手入れされており、サザンカの花がいま落ちた風情に散り敷く
廊下にさりげなく置かれた消火用のポンプ?
利休好みの手水鉢、武野紹鷗遺愛の六地蔵灯篭、水琴屈など
茶人が垂涎するようなものがいっぱいだ(*^_^*)
たっぷり見学をして堺名物くるみ餅の「かん袋」へ…
昼食時なので運良くすっと座る場所もあり注文もすぐに出来た。
込み合う時間だとずいぶん待つこともあるが~
名物のくるみ餅の上にかき氷をかけて…暑い日だったので美味しかった!
注文をすると大きな板の注文票(?)がくるのも歴史を感じさせる。
チンチン電車通りを歩いて与謝野晶子の生家跡の歌碑を見る
「海恋し潮の遠鳴り数えつつ少女となりし父母の家」
通りを一筋入って千利休屋敷跡と産湯をしたという井戸…
少し歩き疲れたらしい先生を気遣い、軽く昼食に「美々卯」へ行く。
そこでもひとしきり喋ってそろそろ帰京をするべき時間なので駅へ向かう。
駅への途中、孫たちがいつも遊ぶ公園のベンチに座ってミカンを食べる。
幼稚園帰りの子供たちやママたちが寄って遊んでいる。
しばらく会わない孫たちのことを思う。まだ学校にいる時間だ!
2時半ごろ駅へ到着。帰京する2人と別れて帰宅。
四国遍路一泊2日、翌日のクラス会から一泊2日…よく遊んだな~と振り返る。