3回目の朝は、天気の心配全くなしの秋晴れ!気持ちがいい(*^_^*)
バスに乗ろうとしたら、確かに申し込んで振り込みもしたのに名前がない。
そんな馬鹿な!と顔パスでシャドーさんたちの席へ。やれやれ!
2回目の終わり、河瀬王子前にバスがつく。
今回は1.2回と語り部をしてくれた月山さんではない。
少しがっかりだが、大きな田舎屋の民家の中を歩き始める。
元、松屋、竹屋、玉屋などの屋号を持つ茶屋や旅籠をこの地で営んでいたが、
昭和の初め、紀勢線の開通によりさびれ、今はほとんど農家だそうだ。
今回越える鹿が瀬峠(標高340m)を前に、ここで馬からおり、
草鞋を履いたといわれのある馬留王子跡がある。

すっかりお馴染みになった徳本上人の碑と道標を過ぎ、
急なヘアピンカーブの農道の坂を上り、大峠につく。

笑顔が可愛い大峠のお地蔵様。
大峠の上には峠の茶屋跡があり、ススキが日に輝いていた。

小峠は現在の有田、日高の郡境で、その辺りから少し下がると
全長503m、熊野古道で現存する最長の石畳道になる。

上皇や定家なども歩いたままの道に、木漏れ日が差し雰囲気のある道だ。
この辺り、特産の黒竹の林が続く。

旅人の旅情を慰めるために前の川で金魚を飼っていたという
金魚茶屋跡の休憩所で昼食。
屋根の瓦に「金」の字が見える。

緩やかな下り坂を下り黒竹の里に出る。
黒竹は主に京都に出荷され、塀や茶室、衝立、花器などに加工される。
道端には黒竹が干され、加工所を見学する。
竹の油を抜き、歪みを矯正したり、艶を出したりしている。

のんびりした里の道を歩くと、元薬屋さんの家に出会う。
軒下に癇虫薬、胃腸薬、黒焼き薬などの古い板の看板が上がっている。

ひさしの材木(?)も立派だ。今も子孫は薬剤師をしているという。
鬱そうとした107段の階段を上がれば今熊野神社。
その下の道を進むと内ノ畑王子社跡。
木の枝で槌を作り、榊につけて結んで奉納したという槌王子社とも言う。


左上 つわぶきの黄色がきれい、右上 釣鐘人参の花の可憐な薄紫
左下 たわわに柿の実る野道 右下 藪にぶら下がる烏瓜の実
ススキが陽にひかる川沿いの道、真っ赤な烏瓜の実がぶら下がる藪などを
通り内原王子神社(大家王子ともいう)に着く。

JRきのくに線が側を走り、我が家の側でもよく見かける特急くろしおが
走っていく。
少し日が西に傾き道成寺の33年ぶりだという千手観音のご開帳に
間に合うようにと道を急ぐ。
善童子王子、昼なお暗い竹やぶの向こうの愛徳山王子など
次々と王子跡がある。

安珍清姫で有名な道成寺の赤い柱の建物が見えてくる。
少し横道にそれ、住宅街の奥の蛇塚による。清姫最期の地という。

和菓子などお供えをしてあり、土地の人たちの気持ちが伝わる。
道成寺のご本尊、千手観音のご開帳の門限の時間4時30分、間に合う。
千手観音はカヤの木の一木造りだといい、西暦800年代の作。
安珍清姫の事件(928年)もご覧になったかも…
すごく大きく立派な観音様だが、お堂の裏、北向きにこの観音様が
体内仏として入っておられたもっと大きな観音様がいるという。
この仏様のご開帳は去年で、これまた33年後に見られるそうだ。
能や歌舞伎の「道成寺」の衣装、扇子、絵など奉納され華やかな寺だ。


本堂、三重の塔を写し、華やかな山門を写そうとしたところで
カメラの電池切れ!
今日一日の気持ちよく晴れた秋空に真っ赤な大きな夕日が沈んでゆく。
雲ひとつないこんな夕焼けの後はきれいな薄暮が見えると
添乗員の言葉どおり、バスの窓からしばらく影絵のような薄暮を楽しむ。
今回語り部さんの声が少し小さかったり、王子跡などが複雑で
不消化のため上手く整理が出来ず、とってもいい加減だが…取り急ぎ。
バスに乗ろうとしたら、確かに申し込んで振り込みもしたのに名前がない。
そんな馬鹿な!と顔パスでシャドーさんたちの席へ。やれやれ!
2回目の終わり、河瀬王子前にバスがつく。
今回は1.2回と語り部をしてくれた月山さんではない。
少しがっかりだが、大きな田舎屋の民家の中を歩き始める。
元、松屋、竹屋、玉屋などの屋号を持つ茶屋や旅籠をこの地で営んでいたが、
昭和の初め、紀勢線の開通によりさびれ、今はほとんど農家だそうだ。
今回越える鹿が瀬峠(標高340m)を前に、ここで馬からおり、
草鞋を履いたといわれのある馬留王子跡がある。

すっかりお馴染みになった徳本上人の碑と道標を過ぎ、
急なヘアピンカーブの農道の坂を上り、大峠につく。

笑顔が可愛い大峠のお地蔵様。
大峠の上には峠の茶屋跡があり、ススキが日に輝いていた。

小峠は現在の有田、日高の郡境で、その辺りから少し下がると
全長503m、熊野古道で現存する最長の石畳道になる。

上皇や定家なども歩いたままの道に、木漏れ日が差し雰囲気のある道だ。
この辺り、特産の黒竹の林が続く。

旅人の旅情を慰めるために前の川で金魚を飼っていたという
金魚茶屋跡の休憩所で昼食。
屋根の瓦に「金」の字が見える。

緩やかな下り坂を下り黒竹の里に出る。
黒竹は主に京都に出荷され、塀や茶室、衝立、花器などに加工される。
道端には黒竹が干され、加工所を見学する。
竹の油を抜き、歪みを矯正したり、艶を出したりしている。

のんびりした里の道を歩くと、元薬屋さんの家に出会う。
軒下に癇虫薬、胃腸薬、黒焼き薬などの古い板の看板が上がっている。

ひさしの材木(?)も立派だ。今も子孫は薬剤師をしているという。
鬱そうとした107段の階段を上がれば今熊野神社。
その下の道を進むと内ノ畑王子社跡。
木の枝で槌を作り、榊につけて結んで奉納したという槌王子社とも言う。


左上 つわぶきの黄色がきれい、右上 釣鐘人参の花の可憐な薄紫
左下 たわわに柿の実る野道 右下 藪にぶら下がる烏瓜の実
ススキが陽にひかる川沿いの道、真っ赤な烏瓜の実がぶら下がる藪などを
通り内原王子神社(大家王子ともいう)に着く。

JRきのくに線が側を走り、我が家の側でもよく見かける特急くろしおが
走っていく。
少し日が西に傾き道成寺の33年ぶりだという千手観音のご開帳に
間に合うようにと道を急ぐ。
善童子王子、昼なお暗い竹やぶの向こうの愛徳山王子など
次々と王子跡がある。

安珍清姫で有名な道成寺の赤い柱の建物が見えてくる。
少し横道にそれ、住宅街の奥の蛇塚による。清姫最期の地という。

和菓子などお供えをしてあり、土地の人たちの気持ちが伝わる。
道成寺のご本尊、千手観音のご開帳の門限の時間4時30分、間に合う。
千手観音はカヤの木の一木造りだといい、西暦800年代の作。
安珍清姫の事件(928年)もご覧になったかも…
すごく大きく立派な観音様だが、お堂の裏、北向きにこの観音様が
体内仏として入っておられたもっと大きな観音様がいるという。
この仏様のご開帳は去年で、これまた33年後に見られるそうだ。
能や歌舞伎の「道成寺」の衣装、扇子、絵など奉納され華やかな寺だ。


本堂、三重の塔を写し、華やかな山門を写そうとしたところで
カメラの電池切れ!
今日一日の気持ちよく晴れた秋空に真っ赤な大きな夕日が沈んでゆく。
雲ひとつないこんな夕焼けの後はきれいな薄暮が見えると
添乗員の言葉どおり、バスの窓からしばらく影絵のような薄暮を楽しむ。
今回語り部さんの声が少し小さかったり、王子跡などが複雑で
不消化のため上手く整理が出来ず、とってもいい加減だが…取り急ぎ。
今回は難しいね~~私も何が何だか分からないの!
mamaGONが書いてくれているのを見ながら書かないと
覚えてないのよ!
時代の流れもバラバラだし、仏教の宗派の影響もいろいろだし・・・焦点の当てようが無いって感じです!
困ったわ!
次は月山さんにお願いしたいな!
読んでもらうのがちょっと恥ずかしいくらい、書いている本人が分かっていないのよ。
早いだけが取り柄で大雑把!
奥が深いってことは複雑なんだよね(^_-)-☆
ここ2~3日前からメールがログインしません。
何故だか分かりませんが、明日、娘にあちこち問い合わせてもらいます。
12日の返事はFAXか電話でお願いします。
夫婦ともども今年は大変でしたがこの冬を乗り切ればと思っています
日本もまだ良い所が沢山あるんですね
落ち着いたらヨーロッパは勿論日本の自然美も沢山描きたいですね
王子跡…これがいまだにちゃんと把握できていないのですが、王子様、王女様さまには全く関係ないようです。
大阪の王子跡のところにも書きましたが…
…大阪から熊野までの道中に百ヶ所近く「王子(社)」というものがあり「熊野九十九王子」と呼ばれるもので、熊野権現の御子神で、そこは熊野権現の遙拝所であり、熊野への道しるべであり、休憩の場であったと言う。…
要するに、神社や社があり、そこが熊野古道を歩く上皇たちの休憩所であり、数多くあるので道しるべになる…というものらしいです。
時代が変わり、いろんな事情や都合で合祀されたり、移転させられたりで、説明を聞いても混乱してしまうのです(^_-)-☆
まだちゃんと答えられなくてごめんなさい。
回をかせねて歩きながら勉強しますね!
sinsengumiさん☆
こちらこそようこそお出でくださいました。
お大事にこの冬をご夫婦で気をつけて乗り切ってください。
そして早く元気になり美しい自然をたくさん描いてくださいね。