李峰著・徐峰訳『西周的滅亡 中国早期国家的地理和政治危機』(上海古籍出版社、2007年10月)
本書は2006年8月にケンブリッジ大学出版社から英文で発行されたものを中国語に翻訳したものです。実は以前に某先生からこれの原書を読むようにと薦められていたのですが、洋書なうえに値段もそれほどお安くなかったので購入を先延ばしにしていたら、先に中文訳が出版されてしまいました(^^;)
本書は西周の滅亡の要因と過程を地理的な観点と絡めて考察したもので、豊鎬・洛邑など西周の中心地の立地やその四方の状況について相当数の紙幅を割いて解説しています。また著者は中国の大学を出た後に日本とアメリカに留学してそれぞれ博士号を取得したとのことで、中国人の研究のほか、欧米人・日本人の研究も多く参照しています。本書の引用によると特に欧米の研究がかなり重要かつ面白そうな指摘をしているようで、私自身もっと欧米の研究を読まんといかんなあと反省することしきりです……
本書の特色の一つは西周の衰退と滅亡を一旦切り離して考察していることで、西周王朝の衰退の要因として、西周中期以来外征による領域拡大が望めない中で、周王が自らの土地財産を切り崩して貴族に褒賞として与えざるを得なくなり、王朝による支配力が減少していったこと、そして西周後期に入ってから頻繁に玁狁の圧迫を受けるようになったことなどを挙げています。
しかしこれだけだと緩やかな衰退が続くものの直ちに滅亡まで至らなかったはずですが、幽王期の政治闘争が西周王朝滅亡の引き金を引いたとしています。
幽王期の初期の政治を主導したのは『詩経』や金文名前が見られる皇父という人物でしたが、この皇父ら宣王以来の老臣たちが幽王と幽王を支持する貴族たちと対立し、それが申姜の産んだ太子宜臼と、幽王の寵姫褒姒の産んだ子による後継者争いにつながっていきます。結局皇父は幽王五年に宣王以来の老臣らを引き連れて向という土地に隠居し、同年に太子宜臼が外祖父の西申に逃亡し、闘争は一旦は幽王・褒姒派が勝利しますが、その西申が西戎(すなわち玁狁)などと同盟を結んで幽王を攻め、西周の滅亡へと導くことになります。
ここら辺は『詩経』を西周末の政治状況を示す史料として積極的に評価し、これまで偽書と見られてきた『今本竹書紀年』の史料的価値を評価し、逆に『古本竹書紀年』の価値が今本に劣るとするような史料観が反映されています。これまで幽王期の権臣としてネガティブに見られてきた皇父(著者はこの皇父を個人名ではなく亜父のような一種の称号と捉えているようですが)の評価や、幽王期の事件の年代的な位置づけについては議論があるところだと思います。
また西周の宿敵である玁狁を後の匈奴のような騎馬遊牧民ではなく、農耕民と牧畜民が入り交じった集団と見ている点も注目されます。著者の指摘するように、金文の記述によると玁狁は戦場で周と同じく戦車を使用し、騎馬を使用していないわけですが。
他にも細かな点で注目すべき指摘が多々ありますが、西周の滅亡というテーマに多方面から取り組むという着想にやられたという感じです。読んでいて久しぶりに刺激を受けた書でした。
本書は2006年8月にケンブリッジ大学出版社から英文で発行されたものを中国語に翻訳したものです。実は以前に某先生からこれの原書を読むようにと薦められていたのですが、洋書なうえに値段もそれほどお安くなかったので購入を先延ばしにしていたら、先に中文訳が出版されてしまいました(^^;)
本書は西周の滅亡の要因と過程を地理的な観点と絡めて考察したもので、豊鎬・洛邑など西周の中心地の立地やその四方の状況について相当数の紙幅を割いて解説しています。また著者は中国の大学を出た後に日本とアメリカに留学してそれぞれ博士号を取得したとのことで、中国人の研究のほか、欧米人・日本人の研究も多く参照しています。本書の引用によると特に欧米の研究がかなり重要かつ面白そうな指摘をしているようで、私自身もっと欧米の研究を読まんといかんなあと反省することしきりです……
本書の特色の一つは西周の衰退と滅亡を一旦切り離して考察していることで、西周王朝の衰退の要因として、西周中期以来外征による領域拡大が望めない中で、周王が自らの土地財産を切り崩して貴族に褒賞として与えざるを得なくなり、王朝による支配力が減少していったこと、そして西周後期に入ってから頻繁に玁狁の圧迫を受けるようになったことなどを挙げています。
しかしこれだけだと緩やかな衰退が続くものの直ちに滅亡まで至らなかったはずですが、幽王期の政治闘争が西周王朝滅亡の引き金を引いたとしています。
幽王期の初期の政治を主導したのは『詩経』や金文名前が見られる皇父という人物でしたが、この皇父ら宣王以来の老臣たちが幽王と幽王を支持する貴族たちと対立し、それが申姜の産んだ太子宜臼と、幽王の寵姫褒姒の産んだ子による後継者争いにつながっていきます。結局皇父は幽王五年に宣王以来の老臣らを引き連れて向という土地に隠居し、同年に太子宜臼が外祖父の西申に逃亡し、闘争は一旦は幽王・褒姒派が勝利しますが、その西申が西戎(すなわち玁狁)などと同盟を結んで幽王を攻め、西周の滅亡へと導くことになります。
ここら辺は『詩経』を西周末の政治状況を示す史料として積極的に評価し、これまで偽書と見られてきた『今本竹書紀年』の史料的価値を評価し、逆に『古本竹書紀年』の価値が今本に劣るとするような史料観が反映されています。これまで幽王期の権臣としてネガティブに見られてきた皇父(著者はこの皇父を個人名ではなく亜父のような一種の称号と捉えているようですが)の評価や、幽王期の事件の年代的な位置づけについては議論があるところだと思います。
また西周の宿敵である玁狁を後の匈奴のような騎馬遊牧民ではなく、農耕民と牧畜民が入り交じった集団と見ている点も注目されます。著者の指摘するように、金文の記述によると玁狁は戦場で周と同じく戦車を使用し、騎馬を使用していないわけですが。
他にも細かな点で注目すべき指摘が多々ありますが、西周の滅亡というテーマに多方面から取り組むという着想にやられたという感じです。読んでいて久しぶりに刺激を受けた書でした。