雨宮昭一『シリーズ日本近現代史7 占領と改革』(岩波新書、2008年1月)
GHQによる占領政策が大戦後の日本を変えたのではない。敗戦という現実が日本を変えたのだ!日本政府は、そして日本人は自分達の力で戦後の改革ができなかったダメな子じゃない!ということを熱く語っている本です(^^;)
戦時中の総力戦体制が今で言うセレブ層をも貧困のどん底へと追いやり、国民の平等化や経済的格差の減少を促す役割を果たしたとか、一連の戦後改革は占領が無くとも遅かれ早かれなされたとか、政府筋による憲法改正試案(松本委員会試案)が巷間言われているような「極めて保守的」なものとは思われない。というか、GHQがそういうことにしたかっただけと違うんかい?といったツッコミとか面白い指摘が随所に見られますが、個人的に最も興味深かったのは日本の降伏に関する指摘です。
本書では日本の早期降伏の決定的な要因となったのは二度にわたる原爆投下でもソ連の対日参戦でもなく、日本国内で早期降伏や自由主義的な政策を支持する一派が東条英機らを中心とする勢力を押さえ、主導権を握ったことであるとしています。つまり降伏と戦後の改革を受け入れる充分な土壌があったからこそGHQによる占領政策が円滑に進んだわけで、一方でこのような土壌がなければ、原爆投下やソ連対日参戦以後もめげることなく戦争状態が続き、本土決戦へと突入、そして各地で軍部を支持する勢力が占領軍とゲリラ闘争を続け、国民はいつまでも塗炭の苦しみを舐め続けるという地獄のような未来絵図も充分にあり得たわけです。
敗戦国の側に受け入れる土壌がなければ占領政策がうまくいかないという考え方は、同じくアメリカが中心となって占領を進めながらも、第二次大戦直後の日本の場合はそれがすんなり受け入れられのに、現在のイラクの場合はなぜすんなりいかないのかという問題に対する有効な解答になるでしょう。
ただ、残念ながらこの手の政治的な問題意識というか目的意識が強い本にありがちな、「こうあったはずだ」「こうあらねばならない」という理念が先行して所々考証が甘くなるという欠点が本書にも見られました。例えば戦時中の軍国教育や軍需産業の振興について、そもそも戦時中は言わば非常事態であって、当時の教育や産業の体制は近代日本の歴史の中でも特殊なものであった。であるから、敗戦によって非常事態が解消すれば教育や産業のあり方も1920年代までの平常時のものに復帰せざるを得ないというような説明をしています。
しかし実際のところ、台湾で1949年から1987年まで戒厳令が維持されたように、長期間にわたって非常事態が維持されるということは充分にあり得るわけで、日本でも敗戦というきっかけのみで占領当局による「外圧」が無ければ、果たしてこういった改革がなされたかどうか心許ないものがあります。
GHQによる占領政策が大戦後の日本を変えたのではない。敗戦という現実が日本を変えたのだ!日本政府は、そして日本人は自分達の力で戦後の改革ができなかったダメな子じゃない!ということを熱く語っている本です(^^;)
戦時中の総力戦体制が今で言うセレブ層をも貧困のどん底へと追いやり、国民の平等化や経済的格差の減少を促す役割を果たしたとか、一連の戦後改革は占領が無くとも遅かれ早かれなされたとか、政府筋による憲法改正試案(松本委員会試案)が巷間言われているような「極めて保守的」なものとは思われない。というか、GHQがそういうことにしたかっただけと違うんかい?といったツッコミとか面白い指摘が随所に見られますが、個人的に最も興味深かったのは日本の降伏に関する指摘です。
本書では日本の早期降伏の決定的な要因となったのは二度にわたる原爆投下でもソ連の対日参戦でもなく、日本国内で早期降伏や自由主義的な政策を支持する一派が東条英機らを中心とする勢力を押さえ、主導権を握ったことであるとしています。つまり降伏と戦後の改革を受け入れる充分な土壌があったからこそGHQによる占領政策が円滑に進んだわけで、一方でこのような土壌がなければ、原爆投下やソ連対日参戦以後もめげることなく戦争状態が続き、本土決戦へと突入、そして各地で軍部を支持する勢力が占領軍とゲリラ闘争を続け、国民はいつまでも塗炭の苦しみを舐め続けるという地獄のような未来絵図も充分にあり得たわけです。
敗戦国の側に受け入れる土壌がなければ占領政策がうまくいかないという考え方は、同じくアメリカが中心となって占領を進めながらも、第二次大戦直後の日本の場合はそれがすんなり受け入れられのに、現在のイラクの場合はなぜすんなりいかないのかという問題に対する有効な解答になるでしょう。
ただ、残念ながらこの手の政治的な問題意識というか目的意識が強い本にありがちな、「こうあったはずだ」「こうあらねばならない」という理念が先行して所々考証が甘くなるという欠点が本書にも見られました。例えば戦時中の軍国教育や軍需産業の振興について、そもそも戦時中は言わば非常事態であって、当時の教育や産業の体制は近代日本の歴史の中でも特殊なものであった。であるから、敗戦によって非常事態が解消すれば教育や産業のあり方も1920年代までの平常時のものに復帰せざるを得ないというような説明をしています。
しかし実際のところ、台湾で1949年から1987年まで戒厳令が維持されたように、長期間にわたって非常事態が維持されるということは充分にあり得るわけで、日本でも敗戦というきっかけのみで占領当局による「外圧」が無ければ、果たしてこういった改革がなされたかどうか心許ないものがあります。
から、戦後も戒厳令が敷かれたでしょうね。
そもそも、戦争に突入していない時点で、二・二六事件が起こっていますが、
あの時は、戒厳令が発令されましたよね。この作者、その点はどう考えて
いるのでしょうか。
降伏と戦後の改革を受け入れるのに充分な土壌を、日本国内で早期降伏や
自由主義的な政策を支持する一派が、東条英機らを中心とする勢力を押さえ、
主導権を握ったことに置くのには、無理があるような気が…。
最大の原因は、失敗したとは言え、大正デモクラシーを経た日本には、
一般大衆のうち、特に知識層には、アメリカ的な考えを受け入れられる
人達が少なくなかったというのが、最も大きな要因に思えます。
ですので、少しでもそういった、民主主義的な素地のある国への、アメリカに
よる占領政策は成功しているのだと思います。
例としては、日本、韓国など。
しかし、そうした段階を経ていない国(民族)には、ただの武力制圧になって
しまうのではないでしょうか。
例としては、嘗てのベトナム、イラク、アフガンなど。
今日では、ベトナムどころか、中国にして、一般民衆レベルでは、アメリカ的な
価値観・考えを受け入れていますから。ある意味、日本よりも受け入れている
ようにさえ思えます(苦笑)。
ベトナムはドイモイで、中国は改革開放で、政治レベルは兎も角、一般大衆
レベルでならば、デモクラシーを理解し始めていると思います(多分にご都合主義
的とは言え(苦笑))。
特に都市部では、網絡(インターネット)を駆使して、その勢いは留まるところを
知らないようです。
私の個人的な感想としては、この作者、どれだけ海外を見てきたのかな、と
いう気がします。5ッ星ホテルの一室ではなく、市場(バザール)の人いきれの
中で、という意味でですが。
比較の題材にはなりそうですが。
で、イラクと比較してみて、
「本土決戦」ほんまにしたら、日本は山国である(この辺、証明できるとこでなし)し、長期戦の末には、アメリカを追い出したかも、と思います。
その際、日本で革命とかおこらないでしょうか。
マルエン全集の翻訳を手がけ、のち共産党から離党して、
数年前に99歳で亡くならはった、石堂清倫さんは、
当時の左翼が、過激前衛主義に走りすぎ、
普通の、吉野作造とかの穏健なリベラル派(まさに、アメリカの影響でしょうか)と手を結ばず、却って打撃を与えたことを、
悔いてはりました。
日本本土も問題ですが、その際、植民地、
朝鮮、台灣、満州、華北とかどうなったでしょう。
わたしは、日本人は「アメリカに負ける」という半端なことをしたから、まだなんかおかしいんであり、
日中戦争で徹底的に毛沢東に負けたり、ソウルで市民蜂起に遭うたりしたほうがよかった、と思てます。
妄説妄説、死罪死罪。長々御免。
>大正デモクラシーを経た日本には、一般大衆のうち、特に知識層には、アメリカ的な考えを受け入れられる人達が少なくなかったというのが、最も大きな要因に思えます。
大正デモクラシーの影響については本書でも触れてましたね。まあ、これだけでなく複数の要因があったと考えているのですが……
>ベトナムはドイモイで、中国は改革開放で、政治レベルは兎も角、一般大衆レベルでならば、デモクラシーを理解し始めていると思います
市場主義経済はともかくとして民主主義についてはどうなんだろうと思ってましたが、既に受け入れ始めてますか(^^;) むしろ当局の方が人民の認識の方に合わせていくことになるんでしょうか。
>師走さま
>「外圧」について語るわりに、明治維新をすっ飛ばしすぎだなと思った。
そのあたりはこのシリーズの第一巻を読んでくれということなんでしょう……
>川魚さま
>その際、日本で革命とかおこらないでしょうか。
軍部が中心となる限りは難しいんじゃないでしょうか。むしろ反動的な体制になっちゃうような気がします(^^;)
左翼といえば、本書では片山内閣を割と評価してましたね。