yabanjin-soulのTシャツ魂

ロック魂を手描きで表現するyabanjin-soulのたわごと・ひとりごと

未来への希望がなきゃ生きていけないよね。

2020年06月21日 | 国際・政治

「国民一人ひとりが豊かになることが国の繁栄につながる」を実践したのが戦後の自民党。

でもいつしかそれは日本共産党やれいわ新選組のような野党が標榜するようになり、

当の自民党は「国のために国民は血を流さなければならない」という政党に変貌してしまった。

 

自民党の言う「国」って何?

これってつまりは「権力層」っていうことだよね。

すなわち「格差が固定されつつある」ということ。

自民党に長く権力を任せ、世襲も容認したことが原因で、

彼らは勘違いしてしまった。

これを正すために「世襲禁止」とか「権力層の立候補制限」とか大胆な改革が必要になってきているのが現在の情況。

 

民主国家として存続するにはそういう改革が必要なんだけど

せっかく手に入れた特権階級の人たちは手放すのがイヤなもんだから

メディアを使って国民を洗脳しようと企み始めた。

その集大成が安倍内閣ってわけ。

この7年間、ロクな仕事をしてないのに

それを指摘するメディアがどんどん排除されてきている。

 

彼らは差別や排除、弱者切り捨てを「自己責任」という言葉で国民に蔓延させている。

すべてメディアが権力層の意に従ってやっていることなんだよね。

振り返ってみると、

冷戦構造が壊れた頃からこれが言われ始めたから、

きっとその頃から自らの地位に危機感を覚えた権力層による保身が始まったといえるね。

 

つまり、戦後の自民党は冷戦構造を前提に自分たちの権力を固めていったんだろうと推察される。

想定してきた「敵」がいなくなりその上に胡坐をかいてきた連中は、

「東西ドイツを分断してきた壁崩壊」を見て、

自分たちも「排除されるかも」という危機感を覚えても確かにおかしくはない。

 

だから冷戦崩壊前と後との自民党は全く別の政党になってしまったということ。

「自由民主党」ではなく「自己保身党」になってしまった。

自分達の権力を維持するために

「国民は義務を果たさなければならない、血を流さなければいけない」と声高に言わなくちゃいけなくなったってこと。

 

実質的に「自己保身党」に変貌した自民党は、

民主国家日本にとってもはや害悪でしかない。

日本の「癌」みたいな存在になってしまったってことなんだよね。

景気悪化で弱り切った日本の身体を食いつぶそうとしてる「癌」を、

さらにサポートするTV等の大メディアは、

それこそ「新型コロナ」だと言える。

 

 

病気を治すには重篤化する前に早期発見・早期治療が必要なのは周知の事実。

日本はすでに末期がんの様相に近づいてきているから早めに大手術が必要なんだよね。

もっと早めに手を打てればそこまで大袈裟な対応は必要無かったのに。

これもメディアが発信しなかったために自覚症状が遮られてしまった。

 

日本に巣食う「癌」に気づいた白血球がSNSなんかで地道に対抗しているのが現状なんだけど、

リンパ管や血管がきちんとした情報を流さないもんだから

今だに大多数の人々がその病巣に気づけてないか、

気づいても「誰かがやってくれるでしょ」「危うきに近寄らず」と人任せにしてしまってる状態。

 

逆に「上に従うのが正しい選択」と学校教育で叩きこまれているから

「癌」に対抗する白血球を煙たがる人も実はけっこう実社会に存在する。

こういう人たちに気づかせるのはホントに苦労するんだよね。

なんせ「上には従うもの」の「上」が一体誰なのかということから理解してもらう必要があるわけなんだからさ。

 

憲法が「国民主権」を規定しているので、実は「上」とは「国民一人ひとり」ってこと。

つまり「国」とは「国民一人ひとり」を指すんです。

自民党の言う「国」が「権力層」なわけだから、

彼らが憲法改正に躍起になってるのも納得できるよね。

彼らが「癌」化して暴走しているという証明でもあるわけ。

 

ここまで進行した癌を治すには癌を駆逐する「大手術」が必要なんだけど、

それにはまず「癌」を国民に知ってもらわなくちゃいけない。

そして「今手術すれば絶対に治せる」ということも。

つまり危機を煽るだけじゃダメってこと。

未来への希望もセットじゃなきゃ誰も動いてくれないんです。

 

だから立憲さんや国民さん(国民民主党のこと。この名前って略すのがホントに大変。『国民』じゃ勘違いしちゃうし『民民』じゃピンと来ないし…)には

「国民への負荷」を主張するだけではなく「未来への希望」をきちんと表明してもらいたい。

知りたいのは希望であって負荷じゃない。

負荷は既に背負わされてるからね。

 

れいわや共産党が一定の支持を集めてるのも「未来への希望」をセットに発信してるから。

決して危機を煽ってるだけじゃないってこと。


だから「未来への希望」を表現するためにも、

「須藤元気」への対応は慎重になるべきだったし抑圧しちゃいけなかった、

というのが私の見解。

 

「未来への希望」は「国民一人ひとりが幸せに暮らす」というものでなくちゃいけない。

政治で幸せを確保するには「一人ひとりの権利の補償」です。

「自由権」「社会権」「生存権」という「基本的人権」を徹底的に保障すること。

政治にしかできないとても大きな事なんです。

これは民主国家の在り方にもつながるしね。

 

だから立憲さんは須藤元気氏に対しても「山本太郎を応援したいという気持ち」を容認してほしかった。

それでこそ「未来への希望」を体現できるチャンスだったと思う。


でもそれをせず党議党則で縛ろうとした。

我々からしたら「未来への希望」が感じられないというのが正直なところなんだよね。

 

今からでも遅くはない。

立憲さんと国民さんには「我々は『自己保身党』とは違う」ってところを言葉で表してほしいし行動で示してほしい。


「国民の基本的人権を守り抜く」ってね。


だから国民さんは自己保身の小池百合子とは決別すべきだし、

立憲さんは消費税と決別すべきなんです。

個人的にそう考えます。

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