自分の音楽の趣味をどんどん広げていったポールやジョージに対し、
ジョンはどうやらあまり広げようとは思ってなかったようだ。
1964年のヨーロッパツアーの頃のインタビューの映像のなかで
「これから音楽の好みは変わっていくと思う?」という質問に
ジョンは即座に「変わらないね」と答えたんだけど
その横でポールが「先のことはわからないな。変わることもあると思う。」
さらにジョージが「きっと変わるよ」と答え、
その答えを聞いたジョンが首をすくめてる姿があったところにもそれは表れてるし、
実際、ボブ・ディランのことはジョージがビートルズの面々に教えてるらしいし、
インド音楽もジョージで、それらに見事にはまっていったのがジョンなんだよね。
ジョンはビートルズの解散直後に
『後の時代になって「イエスタディ」で表彰されたくはない。だってあれはポールの曲だから」と発言しており
ビートルズ中期にバイオリンを取り入れたポールに、内心では対抗してあせってたであろうことが伺われる。
「マジカル・ミステリー・ツアー」の評価がイマイチだったときでも
「『I am the walrus』のビデオクリップがあるだけでもこの映画の存在価値がある。」とコメントしてたポールとはエライ違いだよね。
ビートルズの曲をすべて自分達のものととらえてるポールと、元歌を作曲したヒトのものととらえてたジョンとの性格の違いが如実に表れてる。
テープの逆回転でギターフレーズをいじったのはジョージ。
でも、インド音楽の楽器シタールを初めて取り入れて作曲したのは「ノルウェーの森」のジョンで
テープの逆回転やループを最初に取り入れて作曲したのも「トゥモロー・ネバー・ノウズ」のジョン。
結局、ジョンはジョージがビートルズに持ち込んだセンスをことごとく吸収し、
ものの見事に花を開かせたというわけになる。
でも、それは結局ジョージやポールがビートルズに持ち込んだもので
自分がバンドに持ち込んだわけじゃなく、
きっとジョンはそういった意味での自分主導のセンスというものに渇望してたんだと思うね。
だからこそ、前衛芸術家のヨーコだったんじゃないかって思う。
「誰もやってない方法で表現しようとしている!」
こういう感動をジョンはヨーコから受けたんじゃないかって思うし、
「これだ!自分もそういう表現活動をしたい!」という欲求が高まったんだと思う。
んでそれをビートルズでやろうとしたら
「レボリューション」でメンバーに拒否され、
しかたなしにプラスティック・オノ・バンドでの活動で「平和運動」せざるを得なくなってしまったんだと思う。
もちろん、ちょうどそのときビートルズのバンドの雰囲気も悪くなってしまってたというのも原因のひとつだったろう。
とにかく「平和活動」や「前衛芸術活動」で社会を変革しようとすることに自分のアイデンティティーを見出そうとしてたんだと思う。
でも、ジョン的にはビートルズとしては多少の活動の減少があったとしても
解散するだなんて、具体的には全く予期してなかったんじゃないかって思う。
音楽的に広がりを見せたことで
メンバーの距離感をひろげていったことにつながったんじゃないかって思ってるんだよね。
ジョンはジョージの曲作りのセンスにはあまり興味がなかったのかもしれないけど
ジョージの音楽や芸術センスには一目置いていたんじゃないかとは思うんだ。
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YouTube: Norwegian Wood (This Bird has Flown)
↑初めてシタールを取り入れた曲。これはボツになったバージョンで、発表されたバージョンよりシタールが強調されている。
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YouTube: The Beatles - "Tomorrow Never Knows" Mono
↑アルバム「リボルバー」のレコーディングで一番最初に録音されたのがこれ。この曲でリボルバーの音楽の方向性が定まったらしいね。
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YouTube: The Beatles - I'm a Loser (Live In Paris, 1965)
↑ジョン曰く「ディラン時代のうた」。この映像をみると確かにハーモニカをディランのように首に設置してるね。(笑)
オノ・ヨーコのアートが、「誰もやってない表現」。・・・確かに、そんな感じしますね!
自分がヨーコの作品で心惹かれたのは、「空を開けるためのガラスの鍵」というタイトルの、ガラスの鍵の作品でした。
まあ、こういうのって”タイトルも込みで作品”みたいにも感じますが(作品自体はほんとに「ガラスの鍵」だから)、中学生の時にこの作品とか知ったので、「鍵で空を開ける」という発想にめっちゃワクワクしました!
ジョンは、初めてヨーコのアート展を見た時だったかな・・・天井まで伸びたはしごを登って、天井に書かれた小さな文字を虫眼鏡で見るという作品があり、そこには「yes」と書いてあり、その「肯定の言葉」がジョンにとって物凄く嬉しかったし希望を感じた、みたいにインタビューで言ってたような記憶があります。
そういえば、何気に、ジョンのパートナーが日本人女性だという事に、中学生の頃ジョン好きの友達と驚きつつ喜び合って(?)いたのを思い出しました!
しかも、自分の名前と同じ(漢字は違う)だから、「いいなあ!ジョンに自分の事呼ばれてる気分じゃん!」と羨ましがられた記憶もあります(笑)
ヨーコとジョンの出会いのエピソードの作品、「yes」ってホントにすごくいいですよね。
ジョンでなくても「すばらしい!」とうなる作品だと思います。
ボクも同じようにはしごで上っていって天井に虫眼鏡でyesを見つけたらしびれちゃいそうです!
いやはや、
みかんさんも「よーこさん」でしたか!
確かに日本の「yoko」さんは気分良さそうですよね。
ジョンが書くときには漢字は使わないでしょうから、なおさらですよね。
あ、もしかしたら逆にむなしくも感じるかもしれませんが。(笑)
もし、そうだったらごめんなさい。
でも、たまたまだろうけどあのジョンの愛した女性が日本人なんて
なんか、おなじ日本人として
うれしいような、
誇らしいような、そんな気がしますね。