どちらが正しくて、どちらが間違ってるとか
そういう問題じゃない。
これは「自分はどういう生き方をするのか」という問題なんだ。
人に自分のウソがばれないように注意を払いながら、
人を出し抜いて生きる自分を見抜かれないように人目をはばかりながら、
後ろ指刺されるような自分の行動を周囲の目から遠ざけるようにしながら、
とにかく、「ばれなきゃOK」という考え方で
生きていくのがお好みであれば
そのようにして生きていけばいいんだよ。
ただ、その生き方についていけない人もいるわけだから
そういう人とは距離をとって生きていけばいい。
むりやりつきあう必要はないわけ。
とにかく・・・、
そういう生き方を選ぶのも
それはそれで人としての権利であって、
誰もとがめられないだろう。
でも、
そういう生き方を嫌う権利もあるということ。
ボクはそういう生き方はしたくないっていうことなんだよね。
人を出し抜くくらいなら、
人にうそをついて、そのウソがいつばれるのかビクビクしながら暮らすくらいなら、
自分は「バカ」でいいっていうことなんだ。
つまり、「だます側」より「だまされる側」でいたいんだよね。
もちろん、
だまされて腹が立たないわけじゃない。
っつーか、思いっきり頭にくるんだけど、
それでも、
どちらかといえば「だまされる側」がいい。
「正直に生きる」方が
いろいろめんどくさくなくていいんだよ。
人の目を気にしてビクビクする必要がないからね。
なんせ、「ウソはいつか必ずばれる」って信じてるから。
なぜなら、
ばれないんだったら必ずばれるまでやり続けちゃうからね。
最初は細心の注意を払ってるけど
ばれないって思うとだんだん手抜きし始めて・・・・
そのうちばれる。
「バカをみる」ことが多いし、
「うまみ」も少ないかもしれない。
でも、
それが嫌なら、ボクから距離をとってくれればいい。
まわりの誰かに押し付けるつもりは毛頭ないからね。
今回のことは
つまりは、そういうことだったんだということが
ようやくハッキリしたよ。
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