一の好きな鉄道が有る。
平成11年1月11日11時11分に1番列車を走らせた。
皆さんが信じようと信じまいと気動車は走り始めたと言う。
そして8年後の1月11日ワンコイン運賃列車を走らせた。
自然を尋ねる人もホタルの関係から観光協会の会員になったからこのイベントをお手伝いした。
もう少し詳しく説明すると
井原線は神辺(福塩線)→総社(伯備線)間41キロを料金¥1.070約1時間かけて14駅を通る。
今回はイベント日だから2両編成列車だが通常は1両で走る区間もある。
料金が1回乗り降りすれと100円を支払う。
つまり最大の神辺→総社¥1.070が¥100で乗れる事になる。
通常の昼間、子守唄の里高屋から神辺までの3駅は3人から5人までが乗る過疎の鉄道なのになんと料金につられて200人ぐらいを詰め込んで入る気動車もあった。7分送れてJRを待たす井原線の運転手の気分をいつか聞いてみたい。
こうしてみるといかに現金な人が多いのか。
もう1つ、気動車から流れて出たお客さんは私が見ても爺さん婆さんが多い。
そして私にここで見る所はどこと聞かれる。
計画も立てずに、地獄の沙汰も金次第見たいな聞き方はしないでといいたかったがお客さんは神様です。
ちなみにこの会社、本日だけ見ると5人でも走る気動車に200人乗った便もあるから黒字は間違いない。
宣伝料は頂いていないから井原線の話はこれくらいで、観光協会の理事として神辺をPRさせて貰う。
駅から7分ぐらいのところに江戸時代に大名が宿泊した本陣が有る。
もう少し口説く説明をさせてもらうとここの銀杏は見上げたものだ、400年生きた勢いは立派、それも夫婦で並んでいる。戸をあけているから裏庭の幹が見える。
また、百日紅は400年生きるのは苦しかったのか途中で本体の幹を捨てて、根元からあらためて芽を出し頑張っている。
本陣から5分強東へ歩くと備後福山の藩校「紅葉夕陽村舎」が有る、別名菅茶山先生の教育現場の跡である。
菅茶山先生を知らない人が多いはず・・頼山陽の先生と言えば少しはあの人かと理解される方も有るだろう。
私は残念ながら漢字が崩れている文字は読めないので、その現地を黙って紹介する。
他にも福山城の前身神辺城は関が原の戦い後から徳川家康の晩年まで備後10万石の城下町でもあった。
今でも城址が残り、また毛利と尼子の合戦跡など沢山有るけれど、後日の紹介とさせていただきます。
最後に今日1番もてたのは誰。
当然、自然を尋ねる人です。
おかやま観光フレンズのミス美人さんや福山市観光課のチャーミング美人と写真を撮ったり、物産展で販売しているこんにゃく、味噌や蜂蜜の試食等をして盛り上がって、神辺のイメージアップに勤めた観光協会々員はいないはず。
(不思議です。こうして女性と試食していると気動車から降りて来られるおじいさんがその品物を買ってくれるのです)
また、降りてこられた昔は美人だった女性に行き先を聞かれたのも1番多かったと思っております。
平成11年1月11日11時11分に1番列車を走らせた。
皆さんが信じようと信じまいと気動車は走り始めたと言う。
そして8年後の1月11日ワンコイン運賃列車を走らせた。
自然を尋ねる人もホタルの関係から観光協会の会員になったからこのイベントをお手伝いした。
もう少し詳しく説明すると
井原線は神辺(福塩線)→総社(伯備線)間41キロを料金¥1.070約1時間かけて14駅を通る。
今回はイベント日だから2両編成列車だが通常は1両で走る区間もある。
料金が1回乗り降りすれと100円を支払う。
つまり最大の神辺→総社¥1.070が¥100で乗れる事になる。
通常の昼間、子守唄の里高屋から神辺までの3駅は3人から5人までが乗る過疎の鉄道なのになんと料金につられて200人ぐらいを詰め込んで入る気動車もあった。7分送れてJRを待たす井原線の運転手の気分をいつか聞いてみたい。
こうしてみるといかに現金な人が多いのか。
もう1つ、気動車から流れて出たお客さんは私が見ても爺さん婆さんが多い。
そして私にここで見る所はどこと聞かれる。
計画も立てずに、地獄の沙汰も金次第見たいな聞き方はしないでといいたかったがお客さんは神様です。
ちなみにこの会社、本日だけ見ると5人でも走る気動車に200人乗った便もあるから黒字は間違いない。
宣伝料は頂いていないから井原線の話はこれくらいで、観光協会の理事として神辺をPRさせて貰う。
駅から7分ぐらいのところに江戸時代に大名が宿泊した本陣が有る。
もう少し口説く説明をさせてもらうとここの銀杏は見上げたものだ、400年生きた勢いは立派、それも夫婦で並んでいる。戸をあけているから裏庭の幹が見える。
また、百日紅は400年生きるのは苦しかったのか途中で本体の幹を捨てて、根元からあらためて芽を出し頑張っている。
本陣から5分強東へ歩くと備後福山の藩校「紅葉夕陽村舎」が有る、別名菅茶山先生の教育現場の跡である。
菅茶山先生を知らない人が多いはず・・頼山陽の先生と言えば少しはあの人かと理解される方も有るだろう。
私は残念ながら漢字が崩れている文字は読めないので、その現地を黙って紹介する。
他にも福山城の前身神辺城は関が原の戦い後から徳川家康の晩年まで備後10万石の城下町でもあった。
今でも城址が残り、また毛利と尼子の合戦跡など沢山有るけれど、後日の紹介とさせていただきます。
最後に今日1番もてたのは誰。
当然、自然を尋ねる人です。
おかやま観光フレンズのミス美人さんや福山市観光課のチャーミング美人と写真を撮ったり、物産展で販売しているこんにゃく、味噌や蜂蜜の試食等をして盛り上がって、神辺のイメージアップに勤めた観光協会々員はいないはず。
(不思議です。こうして女性と試食していると気動車から降りて来られるおじいさんがその品物を買ってくれるのです)
また、降りてこられた昔は美人だった女性に行き先を聞かれたのも1番多かったと思っております。