自然を尋ねる人

自然の素晴らしさ、豊かさ、人と自然の係わり合いを求めて!自然から私たちにくれる贈り物を見つけるために今日も歩く。

御領遺跡

2010-09-05 11:24:07 | Weblog
9月4日 36度を超えた13時から御領遺跡の発掘調査説明会があった。
現在堂々川の歴史を出筆中だから貴重な資料を確保のため参加した。
国道313号線バイパスの建設中場所であるが
313号と486号線が交差したところから東へ数100mのところ2個所


486号が途切れたところから東を撮影
前方高架は井原線の線路


今回の発掘は2個所
まず東側B区へある出度品展示から


弥生時代の遺跡
古いもので約2000年前




古代ハスのように芽が出ないかな!


神辺平野は吉備国の時代「穴の国」と呼ばれていた。
この地方は昔から安那(やすな)と呼ばれており、安那=あなとも読める。
弥生時代この平野一帯を穴の海説の人もおられるがこの地は現在海抜13~14mで
農業を営んでいた遺跡が出てくるから少なくても2000年前以降は淡水と判断できる。
農業の遺跡
本日の中国新聞にも掲載されていたが古墳時代の止水施設の残骸




木材群
自然木、杭、加工された板状のものが埋もれていた


広島県埋没文化財調査室では堰のような止水設備と思えるので調査を続けるとのことだ。
300mほど西のA区では奈良時代に作られた条理の痕跡溝か!



壊れた壺などを捨てていた井戸らしき跡


下の手に持った写真より

壺などを捨てたその下を掘るとどんどん掘れる


溝が埋まったから掘る、そしてまた埋まったと思える痕跡
粘土や砂の堆積が見られる



この痕跡から見て御領遺跡や大宮遺跡にみられる環濠ではないと思うとの説明もあった。

堂々川の洪水域を外れた高屋川合流地点から北へ約500mを西端にして東へ約1.6km
南北最大1.4kmの広大な遺跡が道路建設によりかなり姿を現せてきた。

この暑さと真面目な勉強をしていたので
普通ならお洒落の一つも出るのだが期待はずれで何もなく、ただ汗が気体になって出ていた。