11月5日(土)雨
「ふるさと再発見」をテーマに神辺町観光協会が毎年実施している史跡めぐり。
毎年同じ史跡7か所を回るのだが今年もドラマが待ち受けていた。
まず最初が参勤交代で備後より西の大名が宿泊する宿場町にある「本陣」を訪ねる。
神辺には当時西本陣と東本陣があったが現在は西本陣が残っており、家業にしていた酒造場の建物も残っている。母屋の北側には馬屋や物見櫓も現存している。
雨の本陣、母屋の裏にそびえるイチョウの木も少し霞んで見える。
説明員が高齢の為、急に声が出なくなったので若干予定時間が早まった。
西本陣を表門から見る
通常は神辺の街並みを見ながら廉塾まで歩くのだが雨の為バスで移動。
時間が30分ほど早目についたから雨にぬれていた楠もクスクス笑で苦笑するはめになった。
クスの木が雨に濡れている
ここでは専属のガイドが分かりやすく説明をしている。
土・日であれば廉塾の道路反対側のガイド待合室でガイドが待機している。
瀬山陽が塾頭をしていたこともある講堂へ
又バスで夕日の里、神辺竹尋葛原邸へ
約4kmのバスの中では説明員が赤鬼・青鬼の話や四面地蔵の紹介をした。
ちなみにブログの主は1号車の説明をしている。
葛原邸
童謡や校歌の作詞で有名な葛原しげる先生と師の祖父である葛原勾当(勾当日記、木活字の印刷道具の発明、琴の名手、二弦琴の発明他)の生家を見学。
童謡夕日
童謡トンビ
お昼前の最後の訪問は茶山記念館の見学。
道しるべ
菅茶山座像絵
雨でなかったら堂々公園で昼食となるはずが商工会館に変更され、
我が名文句と始まったばかりの絶景の紅葉は見られず、寝るのを我慢して考えた景色とマッチした話の内容は無い様になった。
食事の前に室内での話はまずかった。(弁当はうまかった)
30分時間をもらっていたが20分過ぎには「腹減ったー」の声
それも年を推定すれば80歳近い婆様。≪お主その年でまだめしを食うか≫・・・陰の声
仕方ない。お客様は神様です。
「以前百瀬川と呼んでいたが砂留が出来たから、その上を流れる水がドウドウと音を立てて流れることから堂々川と地元の人は呼んだ」の結末で終わった。
お昼から堂々川をバスで眺め、国分寺を観覧。
あらら!案内人がいない!困ったこまった!
「案内人が道に迷い、遅れるのでしばらく堂々川を!」と断り
時間つなぎに堂々川での未消化部分を話した。
でも本当の案内人はどこへ行ったのでしょうか。
最後の工程は古墳時代に造られたの大型古墳「大坊古墳」見学
中条地区にある道路から少し歩いて山を登るとある古墳
人間が立ったままで入れる
人がすべて、でた後で写真を撮るとかなり大きな石棺と思えた。
71人も参加いただいた年1度の史跡めぐり、
雨にもかかわらず、キャンセルもなくそして怪我なく無事終わられたことに感謝!
ある場面で光り輝く人の頭が写真に入っていた。
その写真はブログ構成上では必要であったが、毛がなく終えたので消去しました。
「ふるさと再発見」をテーマに神辺町観光協会が毎年実施している史跡めぐり。
毎年同じ史跡7か所を回るのだが今年もドラマが待ち受けていた。
まず最初が参勤交代で備後より西の大名が宿泊する宿場町にある「本陣」を訪ねる。
神辺には当時西本陣と東本陣があったが現在は西本陣が残っており、家業にしていた酒造場の建物も残っている。母屋の北側には馬屋や物見櫓も現存している。
雨の本陣、母屋の裏にそびえるイチョウの木も少し霞んで見える。
説明員が高齢の為、急に声が出なくなったので若干予定時間が早まった。
西本陣を表門から見る
通常は神辺の街並みを見ながら廉塾まで歩くのだが雨の為バスで移動。
時間が30分ほど早目についたから雨にぬれていた楠もクスクス笑で苦笑するはめになった。
クスの木が雨に濡れている
ここでは専属のガイドが分かりやすく説明をしている。
土・日であれば廉塾の道路反対側のガイド待合室でガイドが待機している。
瀬山陽が塾頭をしていたこともある講堂へ
又バスで夕日の里、神辺竹尋葛原邸へ
約4kmのバスの中では説明員が赤鬼・青鬼の話や四面地蔵の紹介をした。
ちなみにブログの主は1号車の説明をしている。
葛原邸
童謡や校歌の作詞で有名な葛原しげる先生と師の祖父である葛原勾当(勾当日記、木活字の印刷道具の発明、琴の名手、二弦琴の発明他)の生家を見学。
童謡夕日
童謡トンビ
お昼前の最後の訪問は茶山記念館の見学。
道しるべ
菅茶山座像絵
雨でなかったら堂々公園で昼食となるはずが商工会館に変更され、
我が名文句と始まったばかりの絶景の紅葉は見られず、寝るのを我慢して考えた景色とマッチした話の内容は無い様になった。
食事の前に室内での話はまずかった。(弁当はうまかった)
30分時間をもらっていたが20分過ぎには「腹減ったー」の声
それも年を推定すれば80歳近い婆様。≪お主その年でまだめしを食うか≫・・・陰の声
仕方ない。お客様は神様です。
「以前百瀬川と呼んでいたが砂留が出来たから、その上を流れる水がドウドウと音を立てて流れることから堂々川と地元の人は呼んだ」の結末で終わった。
お昼から堂々川をバスで眺め、国分寺を観覧。
あらら!案内人がいない!困ったこまった!
「案内人が道に迷い、遅れるのでしばらく堂々川を!」と断り
時間つなぎに堂々川での未消化部分を話した。
でも本当の案内人はどこへ行ったのでしょうか。
最後の工程は古墳時代に造られたの大型古墳「大坊古墳」見学
中条地区にある道路から少し歩いて山を登るとある古墳
人間が立ったままで入れる
人がすべて、でた後で写真を撮るとかなり大きな石棺と思えた。
71人も参加いただいた年1度の史跡めぐり、
雨にもかかわらず、キャンセルもなくそして怪我なく無事終わられたことに感謝!
ある場面で光り輝く人の頭が写真に入っていた。
その写真はブログ構成上では必要であったが、毛がなく終えたので消去しました。