自然を尋ねる人

自然の素晴らしさ、豊かさ、人と自然の係わり合いを求めて!自然から私たちにくれる贈り物を見つけるために今日も歩く。

神辺史跡めぐり

2009-11-01 14:36:33 | Weblog
31日薄らと汗が出るような気温。
神辺町観光協会が募集した史跡めぐりに参加の60人と役員のみなさん。
9時30分商工会館前を出発。
徒歩で神辺本陣へ。


黒田藩のお抱えの様な神辺西本陣
次の廉塾前に東本陣の跡がある

どうしても気になったから載せた蝉の抜け殻、多分クマゼミ
うるさい!この数、夏の騒がしさは経験者しか分からないだろう


神辺を悪の町になるのを阻止した管茶山師
茶山が教えた学校跡、国の史蹟、廉塾


ガイドの説明
土日、祝日はガイドが説明してくれる

日本外史著者、頼山陽も手を洗った、石の方円手水鉢


バスで移動葛原しげる童謡歌碑


葛原邸前

夕日、トンビ、村祭り・・・


菅茶山記念館、茶山やその友人の絵、書が展示されている。



沢山展示されているのに、絵、それだけ!
「お昼が来たので急ぎます。次の堂々公園で昼食です」
タイミングが良いことばであった。

空は青空、ジョウビタキもやってくる、
紅葉が始まりだして、楓の葉っぱが赤い。
観光協会の会長さんがクスの葉っぱでふく草笛
「秋の夕日に照る山もみじ・・」の音色が堂々公園の雰囲気を変える。

食事が終わると堂々川の説明
昔は百の渓谷の瀬があったから百瀬川と呼ばれていた。
江戸時代、砂留を作り始めて、大雨が降ると川は増水して
「どうどう」と音を立て、砂を含んで流れ落ちたので堂々川と呼ばれるようになった。
確かに今渓谷が見える場所は3か所しかないので、百瀬の面影はない。



名調子の説明を聞いたのちバスは下流の国分寺へ。


この寺の住職のお話、歴史にPRに話題豊富で素晴らしい


そして最後が大坊古墳
直径約20mの円墳、6世紀終わりごろのものらしいが
大きな石をどのようにして運び、削ったか。




古墳の内部


少し疲れた史跡めぐりだったが



誰かが食べなさいと渡して下さった神辺の名物
茶山饅頭を食べた。食べると疲れが取れたような気がした。