日々改善

今日の問題を明日に残さない!問題解決を図って行く様をリアルに描写していきます。経営コンサルの視点で物事を見ていきます。

優しさの真理と自慰

2007-10-22 | 他人のフリ見て我が身を正す
貴方の優しさは本物か?
年に何度も言う言葉です。
真理の勉強をしているといつの間にか自分がその道を極め
周囲がそれを理解していないのだといういう誤解をしてしまいます。
本当に表面的な優しさは真理をついているのでしょうか?

ここでいう表面的な優しさとは
一般的な道徳です。(道徳=死後??)
困った人がいたら助けなさい。
人と目があったら挨拶をしなさい。
このようなことを教えられたように思います。
これは心を添えなくてもできるものであるが故に
普通道徳といわれます。

私は普通道徳を否定はしません。
むしろ当たり前の事だから率先してやりたいと思っています。

次の事は優しさでしょうかそれとも意地悪でしょうか?
①足の不自由な友人にいつでも手を貸すこと
②自分の給料は自分の好きに使っている友人が月末お金が足りないと泣きこんで来た時にお金を貸すこと
③パソコンが使えない友人が代わりに企画書を作ってほしいというから作ってあげること
④朝から晩まで仕事をしている飲食業の友人に最近味が落ちたことを敢えて伝えないこと

上記①~④はすべて優しさではないことはお分かりいただけると思います。
むしろ人殺し(大袈裟でしょうか?)に近いものが有ります。
足が不自由な友人は自らの力で歩けるようにしてあげなければならないのではないですか?
自分の給料を使い果たす友人には使わない、貯蓄することの大切さを教えなければならないのではないですか?
パソコンが使えない友人は会社では役立たずになっているのではないですか?
味が落ちたことを教えないとお客様が来なくなり友人が売上不振に四苦八苦するのではないですか?
そんなことも言えない様なら自分の優しさに自慰行為をしているのと同じです。

優しさを履き違えてはいけません。
優しさは本人の為になることをすることです。
決して甘い関係で居る事が優しさではないはずです。
一瞬嫌な顔をされてめげる位の友情ならいつ壊れてもおかしくは有りません。
本当に相手を思うなら敢えて苦言は呈するべきです。

後は言い方一つなのかもしれませんね。
コメント
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