と、懐かしい画像を見てると、次々と思い出が蘇ってくる。
高校時代、ほとんど勉強せず(仮進級まで…)、大学受験も試験2か月前から勉強始め(バカだろ)て全滅と、「何しに高校へ行ってたんだ」 状態でした。
どう記憶を辿ってみても、「勉強しに高校へ」 って感覚はとうとう無かったよなぁ。
「楽器吹きに高校へ行く」 って感覚は、実感を伴い物凄く強かったんだけど(汗。
凄くトロンボーンが好きだったけど、我流だし才能無いの実感してたから、音楽の道というのも考えられなかった。
でも、仲間と2年半、吹奏楽部で楽しめた事は、高校時代 最高の思い出 であり、「宝物」になった。
卒業して7年の後、「第一回 定期演奏会」 をやるからOB参加しないか? と顧問(恩師)から誘われ、できて間もない海老名市民会館で再び楽器を吹いた。
これが切っ掛けになり、「楽器はやっぱり楽しい」 と思ってしまった。
その後、第四回から不定期で 高校の定期演奏会にお邪魔した。
OB会ができるのずっと後だから、生徒とOBが一緒に定期演奏会を作ってる時代です。
そして自身の夢だった(高校時は貧乏で楽器買えなかった)楽器を手に入れ、SWEの門を叩き、福島先生の下で楽団活動も楽しんだ。
夢のような時間だった。
ある時、同期でフレンチホルンの友人が新婚旅行から帰り、仲間内で宴会しようという事になった。
一晩中、チーズフォンデューでドンチャン騒ぎし、皆で泊まった。
…翌朝、目をさまし起き上がろうとして異変に気付き、隣で大イビキかいてたチューバの友人を引っ張って起こした。
起き上がれない!
慌てて仲間が救急車やら、乗って行った車(三菱ジープ)の移動にと走り回ってくれた。
日曜日で、救急車に乗せられても収容病院がなかなか決まらず、ご近所の方達が 「大丈夫かい」 って集まる始末。
渋滞を抜け、担ぎ込まれたのが 国立相模原病院。
運よく、北里大学病院の若い先生が研修を兼ねて当直してらしてくれ、対応してくれた。
「腹膜炎」、急性盲腸が派手に破けていた…。
3時間の手術、6本のドレン(管ね)を体内に入れる大騒ぎになった。
およそ20日間の入院に。
「あと1時間遅かったら手遅れだった」 とベッドの上で聞かされた。
ドレンを通すため お腹に沢山の穴を開け、鍛えてた腹筋はズタズタになった。
腹膜と何とかがくっついてしまったため、将来 胆石とかできても 膨らまして穴から治療する簡易的な術式はもうできないらしい。
先生に 「止めはしないけど、楽器を続けるのは考えた方がイイ」 と言われた時は 「目の前が真っ白」ってヤツを経験した。
その後、体調がなかなか戻らなかった事もあり、「潮どきかな」 と音楽活動にピリオドを打った。
高校の後輩が麻布獣医大に進学した際、ユーフォニウムだが 「トロンボーンが少ないから移って」 と言われたが楽器が無いと言ってたので、マイ楽器を言い値で譲った。
始まりがあれば、必ず終わりがセットで存在します。
自分の大好きな トロンボーン、そして音楽活動を教えてくれ、支えてくれたのは間違いなくこの狭い敷地の仲間たちだった。
ある意味 「キッカケ」 はココから始まり、ココで終わったのかもしれません。
ヤバ、思い出したらちょっとジーンってなってる(歳はとりたくないなー)汗
う~ん、やっぱり自分の 高校生活ってのは 結局のところ 「トロンボーン」 と 「吹奏楽」 そのものだと再認識ですw
渕高に感謝ww