信州生坂村「山紫水明 食と文化癒しの郷!」

山清路、大城・京ヶ倉等の自然。赤地蔵、百体観音等の伝統。おやき、おにかけ等の食文化を持つ生坂村!

長野県河川協会関東地方整備局への要望活動&令和6年度 治水事業促進全国大会&要望活動&御曹子橋周辺からの風景

2024年11月12日 | 私の活動報告
 11月12日(火)は晴れて日差しが届き、朝晩は冷えたものの、昼間は過ごしやすい体感でした。
 午前11時前からは、国土交通省 関東地方整備局に行き、長野県木島平村ご出身の河川部 河川調査官 内掘 寿美男氏はじめ幹部の皆さんに要望書をお渡ししました。

 その後11時から、関東地方整備局 河川部長 矢崎 剛吉氏に要望書をお渡しし、面談要望をさせていただきました。

 「防災・減災、国土強靱化のための5か年加速化対策」や「信濃川水系緊急治水対策プロジェクト」及び各水系の「流域治水プロジェクトの推進」に必要な予算を当初予算から配分していただきたい。
 「流域治水」を加速化、深化させるために、特定都市河川の指定等へのご支援、ご指導をお願いします。

 国所有の排水ポンプ車・資機材の増強を図り、広域的な浸水被害への対応強化をお願いします。
 TEC-FORCEの派遣や国による権限代行等を通じて地方自治体の災害復旧を全面的に支援できるよう、整備局の人員確保・体制強化を引き続きお願いします。
 以上4項目を要望させていただきました。

 午後1時30分からは、特別講演として「私たちは流域で幸せを見つける~関係人口とリジェネラティブ~」と題して、『ソトコト』編集長 指出 一正氏から講演をしていただきました。


 続いて午後2時30分から令和6年度治水事業促進全国大会が、シェーンバッハ・サボーで開催されました。



△ 主催者挨拶として全水連 脇雅史会長の挨拶で始まりました。

△ 国土交通省 水管理・国土保全局 局長 廣瀬昌由氏より祝辞を頂戴しました。


△ 治水事業概要説明として、長野県千曲市出身の国土交通省 水管理・国土保全局 治水課長 笠井 雅広氏から説明をしていただきました。


△ 山形県 戸沢村 加糖 文明村長から「山形県戸沢村における令和6年7月豪雨災害」と題して意見発表をしていただきました。

 最後に「気候変動等を踏まえた治水事業の加速と予算の確保」「流域治水対策の加速化・深化/流域総合水管理」「地震・津波対策/戦略的維持管理」「生産性向上/2030ネイチャーポジティブ」「組織・人員の強化」などを強く要望する決議案が全会一致で採択されました。

 本日も全国で466名の市町村長が出席された中で、長野県は全国で最も多い38市町村長が出席され、長野県内の治水事業促進に対する熱意が伝わったことと考えます。

 その後我々A班は、衆議院議員4名に要望させていただき、中川宏昌衆議院議員はいましたので、要望書をお渡しながら要望し、一緒に写真を撮らせていただきました。

 長野県河川協会は3班に分かれて要望活動をし、長野県関係の衆議院議員、参議院議員の皆さんに治水事業の促進等についてご支援・ご指導を要望させていただきました。要望活動にご参加いただいた市町村長をはじめ関係各位に感謝を申し上げます。

御曹子橋周辺からの風景
△▽ 毎朝恒例の写真と動画は、先日撮影の朝霧が晴れてきて朝日が差してきた御曹子橋周辺からの風景です。

 本日生坂村では、保育園で誕生会(11.12月以上児)、小学校で修学旅行事前検診・県立中志願受付~14日、子育て支援センターでママヨガ、いどばたキャラバンin下生野、4班の皆さんの元気塾などが行われました。



災害復旧促進全国大会&長野県河川協会要望活動&日岐上空からの風景

2024年11月11日 | 私の活動報告
 11月11日(月)は雲が広がっていても段々と晴れて青空が広がり、昼間は過ごしやすい体感でした。
 午後1時30分から砂防会館別館1階「シェーンバッハ・サボー」において、令和6年度災害復旧促進全国大会が開催されました。
△ 主催者挨拶として、脇 雅史会長の挨拶で始まりました。


△ 国土交通省 事務次官 吉岡 幹夫氏よりご祝辞を頂戴しました。。

△ 塩田 博昭 参議院災害対策特別委員長からもご祝辞を頂戴しました。

△ 令和6年度災害復旧及び災害防止事業功労者表彰として、個人55名と39団体が表彰され、代表として奈良県天川村長 車谷 重高様が受賞され謝辞を述べられました。


△ 国土交通省災害対策概況説明として、西澤 賢太郎防災課長より、災害復旧に関する最近の話題ついて説明していただきました。


△ 地方代表意見要望発表として、石川県 珠洲市長 泉谷 満寿裕氏から「能登半島地震と奥能登豪雨災害の現状」と題して意見発表をしていただきました。


△ 続いて、山形県 酒田市長 矢口 明子氏から「令和6年7月25日からの豪雨災害について」と題して意見発表をしていただきました。
日岐周辺からの風景
 私は要望活動のため申し訳なかったですが、意見発表の後中座しましたが、最後に「近年の災害の頻発化・激甚化により、全国各地で公共土木施設が被災し、数多くの地方公共団体が災害復旧事業を懸命に進めている状況に鑑み、過年度はもとより、今年度に被災した公共土木施設の速やかな復旧を図るため、災害復旧事業の国庫負担について、必要かつ十分な財源を確保すること」など、8項目を強く要望する決議案が全会一致で採択されたとのことです。

 本日は全国から多くの市町村長が出席された中で、長野県は全国で最も多い36市町村長が出席され、長野県内の災害復旧事業の促進に対する熱意が伝わったことと思います。

 我が班は、国土交通省への要望として、国土交通省の事務次官、技監、国土交通審議官などと、国土交通省水管理・国土保全局 局長をはじめ、次長、官房審議官、各課長などに要望させていただきました。

 国土交通省 技監 廣瀬昌由氏には面談要望をさせたいただき「防災・減災、国土強靱化対策のための5か年加速化対策に必要な予算・財源を例年以上の規模で確保し、計画的に事業を推進すること。また、改正国土強靱化実施中期計画を踏まえ、5か年加速化対策期間完了後においても、国土強靱化実施中期計画を令和6年内に策定し、必要な予算・財源を通常予算に加え別枠で確保して、防災・減災対策に継続的に通り組むこと。」など6項目を要望させていただきました。

 引き続き、国土交通省水管理・国土保全局 局長 藤巻 浩之氏に「信濃川水系緊急治水対策プロジェクト」及び各水系の「流域治水プロジェクト」について、必要な予算を確保し、位置付けた事業の整備促進を図ること。」
 また、「流域治水の取組への財政支援について、地方自治体が利活用しやすいよう、省庁を跨ぐ流域治水対策に係る総合的な交付金を創設すること。」

 続いて、「県土の骨格をなす千曲川・犀川・天竜川・木曽川等の県管理区間について、地方の財政状況や、激甚化・頻発化する豪雨災害への対応などの実情を踏まえ、様々な課題を解決した上で、国による一元管理とすること。」など6項目を要望させていただきました。

 長野県河川協会は5班に分かれて要望活動をし、長野県関係の衆議院議員、参議院議員の皆さんと、国交省の担当者に要望書をお渡し、上記の内容等についてご支援・ご指導を要望させていただきました。要望活動にご参加いただいた市町村長をはじめ関係各位に感謝を申し上げます。

△▽ 毎朝出勤前恒例の撮影は、朝霧が立ち込め始めた生坂ダム湖や日岐上空からの風景を撮影しました。

 本日生坂村では、保育園で入所説明会、小学校でクラブ、中学校で防災週間~17日、朝防災集会、歯科検診、やまなみ荘村内無料入浴日などが行われました。

長野県町村会県への要望&万平集落上空からの風景

2024年11月08日 | 私の活動報告
 11月8日(金)は晴れて日差しが届き、朝は今シーズン一番の冷え込みで昼間も肌寒く感じられました。
 午前10時からは、長野県総合事務組合正副管理者会議として、来年度新規採用職員の面接を行いました。1次試験、2次試験に合格した方々を正副管理者3名で面接をして合否を決めました。


 午後1時30分前からは、長野県町村会の正副会長3名と県町村議会議長会の正副会長2名が、県議会への要望として、県議会山岸議長に要望書を渡しました。


 県町村会 羽田会長から、町村会で協議して提案する26項目の中、重点提案9項目の内「人口減少対策の推進」「地域公共交通対策の推進」「医療・福祉人材の確保」「国民健康保険及び介護保険制度の安定運営の確保」「県管理道路・河川の不法投棄防止対策の推進」の5項目に対して説明されながら要望いたしました。

 次に、県町村議長会 下出会長からの提案・要望については、重点項目の「地域経済活性化対策の推進」「産業振興対策の推進」「道路等交通網の整備促進」「河川・砂防施設の整備促進」の4項目に対して説明され要望しました。

 県議会山岸議長からは、要望事項に対して県議会で対応している状況の説明などの回答をしていただき、要望事項に関してや議員の成り手不足等について意見交換をしました。

 私からは、山岸議長が長野県道路整備期成同盟会の会長ですので、道路・河川・砂防関連の予算確保を県議会の議員各位と市町村で連携して確保していきたいなどの意見交換をさせていただきました。


 午後2時20分からは長野県町村会役員会が開催されました。
 最初に、県産材利用・脱炭素推進条例(仮称)について県議会の関係議員各位から説明していただきました。
 続いて、羽田会長から挨拶をいただき、役員会の協議事項は、知事への要望について、町村長会議について、長野県市町村自治振興組合議員の選任(案)について、ダム・発電関係市町村全国協議会理事の推薦(案)について、法律・法制執務支援に係る顧問弁護士との委託契約(案)について、12月役員会等日程等について協議し、原案通り承認されました。

 報告事項としては、国への要望運動について、東筑摩郡村議会議長会からの要請について、自治労長野県本部からの要請について、全国町村会の動向についてなど報告があり協議をしました。
万平集落上空からの風景
 
 午後4時からの知事への提案・要望は、県町村会 羽田会長と県町村議長会 下出会長から阿部知事に要望書を手渡してから始まりました。


 最初に県町村会 羽田会長から、町村会で協議して提案する26項目の中、重点提案9項目の内「人口減少対策の推進」「地域公共交通対策の推進」「医療・福祉人材の確保」「国民健康保険及び介護保険制度の安定運営の確保」「県管理道路・河川の不法投棄防止対策の推進」の5項目に対して説明されながら要望いたしました。

 次に、県町村議長会 下出会長からの提案・要望については、重点項目の「地域経済活性化対策の推進」「産業振興対策の推進」「道路等交通網の整備促進」「河川・砂防施設の整備促進」の4項目に対して説明され要望しました。

 阿部知事からは、重点9項目は何れも重要であり、今長野県は人口施策に取り組んでおり、要望のかなりの部分が人口に関係することで、地域の担い手、産業の担い手、どう向き合っていくか、どう変えていくかであり、物価が上がって賃金が上がっていけば良いが、人口減少下の中で、県民の生活をどう支えていくか、公共交通は本来、国がもっと地域公共交通に予算を回す様に国に要請しているところであります。

 人口減少は色々な課題をもたらし、産業のリノベーションを起こし、前向きに捉えていきたいが、アメリカに行ってきて、日本食ブームであり、輸出はもっと伸びるし、観光客のインバウンドも増えており、観光客を掘り起こせるし、長野県は素晴らしい自然、歴史や文化を持っていて潜在力があるから、もっと海外にも目を向けていく取り組みも重要で、県と市町村が方向性を共有して、県民の暮らしを支えるためにしっかり連携と協働をして、重要な局面を寄り添って乗り切ってまいりましょうなどと挨拶をされました。

 羽田会長と下出会長から説明されました重点提案・要望書について、それぞれ担当の部長各位から詳しく回答をしていただきました。

 移住セミナー、イベントの開催、移住・定住の促進、人口戦略、若年層の人口流出、戦略の策定、地域公共交通の財源確保、国へ予算確保の要望、社会資本整備総合交付金、鉄道に対する財政支援、国が責任を持って維持確保、地域振興局長とダイヤ改正等JRと協議、利用者の利便性の確保、医師の確保、医師偏在の是正、地域医療を支える医師の確保、国に要望、保健師・看護師の確保、看護大学校、医療機関への支援、定着に向けた取組、県から保健師の派遣、国民健康保険の安定的な運営、運営方針に基づき算定など、様々な取組を説明されました。

 障がい児・障がい者・発達障がい支援、自立支援、監視カメラ2台・ドローン1機で産廃の監視、市町村と情報共有、不法投棄ホットライン、産廃処理業者の指導、不法投棄情報長野、情報共有、東京一極集中の是正、関係人口の重視、お試し長野、信州リゾートテレワーク、地域資源活用、地域内の経済循環、生産コストの低減に向けた対策、幸せバイ信州、消費者理解、国への予算確保の要請、農業の持続的発展、国の補助事業の積極的な活用、技術者の確保など多岐に渡った施策等を説明されました。


 急傾斜、造林補助事業、条件補助地域、精査して検討、観光プロモーションの実施、インバウンドの関係者との連携、パッケージ型のインターシップ、人材確保の取組、観光財源の確保、不法投棄防止、広報・啓発、道路河川に対してのパトロール、関係機関と協議、中部横断自動車道の状況、中部縦貫自動車道の現状、三遠南信自動車道の状況、道路改良率67.2%、地方創生道路整備推進交付金、社会資本整備総合交付金、防災・安全交付金等による事業推進、河川・砂防の対策、防災・減災、国土強靱化ための5か年加速化対策、緊急自然災害防止対策事業債、緊急浚渫推進事業債、河川整備計画の早期策定、土砂災害警戒区域、約22,000区域、要望活動の推進、ハード対策・ソフト対策の両立など、盛り沢山の取組の現状等について説明されました。 


 重点提案・要望やそれ以外の要望項目についての意見交換では、首長の公約に子育て支援や人口減少対策で、給食費の無償化、18歳までの医療費の無料化は、今後全市町村で行うようになると思うので、国で子育て支援として行うように要請すること、ゼロカーボンの対策の地域公共交通において、グリスローモビリティの補助金がなく、ライドシェアは行政の枠を超えて行わないといけないが連携が難しいと思うこと、全国知事会からの9提言をして、その中で子育て支援もお願いしており、財源の平準化やナショナルミニマムでなければいけないこと、
 医療・福祉人材の確保は大切であり、介護報酬改定などがあり、これからも国に要請していきたいこと、しなの鉄道の支援については、鉄道ネットワークは重要であり、国の責任を持っての対応をお願いし、国土強靱化や人口減少戦略骨子案を策定していく中で、保健師の派遣等人材派遣のイメージは圏域ごとに議論していきたいなど多岐に渡り意見交換をしました。

 長野県町村会は4部会の政務調査会で時間を掛けて協議をし、26項目の提案・要望をしていますので、今後とも阿部知事はじめ関係部署の皆さんのご指導・ご支援をよろしくお願いいたします。




△▽ 毎朝出勤前恒例の撮影は、万平集落に上がり、朝霧が深く立ち込めていた上空からの風景を撮影しました。

 本日生坂村では、小学校でいくさかわくわく楽校体験広場(全校参観日)・5年試食会、中学校で人権タイム(朝)・2年生1.2校時家庭科、文化財保護委員会、3班の皆さんの元気塾などが行われました。


草尾上空からの風景&衆議院議員選挙の結果

2024年10月27日 | 私の活動報告
 10月27日(日)は天気下り坂で午後には雨が降り出し、夕方以降は強まり、昼間は一寸蒸し暑さを感じました。

△▽ 毎朝恒例の写真と動画は、先日撮影の雲が間から青空が覗いていた草尾上空からの風景です。
草尾上空からの風景


 本日は、昨日の東京お台場で開催された第5回ハンガリーフェスティバル2024に出展した後、近くのホテルに泊まりましたので午前9時に帰路につきました。
 日曜日ということもあって、都内はそんなに混んでなく、岡谷ジャンクションの工事箇所もスムーズに通れて、皆でお昼を食べて午後1時過ぎには家に着きました。

 荷物を片づけた後は、3番目の孫を連れて役場に行き、決済とデータ整理をして、夜は早めに夕食を済ませ、衆議院議員選挙に立候補した務台候補の選挙報告会に出席しました。

 自由民主党には裏金問題などがあり、大変な逆風の中の選挙で劣勢とのことでしたので、午後8時ちょうどには相手方の下条候補に当確が出て、務台候補の敗戦の弁を聞いて帰ってきました。



 前回の選挙のように北陸信越比例区の復活を願って、ブログを作成しながら選挙速報を見ていましたが、深夜12時前に比例区全員の当確が出て落選が決まってしまいました。

 務台候補は、長野県2区のため、生坂村のためにとても尽力していただきましたが、残念な結果になり、生坂村としても今後どの様に中央要望をしていくか、東筑摩郡の村長達や県議などと相談してまいりたいと思います。

 本日生坂村では、衆議院議員選挙、国民審査投開票などが行われました。




令和6年度 第36回松本地区育樹祭&山形村150周年記念式典

2024年10月22日 | 私の活動報告
 10月22日(火)午前10時から令和6年度 第36回松本地区育樹祭が麻績村聖高原聖湖周辺で行われました。


 松本地域森林林業振興会副会長の私の開会のことばで始まり、主催者側を代表され宮島松本地域振興局長、開催地の当振興会会長の塚原麻績村長、来賓を代表され中川県議会議員、峯村村議会議長からそれぞれの立場のご挨拶をいただきました。




 麻績小学校のみどりの少年団により「みどりのふれあい宣言」が行われ、次世代に緑化意識の大切さを伝えていただきました。

 長野県林業総合センター 向山所長から麻績小学校みどりの少年団に「記念品」を贈呈しました


 令和5年度緑化功労者報告として、塩尻市のボランティア団体「一期会」が農林水産大臣賞を受賞しました。これは、塩尻市や朝日村で森林整備に取り組んできた功績が評価されたものです。
 一期会は、平成16年に県が主催した林業の体験講座に参加した人々と賛同者で結成され、塩尻市片丘に拠点を置き、間伐や工作教室などの活動を行っています。

 松本広域森林組合 臼井筑北支所長から育樹作業の説明をしていただきました。

 次期開催地の安曇野市の耕地林務課長が、太田市長の代わりに式典閉式のことばを述べられました。

 式典後は、聖湖周辺の植樹作業エリアと育樹作業エリアで、記念樹の森維持管理、眺望確保などのために、灌木等の不要木の徐伐、下草刈りなどの作業をそれぞれの班に別れて実施しました。

  我々主催者側は、それぞれの班に分かれて記念樹の植樹作業を来賓とみどりの少年団の皆さんで植えました。

 一班の皆さんが真っ直ぐに建立した記念標柱を囲んで、それぞれ来賓と主催者の皆さんとみどりの少年団の皆さんで記念撮影をしました。


 多くの参加された皆さんも、それぞれの場所で一生懸命に不要木の徐伐、下草刈りなどの育樹作業をされていました。


 
 作業後のお昼ご飯は、麻績村の皆さんなど主催者側の皆さんが用意をしていただいた、おにぎりとトン汁と鹿肉の唐揚げを美味しく頂戴しました。

  塚原村長をはじめ麻績村の皆さん、宮島松本地域振興局長、丸山林務課長ほか職員の皆さん、松本地域森林林業振興会の皆さん、松本地域3市5村の林業・林務の関係の皆さんなど多くの皆さんのご参加とご協力に感謝を申し上げます。

 午後2時からは、山形村農業者トレーニングセンターにおいて、山形村開村150周年記念式典が開催され出席しました。


 山形村 赤羽副村長の開式のことばで始まり、本庄村長の式辞では、明治7年10月22日に大池村・小坂村・竹田村の3村の合併により誕生し、本年で150年を迎え、山形村の名前は、山の方の3か村、山方三か村と呼ばれていたことに由来し、松本市街地から15キロほど南西に位置して、西山沿いに広がる人口約8,500人が暮らす村です。

 基幹産業である農業では、特産の長いもが山形村を代表する農産物として知名度を誇っています。当村西山の標高1,200メートルの山中にある清水寺は、伝承によりますと、天平元年、西暦729年に行基により創建され、自ら千手観音菩薩像を彫刻し安置したと言われております。現在に至っても、京都清水寺様とは交流を温めており、村民の心の拠り所となっております。

 この西山の北のふもとには、江戸時代から続く唐沢そば集落があり、県内外から大勢の人がそばを求めて訪れております。
 開村150年を迎え、村民の皆様の価値観も多様化してきましたが、それぞれの違いを互いに認め合い、多様性を力に変え、住みがいのある村づくりを村民の皆様と共に進めてまいります。
 山形村の発展にご尽力いただいた全ての皆様に感謝を申し上げ、これからも山形村の明るい未来に向けてお力添えを賜りますようお願い申し上げますなどと述べられました。

 山形村に貢献されて来られました「地方自治功労」「産業功労」「社会福祉功労」「消防水防功労」「特別功労」「学術芸術体育文化功労」の方々がそれぞれ表彰され、山形村元副村長・土地改良事業代表等の百瀬泰久さんが謝辞を述べられました。


 来賓祝辞として、下条前衆議院議員、務台前衆議院議員、百瀬県議会議員、宮島松本地域振興局長、臥雲松本市長、私、小林朝日村長、大月議会議長がそれぞれの立場から祝辞を述べられました。







 私からは、 先人達が培ってきた昔ながらの文化と、それぞれの時代に沿った発想とが融合し、村民の皆様をはじめ、関わってこられた多くの皆様が育んできた150年という大変長い歴史は、全国で最も村の数が多い長野県の、私ども村長にとりましても、誇りに思うものであr、関係の皆様に、改めて敬意を表する次第であります。

 さて、近年は、地域の諸課題が高度化・多様化する中、住民の皆様にとりましても最も身近な自治体である村が果たす役割は益々大きく、かつ、重要となってきております。

 これら地域の諸課題は、行政のみが取り組んでいても真の解決には至りません。村民の皆様には、これまで受け継がれてきた地域の絆や特性、そして創意と工夫により、将来の山形村の発展にご尽力されますよう願うところでございます。

 私は、県内58町村で組織する、長野県町村会の副会長と東筑摩郡村長会の会長を務めておりますが、県町村会といたしましては、「町村の繁栄こそが日本全体の繁栄の原点である」との信念の下、村や町の負託にこたえ、県内町村の振興発展に向けて、諸事業、諸活動を展開してまいる所存であります。
 また、東筑摩郡村長会は、良好な協力関係を築き様々な諸課題に対し取り組んでおりますが、5村の中で人口が最も多く、産業面においても農業と商工業がバランスよく振興が図られてきている経験豊かな山形村でありますので、本庄村長さんにおかれましては、引き続きのご協力をお願い申し上げる次第であります。

 結びに、本日ここに山形村開村150周年のよき日を迎えられましたことを改めてお喜び申し上げますとともに、山形村の一層のご発展と、村民の皆様のご繁栄、ご健勝を祈念いたしますなどのお祝いの言葉を申し上げました。

 祝電披露と特別寄付披露があり、教育長さんの閉式のことばで終了しました。
 山形村開村150周年誠におめでとうございました。山形村の益々のご発展と村民の皆様のご健勝とご多幸をご祈念申し上げます。




全国治水砂防協会北陸信越地区支部長・参与会議&古坂上空からの風景

2024年10月08日 | 私の活動報告
 10月8日(火)は厚い雲に覆われ雨模様で時々強く降り、肌寒い体感でした。
 前日の全国治水砂防協会北陸信越地区支部長・参与会議に続き、本日は視察研修が行われ参加しました。

 宿泊先のホテルを朝8時30分に出発して、元旦に発生した能登半島地震により液状化現象による被害に見舞われた氷見市北大町の現場を視察しました。

 ここでは、液状化による被害は、住宅や店舗の損壊、電柱の傾きなど多岐にわたっていました。
 液状化とは、地震による振動によって、地下水位より下の地盤に堆積した砂粒同士のかみ合いが外れてドロドロになる現象です。液状化が発生しやすいのは、地下水位が高く、ゆるく堆積した砂地盤です。

 氷見市では、液状化の再発防止対策として、地下水位をポンプでくみ上げて下げる方法や、地中にセメントで壁を作って地盤を補強する工法などの検討が行われています。
 また、液状化の被害を受けた住宅の公費解体も進められていますが、倒壊の恐れがあり緊急で解体されたものを合わせると着手できているのは、数軒に留まっていました。

 次に、氷見市の園地区にある高さ30メートルほどの山では、能登半島地震で幅40m、高さ22mにわたって、崩壊土砂V=約800㎥(崩土・倒木)の崖崩れが発生しました。

 その応急対策状況として、崩落土砂と倒木の撤去、大型土のう(2段:430個)設置、観測センサー(傾斜計・伸縮計)の設置、大型土のう(西側2段→4段 120個)追加設置などを行いました。                                                                                

 また6月23日の大雨では崖崩れのすぐそばの斜面に亀裂が入ったため、周辺の6世帯が一時自主避難しました。
住宅への被害はなく、けが人もいませんでしたが、県は、大雨の時期を迎える中で土砂災害を防ごうと、崩れかかっている土砂を取り除く作業を進めました。

 ロッククライミングマシン工法による斜面掘削、切土960㎥、盛土300㎥の斜面整形、植生工A=1,000㎡、斜面全体に水抜きパイプ埋設の排水工を施し、応急対策が完了しました。
 今後は、保全対象人家7戸に対して、待受け式擁壁工L=120mを検討中で、早ければ国の今年度補正予算か、来年度当初予算でお願いしたいのとのことでした。

 次に、能登半島地震により、道の駅雨晴(津波の指定緊急避難場所)の隣接斜面が崩落し、1m程度の落石が発生した箇所の視察を行いました。
 この箇所の隣地の法枠工と待受擁壁を整備した道の駅の裏の斜面では、落石は発生しませんでした。(津波警報の発表時には、約30名の避難がありました。)
 このことから、道の駅等への被害を未然に防止し施設効果を発揮したと考えられます。

 ここは、幅50m、高さ47mにわたって崖崩れが発生し、その応急対策として、大型土のう設置、観測カメラの設置、定期的に肉眼による観測をしているとのことでした。

 今後は、保全対象民家5戸、国道415号、JR氷見線に対して、法枠工A=4,800㎡を検討中でした。

 時間に余裕があったので、最後に今年度完成しました小矢部川水系五十里道重堰堤を視察しました。
 富山県は、災害から県土を保全し、県民の安全安心な暮らしを守るため、土砂災害を防ぐ砂防設備、地すべり防止施設、急傾斜地崩壊防止施設等の着実な整備を進めるとともに、長寿命化計画などのソフト対策を進めています。
 堰堤はクローズ型でこの砂防施設整備により、土砂災害から保全される民家は約50軒であるとのことで、現地は地籍調査が済んでおらず、用地交渉に時間を費やしたとのことであります。

 視察研修の対応をしていただいた富山県砂防課や関係の皆さんには、4箇所の視察させていただき色々と勉強になり御礼申し上げますとともに、新潟県土木部砂防課の皆さんはじめ関係各位には、2日間大変お世話になりましたことに感謝申し上げます。


 役場に戻ってから、午後4時45分からは、11日(金)の議会全員協議会に説明します衆議院議員総選挙費等の補正予算の査定をしました。
 その他各部署の検討事項等の打ち合わせをして、それぞれの対応をお願いしました。
古坂上空からの風景


△▽ 毎朝恒例の写真と動画は、先日撮り溜めの朝霧が立ち込めていた古坂区上空からの風景です。


 本日生坂村では、保育園で誕生会(9・10月生まれ)・身体測定(未)、中学校で朝助成本の紹介(図書館)・2年荷物検査、離乳食教室、補正予算査定、商工会で青年部・女性部員環境保全活動、元気塾外出(3・4班)などが行われました。


長野県治水砂防協会犀川支部視察研修&日岐周辺からの風景

2024年10月03日 | 私の活動報告
 10月3日(木)は雲に覆われた空で、午後は雨が降り出し、一日を通して過ごしやすい体感でした。
 午前7時30分に家を出て、8時に犀川砂防事務所に集合し、木曽郡方面へ長野県治水砂防協会犀川支部の視察研修を行いました。

 最初に、木曽町日義の尻平沢の工事現場に行き、木曽建設事務所の片桐所長はじめ職員各位から説明をしていただきました。

 流域の状況は、流域面積 A=1.56㎢、計画流出土砂量 46,500㎥ 整備率49%→125% 保全対象 人家37戸(内レッドゾーン21戸)、国道19号、県道、鉄道(中央西線)、グループホーム1棟、公民館1棟とのことです。

 事業概要は、尻平沢上流部では大規模な斜面崩壊が発生し、また、流域内には不安定な堆積土砂等が多く土石流発生の恐れがあるため、堰堤新設及び既存堰堤の補強・嵩上げにより下流域の保全を図る事業です。

 当工事現場では、3号の既設堰堤改築(部分透過型)工事が、(H=14.0m L=78.0m V=1,660㎥)(効果量:14,700→24,300㎥)で令和2年度に竣工しました。
 1号の既設堰堤改築(部分透過型)(H=7.70m L=62.0m V=1,155㎥)(効果量:6,900→10,900㎥)は、令和4年度に竣工していました。

 現在は、2号堰堤の新設 JSウォール(透過型)(H=10.0m L=95.0m V=4,778㎥)(効果量:14,700→24,300㎥)で、地盤改良工(固結工)V=828㎥、地盤改良工(置換工)V=1,026㎥の工事を行っていました。

 2号堰堤の堤体はINSEM工法転圧タイプで、発生土を再利用して行っており、基礎処理は、5m掘りその下5mまでを地盤改良するために、エルニード工法により施工位置で中層混合をしていました。


 次に、上松町寝覚の田代沢の工事現場に行き説明を聞きました。
 ここの流域の状況は、流域面積 A=0.07㎢、計画流出土砂量 3,870㎥ 整備率0%→102% 保全対象 指定避難所(上松中学校) 人家50戸(内レッドゾーン6戸)とのことでした。

 砂防堰堤1基(透過型)平成30年度から令和6年度の工事期間で、コンクリートの透過型でH=11.0m L=52.1m V=2,716㎥、スリットタイプ:B型スリット 鋼重20.5t(効果量:3,600㎥)と渓流保全工 L=36mの工事を行っていました。


 こちらも堤体一部はINSEM工法転圧タイプで、発生土を再利用して行っており、現場が急傾斜と狭隘で工事車両の通行などに苦慮されていて、とても大変な工事に感じました。
 また、立派な堰堤の前に並び皆で記念撮影をしました。


 昼食後は、木曽川右岸道路を走りながら当道路の説明を聞き、次の梨子沢土石流災害復旧工事の視察に向かいました。


 梨子沢土石流災害は、2014年(平成26年)7月9日に台風8号の影響で南木曽町読書地区の梨子沢(木曽川支流)で発生しました。豪雨による被害は町内全域にわたり、道路の法面崩落や農地への土砂流入などが発生しました。
 また、死者1名、負傷者3名、家屋全壊10戸や国道19号への土砂流出、JR 中央本線不通などの被害をもたらしました。

 被災した施設の復旧工事や再度災害防止のための緊急工事(堰堤の新設)等を国土交通省、林野庁、長野県、南木曽町が調整・連携しながら進められました。
 国土交通省と長野県は、土石流が発生した梨子沢では、治山ダムや砂防堰堤の新設工事を進めているほか、国交省や県の砂防堰堤でも土砂の除去作業なども実施して、流路工と床固め工事は完成していました。

 梨子沢土石流災害から3年後の2017年、南木曽町は土石流にのまれた家屋があった場所周辺を広場にして芝生を植え、災害を記憶にとどめておくための石碑「平成じゃぬけの碑」を建立しました。

 続いて「桃介橋」に行きました。「桃介橋」は別名「桃の橋」と呼ばれ、電力王と称された福沢桃介が、水力発電開発のために架けた吊橋で大正11年9月に完成した全長247mの日本でも最大級の木橋です。


 昭和25年から村道(現在の町道)として、両岸集落の交通や、高校生・中学生の通学など地域の交通に大いに役立っていましたが、昭和53年頃から老朽化も進み、本格的な修理もできなかったため廃橋寸前となっていましたが、保存・活用の声が多くあり、付近一帯の天白公園整備に併せて近代化遺産(南木曽町有形文化財)として復元したものです。平成6年(1994年)には国の重要文化財に指定されました。

 次に「悲しめる乙女の像」(蛇ぬけの碑)は、昭和28年(1953)7月20日、伊勢小屋沢で「蛇抜け」(土石流)が発生し、死者・行方不明者合せて3名の犠牲者が出ました。

 碑には「白い雨が降るとぬける」「長雨後谷の水が急に止まったらぬける」「蛇ぬけの前はきな臭い匂いがする」など、この災害によって得られた6つの教訓が刻まれていました。

 山の歴史観(県宝)は、明治33年、旧妻籠宿本陣跡地に「御料局名古屋支庁妻籠出張所庁舎」、つまり皇室直属の施設として建造されました。

 戦後は個人に払い下げられ、移築されたが、国道工事により、立ち退きとなり、町に寄付されました。その後、この地に再度移築され、山の歴史館として、木曽の山林資料展示をメインに公開されていました。

 福沢桃介記念館は、木曽川の発電所開発を行っていた桃介が、別荘として大正8年に建てた別荘で、戦後は教員住宅として使用していたが、昭和28年の裏山土石流で一部被害を受け、昭和35年の火災では二階を焼失してしまいました。

 その後、平屋のまま記念館として公開していたが、平成9年に二階部分の復元を行い、現存の一階部分は、あまり説明板などを置かず、二階に多く置かれているのは好印象でした。

 帰りは、木曽路の国道19号の渋滞にあった後、伊那木曽連絡道路も車内で説明を聞きながら通過し、岡谷ジャンクションの工事でまた渋滞にはまり、予定より30分ほど遅れて犀川砂防事務所に無事に着きました。

 木曽建設事務所の片桐所長はじめ関係の皆さんには、何かとお忙しい中、詳細に分かりやすく説明をしていただくなど、我々の視察に対し丁寧にご対応くださいまして心から感謝申し上げますとともに、犀川支部構成の市町村の皆さんには、引き続きのご理解とご支援をお願いいたします。
日岐周辺からの風景


△▽ 毎朝出勤前恒例の撮影は、犀川対岸から雲が多めの上空から日岐と生坂ダム湖などの風景を撮影しました。


 本日生坂村では、小学校で音楽会特別時間割開始、中学校で3年標津町中学生見送り、上土ふれあい新鮮市などが行われました。


昭津上空からの風景&東筑摩郡村長会視察研修3日目

2024年10月01日 | 私の活動報告
 10月1日(火)の朝は雲が広がりましたが、昼間は晴れて穏やかな空の10月スタートでした。

昭津上空からの風景
△▽ 毎朝恒例の写真と動画は、先日撮り溜めの雲に覆われても朝日がウッスラと差してきた昭津上空から風景です。


 東筑摩郡村長会視察研修3日目は、ホテルを朝8時30分に出発し、ひめゆりの塔とひめゆり記念資料館に行きました。
 看護要員として戦場に動員され、亡くなっていった「ひめゆり学徒隊」の慰霊塔に献花をし、ひめゆり平和祈念資料館を視察研修しました。

 ひめゆり平和祈念資料館には、ひめゆり学徒隊の犠牲者の遺品や、ガス弾によって多くの犠牲者がでた伊原第三外科壕が実物大で再現されており、ひめゆり学徒隊について学べる場となっていました。


 沖縄県立第一高等女学校を「乙姫」沖縄模範学校女子部を「白百合」と名付けられていたそうです。その両方の名前を合わせて「姫百合」と名付けられ、ひらがなで「ひめゆり」と使うようになったそうです。


 ひめゆりの塔は、1945年の沖縄戦で亡くなった沖縄師範学校女子部・沖縄県立第一高等女学校の生徒や教師のための慰霊碑です。沖縄戦の翌年、両校で最も多くの犠牲者を出したガマ(鍾乳洞)の上に建てられました。



 次に、平和記念公園と沖縄戦の写真や遺品などを展示した平和祈念資料館に視察に行きました。

 1945年3月末、史上まれにみる激烈な戦火がこの島々に襲ってきました。 90日におよぶ鉄の暴風は、島々の山容を変え、文化遺産のほとんどを破壊し、20数万の尊い人命を奪い去りました。沖縄戦は日本に於ける唯一の県民を総動員した地上戦であり、アジア・太平洋戦争で最大規模の戦闘でありました。
 公園内には沖縄戦で亡くなられたすべての人々の氏名を刻んだ「平和の礎」、戦没者の鎮魂と永遠の平和を祈る「平和祈念像」、そして摩文仁の丘の上には国立沖縄戦没者墓苑や府県、団体の慰霊塔が50基建立されています。国内外の観光客をはじめ、慰霊団、修学旅行生等が多く訪れる聖地であり、観光の要所ともなっております。

 1995年に除幕した「平和の礎」には、国籍や軍人、民間人を問わず、沖縄戦における全戦没者24万人余の氏名が刻まれており、戦争で肉親を失った遺族や平和学習の団体等、多くの人々が訪れます。

  また、「平和の礎」内にある広場の中央には「平和の火」が灯されています。 この「平和の火」は、沖縄戦最初の米軍の上陸地である座間味村阿嘉島において採取した火と被爆地広島市の「平和の灯」及び長崎市の「誓いの火」から分けていただいた火を合火し、1991年から灯し続けた火を1995年6月23日の「慰霊の日」にここに移し、灯したものとのことです。

 平和祈念資料館は、沖縄戦にいたるまでの沖縄の歴史から、住民の見た沖縄戦、戦後の米軍統治と本土復帰、平和創造を目指す沖縄の姿までを5つのブースに分け常設展示していました。 また、未来をになう子どもたちが平和を愛する心をはぐくむための未来を展望するゾーンも設けられ、平和について語り合える場になっていました。

 私たちは、戦争の犠牲になった多くの霊を弔い、沖縄戦の歴史的教訓を正しく次代に伝え、全世界の人びとに私たちのこころを訴え、もって恒久平和の樹立に寄与するため、ここに県民個々の戦争体験を結集して、沖縄県平和祈念資料館を設立されたとのことでした。

 屋上からは、この悲惨な戦争を二度と繰り返さぬよう世界の人種や国家、思想や宗教のすべてを超越した“世界平和のメッカ”としての平和祈念堂などを見ることができました。

 本日の視察研修は、日本に於ける唯一の県民を総動員した地上戦である沖縄戦の悲惨さを伝え、二度とこのような戦争を繰り返さぬよう、人々の記憶のなかから沖縄戦の惨禍を忘れることなく語り継いでいかなければならないと感じました。

 帰りは、那覇空港に予定通りに行き搭乗手続きをしましたが、羽田からの飛行機がかなり遅れて着き、我々が乗るANA996便でしたので、出発が1時間以上も遅れてしまいました。



 今回の視察もフライトも、台風17号、18号の影響は殆ど無く、揺れも少なく羽田空港上空も晴れていてスムーズに着陸できました。


 しかし、羽田空港に着いてもゲートには入れず、予定より1時間30分ほど遅れて帰路につきましたが、途中の首都高速でも渋滞にはまり、家に着いたのは10時近くでした。
 羽田空港の混雑ぶりや首都高速の渋滞を体験し、東京一極集中の影響を直に感じました。


 本日生坂村では、小学校で安全点検の日・2年生活科遠足、中学校で朝片付け・3年標津町歓迎会、ママヨガ、いくさか歩こう部、司法書士無料相談会、標津町中学校修学旅行歓迎交流会、元気塾外出1,2班などが行われました。



草尾上野ぶどう畑上空からの風景&東筑摩郡村長会視察研修2日目

2024年09月30日 | 私の活動報告
 9月30日(月)は雲が多くも午後には日差しが届き、朝晩は過ごしやすく、昼間は少し汗ばむ体感になりました。

 東筑摩郡村長会視察研修2日目は、午前9時30分に与那原町役場に着き、最初にお忙しい中、照屋町長と城間副町長にお会いでき、視察対応の御礼の挨拶をさせていただきました。

 照屋町長からは、飾ってあった与那原町の戦前から現在までの航空写真を見せていただきながら、当町の歴史や産業等の説明や脱炭素先行地域に選定した場所などの説明を伺いました。

 我々は、東筑摩郡5村の位置や農業等の話をし、記念写真を撮っていただき研修室に移動しました。


 研修は、与那原町の脱炭素に向けた取り組みについて、企画政策課 安慶田参事、山城課長たちに説明をしていただきました。
 与那原町の概要として、場所は那覇市から車で約30分、大きさは5.18㎢キロメートルで全国4番目小さい町、人口は19,470人と近隣市町村に比べて少ないが人口密度は高い、施設は教育機関・病院・警察・商業などが揃っているとのことでした。

 文化、イベントは、440年余の歴史がある「与那原大綱曳」と与那原町大綱曳資料館、郵便与那原駅舎展示資料館等があり、特産品は、赤瓦・ヤチムン、天然ヒジキ、ソデイカ等で、与那原マリーナ等の観光施設や観光ポータブルサイトの構築、キャラクターの「つなひきかちゃん」等で観光振興に取り組んでいました。

 与那原町の現状と方向性として、「稼ぐ力が弱く、地域経済が循環していない地域となっている」ことにより、「地域で稼ぎ、地域で経済を循環(経済の地産地消)させるか」が重要とのことで、与那原町の東海岸を新たな価値を創造する「住む、働く、遊ぶ」を満たすエリアの実現を目指していました。

 そして、再生可能エネルギー技術の発展により、地域で使う電気を地域で創ることが可能となっていることから、エネルギー関連産業を創出し、稼ぐ力と地域経済の循環を図りつつ、環境問題に取り組まれたとのことでした。

 与那原町の脱炭素先行地域事業の取組として、脱炭素先行地域を「マリンタウンエリア」と「公共施設群」に設定し、令和5年度から令和9年度にかけて「再エネ導入・省エネの実施等」に取り組み、環境対策の他、①稼ぐ力不足、②災害・防災、③公共交通、④住民の健康といった課題への対策も行うこととしています。

 太陽光発電・蓄電池・充放電設備・省エネ住宅等の計画、太陽光発電設備の導入・省エネの実施・大型蓄電池の導入・その他の電源の導入・EV車の導入促進等の概要、与那原町による出資・サテライトオフィスの開設等のスケジュールなどの説明を伺いました。

 地域新電力の体制強化として、事業推進のため職員1名をおきなわパワーHD(株)(地域新電力会社)に派遣とサテライトオフィスを東浜地区コミュニティセンター内に開設し、地域新電力会社に25%の出資をされました。

 環境省にて特筆すべき取組事例として、「自治体側も、新エネルギー会社への出資及び職員派遣を確約することによって、事業推進体制の確立に成功している」と評価されたとのことでした。
 周知関連として、様々なポスターや桃太郎旗の製作、住民向け脱炭素の理解促進のため、役場1階ロビーで省エネパネル展や小学校において省エネ教室を行っていました。

 令和5年度実績として、公共施設太陽光パネル設置及び充放電設備設置、中学校高効率照明機器(LED)導入、蓄電池設置、令和6年度の取組として、ソーラーアーケード、大型蓄電池、風力発電、波力発電の実証などが予定されていました。

 与那原町が目指す脱炭素社会の経済面として、地域新電力を中心とした「エネルギー関連産業の創出」、MICEと連携した脱炭素ショールームによる「交流人口の増加」などを図り、マリンタウンエリアの開発とMICE施設イメージ、スポーツツーリズム イメージも説明していただきました。

 その後、新エネルギー会社への出資や派遣について、効果促進事業について、沖縄県が進めるMICEについて、与那原町の現状について、与那原大綱曳の歴史と現状についてなどの質疑応答をさせていただきました。

 その後、与那原大綱曳資料館(つなかん)にも寄って、与那原大綱曳について説明していただきました。
 与那原大綱曳は、那覇・糸満と共にいわゆる「沖縄三大綱引」のうちの1つに数えられていて、「綱引」は沖縄県内各地で広範に分布している習俗の1つで、それぞれの地域的特色をもって行われており、地域の人々を結集するうえで大切な役割を果たしているとのことでした。

 今年4月導入の360°フルスクリーンシアターで臨場感ある大綱曳映像を拝見しながら説明を聞きましたが、360°フルスクリーンの迫力ある映像で良い体験をさせていただきました。

 祭りの主役となるのは、それぞれの役割を担った町民の皆さんで、綱引きを通じて、人と人をつなぐ場としての役割を担うと供に、次の世代に与那原町の歴史をつなぐ場としての役割を果たしていました。

 照屋町長と城間副町長はじめ職員の皆さんには、大変お忙しい中、脱炭素に向けた取り組みを中心に、440年余の歴史がある「与那原大綱曳」まで、親切丁寧にご説明いただき感謝申し上げます。

 2箇所目の視察は、昼食を途中で取り、恩納村役場に向かいました。予定の時間より早く着きましたので、恩納村の高さ20メートルの琉球石灰岩の断崖とその上に広がる芝生の公園の万座毛に寄りました。

 琉球王、尚敬が「万人が座するに足る毛(野原)」として賞賛し、名前がついたと言われていて、琉球石灰岩の台地の上には、天然の芝が広がり、その周りの植物群落は、県の天然記念物に指定されている通りとても綺麗で雄大な景色でした。

 その後、恩納村役場に午後1時25分に着きますと、長浜村長はじめ職員の皆さんが出迎えていただき、村長室まで伺う間に全員の職員の皆さんから歓迎の拍手をいただき感銘しました。


 長浜村長から、恩納村の地形や観光客が年間400万人も訪れる観光等の村の概要、長野県川上村との「シンカプロジェクト」の経緯、農業や水産業の現状など歓迎の挨拶を頂戴しました。

 東筑摩郡村長会の会長として、私から、視察研修のご対応に御礼を申し上げ、東筑摩郡の歴史と農業が基幹産業である各村の特産品の紹介、長野県町村会のことなどの御礼の挨拶をさせていただきました。

 続いて、農林水産課 平安名課長達から説明していただきました。恩納村は沖縄本島のほぼ中央部西海岸側に位置し、面積が50.84㎢と広く海岸線は約46㎞と長く、移住者が多く、人口は11,275人と増え続け、住宅地価格が29%も上昇し日本一になったとのことでした。

 農林水産業費は、令和6年度一般会計当初予算に占める割合は10.92%であり、農業部門では、小菊・パッションフルーツ・ドラセナ・アテモヤ・観葉鉢物が沖縄県の拠点産地に認定されていて、作物別経営体では、花卉類・花木が141経営体と最も多く、県全体の1割強を占めていて、さとうきび・野菜・果樹類も栽培しているとのことでした。

 水産部門では、サンゴ礁海域を主な漁場としており、モズクなどの海藻養殖を主力として発展し、沖縄県の拠点産地に認定されているモズク、海ぶどう(クビレタス)、アーサ(ヒトエグサ)についてはブランド化に力を入れるとともに、資源管理型漁業の安定継続を目指していました。
 
 シンカプロジェクトとは レタスの一大産地の長野県川上村より、レタスの栽培技術指導を受け、恩納村で産地化を目指し、恩納村内のホテルや飲食店へ出荷し地産地消も推進していき、「シンカ」とは沖縄の方言で「仲間」を意味する「シンカヌチャー」から由来されています。

 シンカプロジェクトの始まりとして、恩納村の夏は亜熱帯気候で暑く、レタス栽培には適さない気候ですが、冬の気温は20℃前後と川上村の夏と似ていて、この温暖な気候と自然豊かな大地のもとで、川上村の長く培った野菜栽培技術を活用してレタス栽培に取り組むプロジェクトでした。

 シンカプロジェクトの役割は、村内のリゾートホテルや観光客の皆さんに地元産の安全・安心はおいしい新鮮野菜を提供し、若い農業者が定着し、遊休農地の有効活用を図っていきたいとして取り組み始めました。
 平成27年度に始まり、川上村の規格に適用できる農家が平成30年度に半減してしまいましたが、コロナ禍開けには2名の農家になってしまいましたが、収穫は当初より多くなって、大規模化になったとのことでした。

 レタス栽培の課題として、恩納村では栽培を行う上で北風の影響大きいことが分かり、圃場によっては、風速20~30mが2日間続き、潮風による影響でレタスの外葉が枯死してしまう現象が続いたとのことでした。

 また、冬になると「タイワンシロガシラ」という鳥がレタスをエサにして圃場に現れて、定食直後の苗から出荷前のレタスまで食害を発生させるほか、糞の付着など様々な害が発生していて、主な有効策として防鳥ネットを設置してもらっているが、強風の影響で設置後に破れることも多く、対策に苦慮しているとのことでした。

 出荷は、おんなの駅なかゆくい市場を通して「シンカレタス」として販売していて、シェフのレタスに対する評価は高いが、ホテルの購買担当がカット加工され消毒洗浄されたレタスを求めていることが分かり、当工場がなく大きな壁となっている。

 シンカプロジェクトの今後取り組みとして、販売体制の構築、安定供給体制の構築、生産者の増加の3点を改善できる取組を検討していくことが必要で、村内でも土質が違い栽培に苦慮されているなど、課題は多いとのことで、長野県の大規模な産地とは違い、ご苦労されているなどの話をさせていただきました。

 実際圃場に案内されて行きましたが、何筆かを集約した圃場でも面積は狭く、粘土土で水はけが悪く、定植する準備ができていない状況でした。

 定植後「タイワンシロガシラ」の防鳥ネットを設置して作業を行うとのことで、消毒や出荷作業などネットの下で行うことは効率も悪く、大型機械の導入もできず大変だと感じました。

 でも、栽培をされている農家の方は、明るい顔で説明していただき、農業に対して前向きな姿勢に感心しましたし、どうにか長野県川上村からご指導いただいているレタスが、沖縄県で沢山消費していただければと感じました。

 長浜村長はじめ職員各位には、お忙しい中温かく出迎えていただき、丁寧親切にご説明いただき御礼申し上げますとともに、有意義な視察研修になりましたことに感謝申し上げます。

△▽ 毎朝恒例の写真と動画は、先日撮り溜めの朝霧の中から朝日が差してきた草尾上野ぶどう畑上空から風景です。
草尾上野ぶどう畑上空からの風景


 本日生坂村では、小学校でクラブ、中学校で振替休日などが行われました。


 上生坂上空からの風景&東筑摩郡村長会視察研修

2024年09月29日 | 私の活動報告
 9月29日(日)は雲が広りスッキリしない空で、朝晩は過ごしやすくても、昼間はジメジメと暑くなりました。

△▽ 毎朝恒例の写真と動画は、先日撮り溜めの朝霧が立ち込めていた上生坂上空から風景です。
上生坂上空からの風景


 本日は朝4時45分に我が家を出発し、羽田空港には9時頃に着いて、11時35分発のANA471便に乗り、羽田空港の混雑で30分ほど遅れて14時40分頃に那覇空港に着きました。


 そしてさっそく首里城に向かい、令和元年10月31日未明火災に見舞われ、同年12月16日に視察した私は、復元がどの様に進んでいるか皆で視察しました。

 まず、首里城公園のインフォメーションセンターである首里杜館に行き、総合案内をしていただける方をお願いして出発しました。ここには、情報展示室のほか、レストランや売店などがあり、首里城に関する情報を学んだり、ゆっくりと休憩したり出来ます。

 次に、エレガントな外観が美しい守礼門に行き説明を受けました。「守礼」とは、「礼節を守る」という意味が込められている言葉で、「琉球は礼節を大切にする国である」というメッセージが詰まった門なのです。
 中国風の建築デザインも豪華で美麗な門の前で記念撮影をしました。


 園比屋武御嶽石門は、琉球の石造建造物の代表的なものであり、1933年国宝に指定されましたが、沖縄戦で一部破壊され、1957年に復元されました。現在は、国指定重要文化財となっていて、2000年には世界遺産へ登録されました。



 歓会門は、首里城の城郭に入る前の最初の正門で、「歓会」には「歓迎する」という意味があり、創建は、1477年~1500年頃。沖縄戦で焼失したものを1974年に復元しました。
 魔除けのために、一対のシーサーが設置されているところも見どころです。
 次に向かったのは、「立派な泉」という意味が込められた端泉門です。石造かつアーチ状の歓会門とは異なり、門の上に直接やぐらが乗っています。これは日本本土でもよく散見される建築様式ですが、やぐらの中央にある扁額が琉球らしさを醸し出していました。


 続いて、「福を行き渡らせる」という意味がある広福門に向かいました。建物全体が門になっており、これは首里城の城門における特徴でもあります。非常に眺めがよい場所に設置されているため、龍潭の池・円覚寺の総門・虎瀬山などが見下ろせるところも注目です。


 奉神門は、首里城正殿がある「御庭」に入るまでの最後の門です。1562年以前に建設されたと考えられており、現在は首里城公園を管理する改札所として利用されていました。

 火災の影響を受けながらも奇跡的に立っていた大龍柱。補修作業のため台座から取り外し、仮設補修作業場へ移動して大龍柱の本格的な補修作業が行われました。補修された大龍柱は、新しい令和の大龍柱の見本として活用するまでの約2年間、下之御庭の補修作業場で公開しています。


 続いて、復元工事をおこなっている今しか見られない復元工事エリアに向かいました。職人たちが木材の加工などをおこなう「木材倉庫・原寸場見学エリア」で、補修が完了した「大龍柱補修展示室」などが見学できました。大型モニターでは、大龍柱の補修の様子を映像で視聴可能でした。


 建築中の正殿を雨風や埃から守るための建物「素屋根」です。この素屋根の中に、工事の様子を間近で見られる見学エリアを設けて、正殿にあわせて3階建てとなっている見学エリアからは、復元工事の様子を臨場感たっぷりに視察できました。


 復興工事についてもっと詳しい情報を学べるのが、復興展示室です。2020年10月にオープンし、火災時の残存物や、残った瓦を使った屋根などを展示しています。VTR「首里城 復興へのあゆみ」を放映しているほか、解説パネルや実際の素材といった展示物も充実していました。






 国王の家族などが居住していた、御内原の中にある世誇殿。琉球王朝時代に即位の儀礼がおこなわれていた部屋です。2019年に外観が復元されました。現在は休憩スペースで、琉球王国の歴史と首里城正殿跡の魅力について学べる映像資料を18面モニターで放映していました。


 今後の復元予定として、2026年秋の正殿完成を目標に作業が進められていました。
 その際には、正殿内部にて、2022年の公開以来、二度目の一般公開がなされるとのことで、現在も、2026年に完成予定の正殿の復元作業が行われている現場や復元過程は一般公開されていました。



 本日生坂村では、しべつあきあじまつりに出展、リビング・ウィル講演会などが行われました。