信州生坂村「山紫水明 食と文化癒しの郷!」

山清路、大城・京ヶ倉等の自然。赤地蔵、百体観音等の伝統。おやき、おにかけ等の食文化を持つ生坂村!

山清路の風景と火祭りの会記念碑除幕式

2019年04月29日 | 生坂村の風景
 29日(月)朝方は日差しが届いて良い天気でしたが、段々と雲が広がり、昼間はお出かけにはまずまずでしたが、夜遅くは雨が降り出しました。
 毎朝恒例の撮影は、当村の歴史ある景勝地「山清路」の新緑が芽吹いてきた風景を撮りました。




 午後2時からは、牛沢生活改善センターの庭に建立しました、火祭りの会の記念碑(鎮火の碑)除幕式に招待されました。
 今回の取組は、大火発生から半世紀以上が過ぎ、世代も交代し、当時を知る人も少なくなり、今後、火祭りの会自体の存亡も危惧しているところであり、65年目を迎えて、大火災があり、復興支援を受けて今がある史実を石碑に刻み後世に伝えていきたいと思い、当村の「絆づくり支援金」を活用されて行われました。


 この大火は、昭和28年4月29日午前10時30分頃牛沢地区より出火した炎は、折からの強風にあおられ山をかけ上がり袖山に飛び火し、また谷を越え草尾山、坂森、仁礼室に燃え広がった。
 近隣12カ町村の消防団員800名ほどが出動し消火に努めたが、牛沢9戸、袖山5戸、草尾山7戸、坂森2戸が全焼し、仁礼室の1戸が半焼した。山林被害等約15ha、家屋被害118棟を全焼、1棟が半焼し翌日までくすぶっていたが、幸いにも死者はいなかった。
 被害額は1億5千万円ほどであり、日赤奉仕団の援助を受け及び県の災害救助法の適用を受けて復興に邁進したとのことです。


 火祭りの会は、昭和30年より大火災があった4月29日に牛沢常会、袖山常会、草尾山常会30数軒が、大火災日を記念日とし、毎年牛沢常会で宮司さんをお願いし、祭典を行ってまいりました。



 遠藤宮司さんから、修祓、清祓などの神事の後に除幕をし、献饌、祝詞奏上などの神事をしていただいた後、例年の玉串拝礼を常会ごとに行うなどして滞りなく除幕式が終了しました。












 除幕式後は、牛沢生活改善センターで直会があり、私から、過去の大火を語り伝えていくことは大切であること、災害が起きないことが何よりですが、もしもの災害時には地域の助け合いでの初動体制が大事ですので、今後も皆さんで協力し合っていただきたいなどと話をさせていただいた後、皆さんと一献交わしながら色々な話をさせていただき楽しいひと時を過ごさせてもらいました。




▽ 朝の写真は山清路の風景です。