全国育樹祭の後は、那覇市の世界遺産、火災で焼失した首里城を視察に行きました。
首里城は石垣と城門の多い城ですが、中でもデザイン上バランスがとれ、エレガントな雰囲気のある代表的な門が「守礼門」であり、その前で記念撮影をしました。


園比屋武御嶽石門は、琉球の石造建造物の代表的なものであり、1933年国宝に指定されましたが、沖縄戦で一部破壊され、1957年に復元されました。現在は、国指定重要文化財となっていて、2000年には世界遺産へ登録されました。


歓会門(かんかいもん)、瑞泉門(ずいせんもん)、漏刻門(ろうこくもん)をくぐっていくと、跡形もなく焼け落ちた正殿などの一部を見ることができました。
首里城跡に建つ木造3階建ての正殿から出火して北殿、南殿などに延焼、6棟約4200平方メートルをほぼ全焼し、約8時間後に鎮圧されたとのことでした。






首里城は1429年から450年間存在した琉球王国の政治や外交、文化の中心地であり、太平洋戦争中の沖縄戦で焼失しましたが、沖縄の本土復帰後の1992年に国営公園として復元され、首里城跡は中国と日本の築城文化を融合した独特の建築様式などに価値があるとされ、2000年に世界遺産として登録されました。
琉球開びゃく伝説にもあらわれます、琉球王国最高の聖地である斎場御嶽(せーふぁうたき)に行きました。
御嶽とは、南西諸島に広く分布している「聖地」の総称です。御嶽の中には、六つのイビ(神域)がありますが、中でも大庫理・寄満・三庫理は、いずれも首里城内にある建物や部屋と同じ名前をもっています。当時の首里城と斎場御嶽との深い関わりを示すとのことでした。


久高島は、知念(ちねん)半島の東約5kmに位置し、周囲7.75kmの小さな島です。琉球開びゃくの祖アマミキヨが天から降りて最初につくったとされている島で、五穀発祥の地、神の島と呼ばれています。


大庫理(ウフグーイ)は、御門口から登っていくと左手に見える最初の拝所です。大広間や一番座という意味を持っており、前面には、磚(せん)の敷かれた祈りの場(ウナー)がありました。


三庫理(サングーイ)は、二本の鍾乳石と、三角形の空間の突き当たり部分は、それぞれが拝所となっています。また、東側には海の彼方に久高島を望むことができました。



古宇利大橋は、今帰仁村の古宇利島と名護市の屋我地島を結ぶ全長1,960mの橋で、県内では通行無料の橋としては2番目に長い橋になります。


橋の両側にはエメラルドグリーンの海が広がり、絶景のドライブコースとなっています。古宇利大橋を渡ってすぐ左手には、古宇利ビーチや地元の特産品が楽しめる古宇利ふれあい広場があり、観光客でにぎわっていました。

恩納村にある万座毛(まんざもう)は、「万人も座する草原」(毛とは草原のこと)琉球王朝時代、尚敬王が「万人を座するに足る」と賞賛したことが名の由来と言われています。象に似た岩や断崖絶壁で見応えのある景色でした。


「道の駅 かでな」では、沖縄の物産販売や米軍嘉手納基地の学習展示室がありました。屋上の展望場からは嘉手納空軍基地が一望でき、タイミング良く戦闘機の離発着を見ることができました。




軍用機の離発着数と騒音は普天間基地よりもはるかにひどいとのことで、離発着の爆音を体験しとても驚きました。



地元のお土産が買える物販店やレストランの施設もあり道の駅として機能していましたが、ここでは基地のある沖縄の暮らしを目と耳と体で体験することができました。


極東最大規模である嘉手納空軍基地を一望できる屋上展望場と、学習展示室を視察することで、沖縄の歴史や日常風景を感じることができました。





最後は、沖縄本島中部の宜野湾市にある嘉数高台公園(かかずたかだいこうえん)へ行き、ここは沖縄戦時の激戦地で、今でも日本軍が使用した「トーチカ」があり、戦争について学べる場でもありました。



今は公園としてきれいに整備されていて、公園内には世界平和を願う地球儀をイメージした展望台があり、そこからは那覇市や浦添市、遠くは読谷村まで見えるとのことでした。


普天間基地の20機ほどのオスプレイが見えました。米軍機(オスプレイ)は平日に飛行していますが、土日はめったに飛行しません。離発着数と騒音は遥かに嘉手納基地のほうがひどいとのことでした。



公園内には「京都の塔」、右側に「嘉数の塔」があり、京都の塔は、京都府出身の将兵2,530人余の人々のご冥福を祈るために京都府市民によって建立されたものです。


今回の視察研修は、沖縄戦の遺跡を訪ね、平和と命の尊さを学び、琉球王国として栄えながらも、時代の潮流によって激動の歴史を刻んできたこと知り、米軍基地を視察することで沖縄の負担を感じ、コバルトブルーの海、風光明媚な景色などの素晴らしい自然を満喫し、沖縄の歴史、伝統、文化、自然などをしっかり研修できました。
▽ 朝の写真は鷺の平集落上空からの風景です。




その他生坂村では、小学校で元気週間、小中学校でアウトメディアチャレンジデー、児童館でクリスマスおはなし会、なのはなで子育て相談、子育て支援会議、少年少女サッカー教室などが行われました。
首里城は石垣と城門の多い城ですが、中でもデザイン上バランスがとれ、エレガントな雰囲気のある代表的な門が「守礼門」であり、その前で記念撮影をしました。


園比屋武御嶽石門は、琉球の石造建造物の代表的なものであり、1933年国宝に指定されましたが、沖縄戦で一部破壊され、1957年に復元されました。現在は、国指定重要文化財となっていて、2000年には世界遺産へ登録されました。


歓会門(かんかいもん)、瑞泉門(ずいせんもん)、漏刻門(ろうこくもん)をくぐっていくと、跡形もなく焼け落ちた正殿などの一部を見ることができました。
首里城跡に建つ木造3階建ての正殿から出火して北殿、南殿などに延焼、6棟約4200平方メートルをほぼ全焼し、約8時間後に鎮圧されたとのことでした。






首里城は1429年から450年間存在した琉球王国の政治や外交、文化の中心地であり、太平洋戦争中の沖縄戦で焼失しましたが、沖縄の本土復帰後の1992年に国営公園として復元され、首里城跡は中国と日本の築城文化を融合した独特の建築様式などに価値があるとされ、2000年に世界遺産として登録されました。
琉球開びゃく伝説にもあらわれます、琉球王国最高の聖地である斎場御嶽(せーふぁうたき)に行きました。
御嶽とは、南西諸島に広く分布している「聖地」の総称です。御嶽の中には、六つのイビ(神域)がありますが、中でも大庫理・寄満・三庫理は、いずれも首里城内にある建物や部屋と同じ名前をもっています。当時の首里城と斎場御嶽との深い関わりを示すとのことでした。


久高島は、知念(ちねん)半島の東約5kmに位置し、周囲7.75kmの小さな島です。琉球開びゃくの祖アマミキヨが天から降りて最初につくったとされている島で、五穀発祥の地、神の島と呼ばれています。


大庫理(ウフグーイ)は、御門口から登っていくと左手に見える最初の拝所です。大広間や一番座という意味を持っており、前面には、磚(せん)の敷かれた祈りの場(ウナー)がありました。


三庫理(サングーイ)は、二本の鍾乳石と、三角形の空間の突き当たり部分は、それぞれが拝所となっています。また、東側には海の彼方に久高島を望むことができました。



古宇利大橋は、今帰仁村の古宇利島と名護市の屋我地島を結ぶ全長1,960mの橋で、県内では通行無料の橋としては2番目に長い橋になります。


橋の両側にはエメラルドグリーンの海が広がり、絶景のドライブコースとなっています。古宇利大橋を渡ってすぐ左手には、古宇利ビーチや地元の特産品が楽しめる古宇利ふれあい広場があり、観光客でにぎわっていました。

恩納村にある万座毛(まんざもう)は、「万人も座する草原」(毛とは草原のこと)琉球王朝時代、尚敬王が「万人を座するに足る」と賞賛したことが名の由来と言われています。象に似た岩や断崖絶壁で見応えのある景色でした。


「道の駅 かでな」では、沖縄の物産販売や米軍嘉手納基地の学習展示室がありました。屋上の展望場からは嘉手納空軍基地が一望でき、タイミング良く戦闘機の離発着を見ることができました。




軍用機の離発着数と騒音は普天間基地よりもはるかにひどいとのことで、離発着の爆音を体験しとても驚きました。




地元のお土産が買える物販店やレストランの施設もあり道の駅として機能していましたが、ここでは基地のある沖縄の暮らしを目と耳と体で体験することができました。


極東最大規模である嘉手納空軍基地を一望できる屋上展望場と、学習展示室を視察することで、沖縄の歴史や日常風景を感じることができました。





最後は、沖縄本島中部の宜野湾市にある嘉数高台公園(かかずたかだいこうえん)へ行き、ここは沖縄戦時の激戦地で、今でも日本軍が使用した「トーチカ」があり、戦争について学べる場でもありました。



今は公園としてきれいに整備されていて、公園内には世界平和を願う地球儀をイメージした展望台があり、そこからは那覇市や浦添市、遠くは読谷村まで見えるとのことでした。


普天間基地の20機ほどのオスプレイが見えました。米軍機(オスプレイ)は平日に飛行していますが、土日はめったに飛行しません。離発着数と騒音は遥かに嘉手納基地のほうがひどいとのことでした。



公園内には「京都の塔」、右側に「嘉数の塔」があり、京都の塔は、京都府出身の将兵2,530人余の人々のご冥福を祈るために京都府市民によって建立されたものです。


今回の視察研修は、沖縄戦の遺跡を訪ね、平和と命の尊さを学び、琉球王国として栄えながらも、時代の潮流によって激動の歴史を刻んできたこと知り、米軍基地を視察することで沖縄の負担を感じ、コバルトブルーの海、風光明媚な景色などの素晴らしい自然を満喫し、沖縄の歴史、伝統、文化、自然などをしっかり研修できました。
▽ 朝の写真は鷺の平集落上空からの風景です。




その他生坂村では、小学校で元気週間、小中学校でアウトメディアチャレンジデー、児童館でクリスマスおはなし会、なのはなで子育て相談、子育て支援会議、少年少女サッカー教室などが行われました。