18日(月)は天気が回復し、日差しが届いて穏やかな空が広がりました。
午前10時30分からは、長野県町村会第33回定期総会が開催されました。
▽ 長野県町村会長の羽田長和町長から、先般8月中旬と9月初旬の大雨による災害では、土石流の発生や公共土木施設、農林業への多くの被害が発生いたしました。被災された皆様に、改めてお悔やみとお見舞いを申し上げますとともに、被災地域の一日も早い復旧を願うところであります。
さて、新型コロナウイルス感染症については、現在、県内の新規感染者数も第5波のピークから大幅に減少し、落ち着いた状況下にあります。今後は、感染防止対策に務めながら、飲食業や観光業をはじめ行動抑制により冷え込んだ地域経済の活性化を図るため、県や関係機関と連携しながら、適切に対応してまいりたいと存じますので、町村長各位のご理解とご協力をお願い申し上げます。
本日の総会には、国や県に対する要望事項を提案いたしますが、要望は政務調査会の各部会において、ご審議いただいた項目であり、いずれも町村が今求めている最も重要な課題であります。何卒、慎重なご審議を賜るようお願いいたしますなどと挨拶されました。
▽ 次に、町村長在籍10年以上の令和3年度長野県町村会自治功労者表彰では、軽井沢町藤巻町長、阿南町 勝野町長、根羽村 大久保村長、豊丘村 下平村長、坂城町 山村町長が表彰され、代表して大久保根羽村長が謝辞を述べられました。
次に議事は、令和2年度長野県町村会会務報告、一般会計等3会計の歳入歳出決算、国・県に対する提案・要望事項、決議、要望運動方法など提案した各議案が原案の通り承認されました。
▽ 私は、引き続き建設部会長として「道路等交通網の整備促進及びインフラ老朽化対策の充実」と「河川・砂防施設の整備促進」を重点提案・要望事項として提案し、原案通り承認していただきました。
▽ 平林副会長が決議案を朗読し、皆さんの満場の拍手により承認され、山村監事の閉会のことばで総会が終了しました。
総会終了後には、本年2月に行う予定でありました創立100周年記念式典が挙行されました。
開会に当たり、長野県町村会長の羽田長和町長から、大正時代半ば、義務教育費の軽減を求める運動の中から、町村長の団結に向けた機運が醸成され、各地域で町村長会が結成されるに至り、長野県町村会も、1920年、大正9年12月13日に「長野県町村長会」として発足いたしました。先人たちの絶え間ないご尽力や、関係の皆様のご支援とともに、幾多の困難を乗り越えながら歩みを重ね、この度めでたく創立100周年の節目を迎えることができました。
創立以来、大正、昭和、平成そして令和へと時代が移りゆく中で、本会は町村の振興発展と課題の解決に向けた様々な活動や取組を展開してまいりました。
その間、町村を取り巻く環境は、常に厳しいものであり、特に戦後の高度経済成長期以降には、社会構造の著しい変化とともに、町村では過疎化や少子高齢化が進むなど、大変厳しい状況に置かれることとなりました。その中で、町村会は、食料の供給、水資源の涵養、自然環境の保全など、国民生活にとって欠かすことのできない町村の持つ重要な役割を訴え続けてまいりました。
そして、本会創立当時の県内391町村が、昭和、平成の大合併を経て、58町村となった現在において、町村は、依然として進む少子高齢化に加え、相次ぐ自然災害、更には新型コロナウイルス感染症という未曽有の困難に直面しております。
また、その一方で、コロナ禍により東京一極集中への懸念が改めて浮き彫りとなる中「町村の価値」が再認識され、地方への移住や田園回帰という新たな潮流が起きております。町村がその潮流に的確に対応していくことも今後の大きな課題であります。
私は、まちづくりの原点は「心をこめ、つくすこと」であると考えております。
コロナ禍への対応、災害への備え、社会福祉・地域医療の充実、子育て支援の充実、そして地域産業の振興などの様々な施策は、地域に住む方々が、心穏やかに、心豊かに、心安らかに、そして心満たされる日々が送れるための施策でなければなりません。町村長の皆様もまちづくりに対するその思いと熱意は同じであると存じます。
それぞれの町村において町村長の皆様が十分に手腕を発揮できる場を作ること、それが町村会の大きな使命であります。
私ども町村会は、今後とも、長野県内の58町村が一丸となり、町村の振興発展に向け様々な課題に取り組んでまいる所存でありますので、町村長の皆様、そしてご来賓をはじめ関係する皆様の一層のお力添えをお願い申し上げる次第でありますなどと式辞を述べられました。
長野県町村会の発展にご尽力をいただいた歴代会長の方々を表彰し、唐沢元会長、藤原前会長にご臨席いただき、感謝状を贈呈し、藤原前会長が代表して謝辞を述べられました。
▽ 阿部長野県知事、荒木全国町村会長、宮本長野県議会議長、牛越長野県市長会長、渡邉長野県町村議会議長会長から、それぞれのお立場による来賓祝辞を頂戴しました。
次ぎに記念講演として、後藤謙次氏が「新政権と衆院選挙の行方」と題しご講演をいただきました。
後藤先生は、佐久駅の近くのマンションを仕事部屋としていて長野県にゆかりがあり、羽田孜元総理が、小選挙区制により2大政党による政局を考え、その羽田孜元総理が目指した形が長野県にあるということ、岸田政権は10月4日(月)に発足し、できたての内閣で今回の総選挙を戦っていくこと、1年前の総裁選で岸田さんは2番目の票を獲得しても菅政権では閣僚になれず、次期総理を狙っていて、そのために古賀さんと縁切りし、麻生太郎さんと安倍晋三さんから言われて、二階さんを降ろしたとのこと、それは5年以上、3期以上は役職ができないようにしたことで、二階さんは激怒し、9年もやっている人(麻生太郎)もいる言ったとのこと、
菅さんは、時期が来れば当然出るなどとインタビューに答え、自分は再選できると甘く見ていて失敗したこと、新型コロナウイルス感染状況など事態を甘く見ていたこと、岸田総理が誕生したことは、安部さんと麻生さんの力であったこと、岸田さんは大酒豪で飲むほどに、朗らかになり、発言が鋭いから大きな決断するには良いかもしれないこと、長期政権の後は、選挙後も政局は安定しないことなど、新政権と衆議院選挙のことを噛み砕いて、なかなか知り得ない内容をお話しなり勉強になりました。
▽ 羽田会長が後藤先生に御礼の言葉を述べ、竹節副会長の閉会の挨拶で滞りなく終了しました。
▽ 毎朝出勤前恒例の撮影は、犀川対岸に行き、青空が広がり、日が差し始めた草尾上空からの風景を撮影しました。
草尾上空からの風景
その他生坂村では、保育園で個別懇談会(21日迄)、中学校で個別懇談旬間(27日迄)、児童館で子ども工房、筑北村・麻績村・生坂村農業委員会協議会研修会などが行われました。
午前10時30分からは、長野県町村会第33回定期総会が開催されました。
▽ 長野県町村会長の羽田長和町長から、先般8月中旬と9月初旬の大雨による災害では、土石流の発生や公共土木施設、農林業への多くの被害が発生いたしました。被災された皆様に、改めてお悔やみとお見舞いを申し上げますとともに、被災地域の一日も早い復旧を願うところであります。
さて、新型コロナウイルス感染症については、現在、県内の新規感染者数も第5波のピークから大幅に減少し、落ち着いた状況下にあります。今後は、感染防止対策に務めながら、飲食業や観光業をはじめ行動抑制により冷え込んだ地域経済の活性化を図るため、県や関係機関と連携しながら、適切に対応してまいりたいと存じますので、町村長各位のご理解とご協力をお願い申し上げます。
本日の総会には、国や県に対する要望事項を提案いたしますが、要望は政務調査会の各部会において、ご審議いただいた項目であり、いずれも町村が今求めている最も重要な課題であります。何卒、慎重なご審議を賜るようお願いいたしますなどと挨拶されました。
▽ 次に、町村長在籍10年以上の令和3年度長野県町村会自治功労者表彰では、軽井沢町藤巻町長、阿南町 勝野町長、根羽村 大久保村長、豊丘村 下平村長、坂城町 山村町長が表彰され、代表して大久保根羽村長が謝辞を述べられました。
次に議事は、令和2年度長野県町村会会務報告、一般会計等3会計の歳入歳出決算、国・県に対する提案・要望事項、決議、要望運動方法など提案した各議案が原案の通り承認されました。
▽ 私は、引き続き建設部会長として「道路等交通網の整備促進及びインフラ老朽化対策の充実」と「河川・砂防施設の整備促進」を重点提案・要望事項として提案し、原案通り承認していただきました。
▽ 平林副会長が決議案を朗読し、皆さんの満場の拍手により承認され、山村監事の閉会のことばで総会が終了しました。
総会終了後には、本年2月に行う予定でありました創立100周年記念式典が挙行されました。
開会に当たり、長野県町村会長の羽田長和町長から、大正時代半ば、義務教育費の軽減を求める運動の中から、町村長の団結に向けた機運が醸成され、各地域で町村長会が結成されるに至り、長野県町村会も、1920年、大正9年12月13日に「長野県町村長会」として発足いたしました。先人たちの絶え間ないご尽力や、関係の皆様のご支援とともに、幾多の困難を乗り越えながら歩みを重ね、この度めでたく創立100周年の節目を迎えることができました。
創立以来、大正、昭和、平成そして令和へと時代が移りゆく中で、本会は町村の振興発展と課題の解決に向けた様々な活動や取組を展開してまいりました。
その間、町村を取り巻く環境は、常に厳しいものであり、特に戦後の高度経済成長期以降には、社会構造の著しい変化とともに、町村では過疎化や少子高齢化が進むなど、大変厳しい状況に置かれることとなりました。その中で、町村会は、食料の供給、水資源の涵養、自然環境の保全など、国民生活にとって欠かすことのできない町村の持つ重要な役割を訴え続けてまいりました。
そして、本会創立当時の県内391町村が、昭和、平成の大合併を経て、58町村となった現在において、町村は、依然として進む少子高齢化に加え、相次ぐ自然災害、更には新型コロナウイルス感染症という未曽有の困難に直面しております。
また、その一方で、コロナ禍により東京一極集中への懸念が改めて浮き彫りとなる中「町村の価値」が再認識され、地方への移住や田園回帰という新たな潮流が起きております。町村がその潮流に的確に対応していくことも今後の大きな課題であります。
私は、まちづくりの原点は「心をこめ、つくすこと」であると考えております。
コロナ禍への対応、災害への備え、社会福祉・地域医療の充実、子育て支援の充実、そして地域産業の振興などの様々な施策は、地域に住む方々が、心穏やかに、心豊かに、心安らかに、そして心満たされる日々が送れるための施策でなければなりません。町村長の皆様もまちづくりに対するその思いと熱意は同じであると存じます。
それぞれの町村において町村長の皆様が十分に手腕を発揮できる場を作ること、それが町村会の大きな使命であります。
私ども町村会は、今後とも、長野県内の58町村が一丸となり、町村の振興発展に向け様々な課題に取り組んでまいる所存でありますので、町村長の皆様、そしてご来賓をはじめ関係する皆様の一層のお力添えをお願い申し上げる次第でありますなどと式辞を述べられました。
長野県町村会の発展にご尽力をいただいた歴代会長の方々を表彰し、唐沢元会長、藤原前会長にご臨席いただき、感謝状を贈呈し、藤原前会長が代表して謝辞を述べられました。
▽ 阿部長野県知事、荒木全国町村会長、宮本長野県議会議長、牛越長野県市長会長、渡邉長野県町村議会議長会長から、それぞれのお立場による来賓祝辞を頂戴しました。
次ぎに記念講演として、後藤謙次氏が「新政権と衆院選挙の行方」と題しご講演をいただきました。
後藤先生は、佐久駅の近くのマンションを仕事部屋としていて長野県にゆかりがあり、羽田孜元総理が、小選挙区制により2大政党による政局を考え、その羽田孜元総理が目指した形が長野県にあるということ、岸田政権は10月4日(月)に発足し、できたての内閣で今回の総選挙を戦っていくこと、1年前の総裁選で岸田さんは2番目の票を獲得しても菅政権では閣僚になれず、次期総理を狙っていて、そのために古賀さんと縁切りし、麻生太郎さんと安倍晋三さんから言われて、二階さんを降ろしたとのこと、それは5年以上、3期以上は役職ができないようにしたことで、二階さんは激怒し、9年もやっている人(麻生太郎)もいる言ったとのこと、
菅さんは、時期が来れば当然出るなどとインタビューに答え、自分は再選できると甘く見ていて失敗したこと、新型コロナウイルス感染状況など事態を甘く見ていたこと、岸田総理が誕生したことは、安部さんと麻生さんの力であったこと、岸田さんは大酒豪で飲むほどに、朗らかになり、発言が鋭いから大きな決断するには良いかもしれないこと、長期政権の後は、選挙後も政局は安定しないことなど、新政権と衆議院選挙のことを噛み砕いて、なかなか知り得ない内容をお話しなり勉強になりました。
▽ 羽田会長が後藤先生に御礼の言葉を述べ、竹節副会長の閉会の挨拶で滞りなく終了しました。
▽ 毎朝出勤前恒例の撮影は、犀川対岸に行き、青空が広がり、日が差し始めた草尾上空からの風景を撮影しました。
草尾上空からの風景
その他生坂村では、保育園で個別懇談会(21日迄)、中学校で個別懇談旬間(27日迄)、児童館で子ども工房、筑北村・麻績村・生坂村農業委員会協議会研修会などが行われました。