30日(水)は朝7時に自宅を出発して、長野駅経由で羽田空港に行き、飛行機で岩国錦帯橋空港に着き、午後2時頃から岩国市内と周防大島町内を視察しました。
最初は空港名にもなっている岩国市の錦川にかかる有名な錦帯橋に行きました。この橋は、山梨県の猿橋,木曽の桟橋とともに日本三奇橋の一つとして知られていて、5つのアーチ橋を連ねた木橋で,長さは直線で 196m,橋面に沿って 210mで、4個の橋台は水面から5m、木曾のひのき材を使用し、1本の釘も使っていないとのことです。1673年、岩国藩主吉川広嘉によって完成され,20年ごとにかけ替えられてきましたが,1950年のキジア台風の洪水で流失し、53年復元をしました。付近には城山や吉香公園があって、観光客も多いとのことです。
錦帯橋は、木造橋の宿命である腐朽による傷みが見られるようになったため、2001年(平成13年)から2004年(平成16年)に50年ぶりとなる「平成の架け替え」が行われました。この度の架け替えは、現錦帯橋の木造部分(橋脚部分を除く)を現橋の形、構造通りに原形修復し、総事業費26億円(内材料費13億円)を要する大事業となりました。
錦帯橋近くの岩国シロヘビの館も視察しました。シロヘビはアオダイショウが白化したもの(アルビノ)であり、アルビノは、突然変異によってメラニン色素を合成できなくなった生物であるとのことでした。岩国のシロヘビの場合は、人間の飼育下ではないにもかかわらず、高い頻度でアルビノが出現していて、地域の人々が昔からシロヘビを神の使いとして特別で大切なものと扱ってきたのが理由であろうといわれています。
周防大島町内の「日本ハワイ移民資料館」に行きました、日本初の海外移民が行われたのは明治18年で、944名の第1回官約移民のうち、約3割は大島郡の人々とのことです。以来、大正12年に移民禁止となるまでに海外へ移住した日本人は100万人を超え、大島からも沢山の人が海を渡り、その孫たちは五世・六世に及んでいるとのことでした。
周防大島町とハワイを結ぶ絆の深さは、日本初のハワイ資料館にも表れていまして、この資料館には、移民の歴史から現在行われているハワイとの交流までを知ることができます、貴重な資料がたくさんそろっていました。
移民たちの労働や生活の様子を、写真やその道具などから知ることができるコーナーもあり、夢を抱いて渡っていった移民たちの苦労や、自分たちの生活を確立していく様子などを肌で感じ取ることができました。
早朝長野県を出発して午後は主に3箇所の視察をさせていただきありがとうございました。私は初めて視察したところですので、木造橋の維持管理、昔の地域の皆さんの思い、ハワイ移民の歴史など色々な面で勉強になりました。
▽ 朝は少し雨が降っていました下生野方面の風景です。
その他生坂村では、小学校で水泳参観デー・修学旅行前検診、ウォーキング教室、ボランティア配食サービス、民生児童委員協議会などが行われました。
最初は空港名にもなっている岩国市の錦川にかかる有名な錦帯橋に行きました。この橋は、山梨県の猿橋,木曽の桟橋とともに日本三奇橋の一つとして知られていて、5つのアーチ橋を連ねた木橋で,長さは直線で 196m,橋面に沿って 210mで、4個の橋台は水面から5m、木曾のひのき材を使用し、1本の釘も使っていないとのことです。1673年、岩国藩主吉川広嘉によって完成され,20年ごとにかけ替えられてきましたが,1950年のキジア台風の洪水で流失し、53年復元をしました。付近には城山や吉香公園があって、観光客も多いとのことです。
錦帯橋は、木造橋の宿命である腐朽による傷みが見られるようになったため、2001年(平成13年)から2004年(平成16年)に50年ぶりとなる「平成の架け替え」が行われました。この度の架け替えは、現錦帯橋の木造部分(橋脚部分を除く)を現橋の形、構造通りに原形修復し、総事業費26億円(内材料費13億円)を要する大事業となりました。
錦帯橋近くの岩国シロヘビの館も視察しました。シロヘビはアオダイショウが白化したもの(アルビノ)であり、アルビノは、突然変異によってメラニン色素を合成できなくなった生物であるとのことでした。岩国のシロヘビの場合は、人間の飼育下ではないにもかかわらず、高い頻度でアルビノが出現していて、地域の人々が昔からシロヘビを神の使いとして特別で大切なものと扱ってきたのが理由であろうといわれています。
周防大島町内の「日本ハワイ移民資料館」に行きました、日本初の海外移民が行われたのは明治18年で、944名の第1回官約移民のうち、約3割は大島郡の人々とのことです。以来、大正12年に移民禁止となるまでに海外へ移住した日本人は100万人を超え、大島からも沢山の人が海を渡り、その孫たちは五世・六世に及んでいるとのことでした。
周防大島町とハワイを結ぶ絆の深さは、日本初のハワイ資料館にも表れていまして、この資料館には、移民の歴史から現在行われているハワイとの交流までを知ることができます、貴重な資料がたくさんそろっていました。
移民たちの労働や生活の様子を、写真やその道具などから知ることができるコーナーもあり、夢を抱いて渡っていった移民たちの苦労や、自分たちの生活を確立していく様子などを肌で感じ取ることができました。
早朝長野県を出発して午後は主に3箇所の視察をさせていただきありがとうございました。私は初めて視察したところですので、木造橋の維持管理、昔の地域の皆さんの思い、ハワイ移民の歴史など色々な面で勉強になりました。
▽ 朝は少し雨が降っていました下生野方面の風景です。
その他生坂村では、小学校で水泳参観デー・修学旅行前検診、ウォーキング教室、ボランティア配食サービス、民生児童委員協議会などが行われました。