心と身体がよろこぶ“気功養生”

「養生気功塾」のお知らせ、気功の魅力、気功養生法、気功の生活術をメインに、日々のあれこれも書いています。

気場・聖空間

2022-11-07 00:28:58 | 気功の話

生前ご縁のあった

津村喬さん。

 

私が津村さんの文章を紹介させてほしいと

ご連絡すると

いつも

「どうぞどうぞいつでも使って広めてください」

といってくださったので、

たまに

ご紹介させていただいています。

 

今回はこれ。

 

 

「聖空間」

 

 そこに行くと心が休まり、深い癒しを得られ、自然から、宇宙から、いのちの力をもらってこれるという、あなたにとって特別の場所がありますか。

 

  日常のあくせくに疲れ、もっと根源的なものの力をもらいたいという時に、思わず足を向けてしまうような場所を持っていますか。

 それは町の中の好きな散歩道であったり、裏山のあまり人の来ない林であったりするかも知れません。旅行で行ったアリゾナの砂漠や沖縄の海かもしれません。お遍路のまねごとをした時の山中の寺かも知れません。どんな美しい場所に行っても、ただその場所を消費し、ビデオで見た通りの景色を確認してお金だけ落として帰ってくるという刊行パックのような関わり方もあれば、その場所の「気」に出会い、私の存在とその場所との特別の関わりに気づく旅のしかたもあります。旅だけでなく、毎日通る道にあなたが真剣に挨拶できる一本の木があれば、そこはもう聖空間と言えるかも知れません。
古代の日本人は、場所の持つ力ということにとても敏感でした。そこにいるだけでますます気が盛んになって元気になるような場所をイヤシロチ(弥盛地)と呼び、そこにいるだけで気が枯れてしまうような場所をケガレチ(気枯れ地)と呼んで、どうせ短い人生であれば、できるだけ気のいい場所で生き、死んでいきたいと願いました。ケガレはのちに汚れ、穢れになりましたが、もとは気の枯れた状態を指したことばです。

 イヤシロチの中にはイヤシ(癒し)という言葉とヤシロ(社)という言葉が入っています。古い時代の神社はそうした「気の癒し」の場所でした。

 中国ではそれを風水とよびました。風は天の気のことで、水は地の気のこと、天地のエネルギーが集まってしかも停滞しないような地形のさまざまなパターンを、人体で言えばツボのような場所が大地にもあると考えました。そこに家を建てれば家が栄えるし、墓を作れば子孫が栄えると考えたのです。とくに山脈に沿って流れる強い気の流れを龍脈と呼んで尊重してきました。万里の長城はこの龍脈をつないで建てられましたし、古代中国の都市計画はこの風水の観点から組み立てられました。京都は古代中国の風水思想そのままに選択され設計された都市です。他の都と違って1200年も続いて今も力を保っているのは、自然の気、場所の気とうまく調和した証拠にほかなりません。とすれば、現代の京都の町作りがこれ以上京都の本来の場所の力を損なわないように、風水とイヤシロチの理論と応用の研究をすることこそが、1200年記念行事に最も必要なことかも知れません。

 奈良の天河神社はそうした場所の気の力を純粋に感じさせてくれる典型的なスポットのひとつです。
天武天皇の時代にまでさかのぼる歴史を持っていて、南北朝の時代に南朝の仮の御所ができたのもこの場所です。大峰山系のダイナミックな龍脈の力を基礎にし、坪の内(壷の内)と呼ばれる囲い込まれた地形と弥山から流れる川戸が絵に描いたような理想的風水を作っていて、水の神である弁天が祀られるのにふさわしい場所です。数年前に美しい白木でできた壮麗な社殿ができ、その場所の自然の力と、歴史上そこに注がれてきた無数の人々の気の力を容易に感じ取れることのできる聖空間が出現しました。ここの拝殿と能舞台をつなぐ線上で瞑想すれば、何も知らなくても深い気功的境地になれる人が多いのは、建築に媒介されてそうした気が人体に伝わりやすくなっているからです。
天河弁財天社は長い間、霊能者の間で日本の代表的な霊的スポットとして大事にされてきました。その後芸能の神である弁天が、若い人気の高いタレントたちに再発見されたこともあって、次第に風俗化し、「精神世界の六本木」と言われるまでになり、超越体験をしたいとか、UFOを見たいという人が押し掛けました。「天河伝説殺人事件」といった小説や映画の舞台にまでされてしまいました。しかし本当に天河を愛する人たちの間で、天武天皇がかつて言った「千年後の平和のために」この場のエネルギーとネットワークを生かして行こうと言う動きが、いま改めて静かに始まってきています。聖地もまた消費されてぼろぼろになることがあります。聖地も癒さなければならないのです。神々を癒したいと思える時に、神々もまたわれわれを援助してくれるのかもしれません。

 中国最大の聖なる山である泰山に行ったときに、ゴミが山になっているのを見て、つい皆であつめてしまいました。山が泣いているのが聞こえたような気がしたのです。

 40袋のゴミを積み上げてその周りで気功をしました。「中国には天と一体になるという思想が何千年もの間うけつがれてきたが、ゴミと一体になって聖地を浄化するというのは、これが最初かもしれない」と中国の老師がいいました。
私を癒してくれる場所を探して遍歴をするのも人生の一こまです。でも、私が癒せる場所を見つけた時に、聖空間は私の中にあることがわかります。家の中でもひとつの特別の場所を選んで、心が乱れた時にそこに坐って丁寧に三回呼吸をしてみるだけで、そこに聖空間が現れるでしょう。

 

 

 

 


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