コロナ禍で酒に弱くなったよっぱらい親父。古希を過ぎ、腰痛に悩みながら今は家庭菜園に精を出す。慰めは3匹の猫。
よっぱらい親父の独り言
今年最初の東京散歩は木場
22日、今年初めての東京散歩は、行き先を木場と決めて出発。
地下鉄東西線木場駅で下車する。
南下して歩くこと数分、赤い橋が美しい新田橋を通る。大横川に架かる。
昭和の初め、木場5丁目の医師新田清三郎さんが、事故でなくなった夫人の供養のため架けたという。
当初は「新船橋」と名付けられたが、新田医師の遺徳から「新田橋」と呼ばれるようになったそうだ。
さらに南に行くと洲崎神社がある。
この辺りは、将軍吉宗時代は海岸だった。風光明媚で文人墨客も舟に芸者を乗せて遊んだという。
浮弁天と呼ばれ、海中の島に祀られていた。
約100年の後、洲崎一帯は津波に襲われ多数の車を出した。
幕府は付近の土地を買い上げて人が住むことを禁じたという。境内に「波除碑」が建つ。
ここから三目通りに出て北上、大横川を渡る。
永代通りとの大きな交差点を過ぎてすぐ左に曲がった所に、ひっそりと繁栄稲荷神社がある。
先客のご婦人(推定60歳)が何事か祈っていた。
株が下がって苦しいのだろうか、などと勝手な想像をする。
この神社は、大丸百貨店の祖下村彦右衛門正啓が、宝暦7年(1757)貯木場を備えたこの地に創建した。
後に初代根津嘉一郎氏の青山邸に引き取られたが、昭和35年に根津家より社殿を譲り受け元に戻ったという。
神社の横は大丸百貨店本社ビルなのも納得できる。
三目通りを北上してすぐ右手が木場公園だ。
植物園を歩く。ロウバイ、白梅がちらほらと咲くのが見える。
広場は想像以上に広い。
木場は江戸から昭和にかけて、材木の供給地として栄えた。
江戸は火事が多かったので、江戸中の材木商はこの地に集められたのだ。
今は埋め立てられて、都立公園となり、木材関連事業者は新木場に移転したのだという。
面積は24.2ha。
木場公園大橋を渡る。スカイツリーが見える。
イベント広場で中学生が写生をしている。
目の前を小学生がマラソン大会をしている。
ベンチでお年寄りが昼寝をしている。
今日は暖かい。
都立現代美術館に立ち寄らず、大横川の右岸の小道を北上する。
幾つかの橋を通り過ぎ、美術館から歩くこと20分。
三目通りに戻り、小名木川の橋を渡りさらに歩くこと10分。
地下鉄新宿線菊川駅にたどり着く。
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タヌキの誕生日、親父はついに入れ歯になった
孫たちが来て賑やかだった年末年始も過ぎ、また静かな日々となった。
13日はタヌキの誕生日だ。
もう歳は取りたくないらしく、若い人のように喜んではいない。
そんなお目出度くもありお目出度くもない13日。
よっぱらい親父は、ついに入れ歯になった。
左下の糸切り歯から奥の歯を抜いて、その上から入れ歯を重ねたのだ。
慣れないせいか、抜歯の跡の傷のせいか、痛くてたまらない。
入れ歯初日の昨日は、歯医者から帰ってすぐに取り外したほどだ。
今日は抜いた跡の痛みは大分薄れたが、入れ歯を入れると口の奥に当たって痛い。
歯医者に行って調整してもらった。
夕食も、いつものようにおいしく食べられなかった。
土日に2日連続の宴会がある。
おいしく酒が飲めるか、心配だ。
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