コロナ禍で酒に弱くなったよっぱらい親父。古希を過ぎ、腰痛に悩みながら今は家庭菜園に精を出す。慰めは3匹の猫。
よっぱらい親父の独り言
板橋区立赤塚植物園と東京大仏
今日は暑い日だった。明日からは、もっと暑くなるというから行かねばなるまい。
というわけで、恒例の東京散歩に出かけた。
今回の行き先は、地図で見つけた板橋区立赤塚植物園だ。
東武東上線成増駅下車、池袋から10分。
北の方角に歩くこと20分で赤塚植物園に到着する。
途中、坂が多い。
高台と思しき所に植物園がある。
戦国時代、千葉氏がこの高台に赤塚城を築いたという。
赤塚植物園は、丘陵地を活用し1981年(昭和56年)10月に開園。
約1haの敷地内に樹木見本園として多くの樹種が植えられている。
正面入口から入り、事務所の近くに一際赤く咲く花の木がある。
「ブラシノキ」とある。まさに、その通り。
そこを過ぎると、すぐあるのがバラ園。今が盛りで、香りに鼻が動く。
日本庭園。竹林が美しい。タケノコも生えていた。
坂を上り、奥に「万葉薬用園」がある。
よく見る野草が多い気がした。
地図を見ると、植物園のすぐ北に「東京大仏」とある。
これは行ってみる価値がありそうだ。
大仏は大きい。すぐに見つかった。
まず本堂を詣でる。菊のご紋が目に入る。
このお寺、乗蓮寺は、応永年間(1394-1428)に創建されたという。
天正19年(1591)には徳川家康より10石の御朱印状を受領。
さらに八代将軍吉宗以降は御膳所となったという。
昭和46年から8年かけて、赤塚城の二の丸にあたる当地へ移転した。
東京大仏は昭和52年の建立。高さ13メートルとある。
平日というのに、参詣者は絶えない。
境内に、「何でも耐えるがまんの鬼」「智恵を授ける文殊菩薩」などの石像があり、興味深い。
マッキンリーに消えた植村直己の墓を拝して帰途につく。
ご婦人(推定60歳)が「植物園はどこですか」と聞くから、地元民のふりをして教えてあげた。
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東京散歩~足立区西新井の大師様
暦の上では夏を迎えた。
暖かさに誘われて久々の東京散歩。今回は足立区西新井の大師様だ。
是非、有名なボタンが見たいと思ったのだ。
実は数年前にも行ったのだが、その時は雨。しかも時季外れ。
東武線で大師前で下車。この駅、改札はなし。西新井駅で改札される。
駅を出ると、そこは境内。案内図によると、いくつものボタン園が散在する。
行ってみると、ボタンはすでに散ったあとで、名残の数輪があるのみ。
その代わり、シャクヤクが咲いていてくれた。
桜は早くもサクランボを結んでいる。
本堂に詣でる。
西新井大師は五智山遍照院總持寺といい、真言宗豊山派の寺院。
弘法大師様が当所に立ち寄り、悪疫になやむ村人のため祈願した。
すると清らかな水が湧き、病はたちどころに平癒したという。
その井戸がお堂の西側にあったことから「西新井」の地名ができたという。
境内には弘法大師ゆかりの四国八十八カ所巡りができるという祈願所がある。
ご婦人(推定65歳)が、ゆっくりとまわっていた。
本堂西側には池。ここが清水が湧いた井戸なのか。
ユニークな塩地蔵。イボ取りに霊験ありという。
先来の紳士(推定60歳)は、塩を持参していた。イボが取れたに違いない。
親父も、つまんだ塩でお尻を撫でた。(内緒だったが実は痔持ち)
山門をくぐって参道に出る。草団子屋さんで試食。
参道はすぐ環七通りに出る。
信号を渡って右に行くと、氷川神社があった。
村の鎮守と思われる。
バス通りを南下し、江北駅まで歩き、タイヤで走る電車(舎人ライナー)で帰る。
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