コロナ禍で酒に弱くなったよっぱらい親父。古希を過ぎ、腰痛に悩みながら今は家庭菜園に精を出す。慰めは3匹の猫。
よっぱらい親父の独り言
東京散歩~目黒の大円寺周辺
残暑厳しき中にもかかわらず、東京散歩に行った。
今回は、「行人坂の火事」で有名となった目黒の大円寺周辺。
目黒駅西口を出て大通りを渡ると急な坂道がある。この坂が「行人坂」。途中に大円寺がある。
明和9年(1772年)、無宿の坊主真秀が大円寺に盗みに入り本堂に放火をした。
この火事が死者・行方不明者約2万人となる大火事となった。
寺の門を入って、左に亡くなった人々を供養するために建立された石仏群がある。
本堂には、江戸城裏鬼門にあたるため徳川家康モデルの大黒天を祀ってあるという。
墓地には西運の墓。
西運は江戸初期、隣の明王院(現在の雅叙園の位置)に住し、行人坂の修築などを行った。
西運は八百屋お七の恋人吉三の出家後の名である。
雅叙園のエントランスに向かう途中、「お七の井戸」がある。
西運が念仏行の前に水垢離をした井戸だという。
最後はお七が夢枕に立ち、成仏できたと礼を述べたという。
雅叙園では「和のあかり、百段階段」の催しをやっていた。
百段階段に接する6部屋は登録有形文化財に認定されていて、普段は見られない。
年に数度、食事付きの予約で見学することができる。
今回は、1500円の入場料だけで各部屋の豪華な装飾が見られるのだ。
天井や欄間には、当時屈指の著名な画家達が創り上げた美の世界が描かれている。
この建物は、昭和10年(1935年)に建てられた。
急な坂道を登り、帰途に着く。
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練馬区の氷川神社に行った
台風一過、酷暑の中の東京散歩。今回の行き先は練馬区の氷川神社だ。
地下鉄有楽町線「氷川台駅」で下車。
この「氷川台」という地名も氷川神社に由来するという。
冷房の車内から太陽が照りつける街は暑い。
白髪頭なので太陽の光を反射するので、帽子はいらない。
北の方に向かって約10分、氷川神社はあった。
一礼すると、霊験あらたか、急に天が曇っていくらか涼しくなってきた。
解説板によると、この神社は、須佐之男尊を祭神とする旧下練馬村の鎮守社という。
1457年(長禄元年)創建。渋川義鏡が古河公方の足利成氏との戦の途上、
下練馬で石神井川近くに泉を発見、兵を休めて武運長久を祈ったのに始まる。
もとは、「お浜井戸」(桜台6-32)に鎮座していたが、1477年(文明9年)江古田原の戦いのために焼失。
江戸時代の延享年間に現在地に移転・再建された。
ここの狛犬は、区内の神社に残る狛犬としては最古という。
境内に稲荷・北野・須賀・出雲の社がある。
次に、氷川神社発祥の地、「お浜井戸」に行く。
元来た道を戻り、石神井川を渡ろうとしたとき、雨が降ってきた。
急遽、近くのスーパーでビニール傘を購入する。540円なり。
現在の川から50メートルほど離れた住宅地に中に「お浜井戸」を発見。
しかし、鉄鎖が張ってあって敷地の中には入れなかった。
3年に一度、氷川神社の神輿はここまで渡御し、里帰りをするという。
川を少し遡った所に高稲荷公園あり。
ここのベンチで水分とニコチンの補給。木陰に入っても風はなく蒸し暑い。
蝉の声が降ってくるうち、雨が止む。
すぐ西側の小高い所が「高稲荷神社」。
ふもとの沼の大蛇に引き込まれた若者の霊を祀った由来があるという。
もともと縄文時代の遺跡を地元農民が守護神としたものと思われる。
石神井川を渡り、北の台地に「早宮史跡公園」があるので行ってみる。
この公園は東早淵遺跡の一部で、発掘調査で旧石器時代の製作跡や住居跡などが見つかっている。
園内には、子供たち古代人を描いたタイルが埋め込まれた石塔がある。
石神井川を20分ほど遡れば豊島園駅があるのだが、天候が心配で氷川台駅に戻る。
駅に戻る頃には、また晴れてきた。
池袋駅で下り、東口のレストランで遅い昼食。鯖の炭火焼き定食。
山の手線で、若者に席を譲ってもらった。
実は、地下鉄でも譲ってもらっていた。白髪の効果は絶妙だ。
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