コロナ禍で酒に弱くなったよっぱらい親父。古希を過ぎ、腰痛に悩みながら今は家庭菜園に精を出す。慰めは3匹の猫。
よっぱらい親父の独り言
節分の豆まき
親父が小学生だった昭和30年代の頃の話。
節分の日、母が畑で獲れた大豆を煎った。
晩になり、仕事から帰った父親が一升枡に入った豆をまくのだ。
まきながら父親は「フカーチ、フカーチ」と2回叫ぶ。
その声とともに、少年だった親父は玄関の戸を開く。
「鬼は外~」の大きな声で戸を閉めた。
近所の家々でもやっていて、あちこちから声が聞こえてきたものだ。
父母が亡くなった後、節分の行事は同居のタヌキ殿と親父が継いだ。
3人の子たちは、親父が少年だった時と同じように年の数だけ豆を食べた。
この日を境に年齢が一つ上がることや、それは数え年であることを教えたものだ。
平成の頃になると、近所から「フカーチ」の声は聞こえなくなった。
さすがに親父も、何となく恥ずかしい気持ちになって小さな声になる。
やがて、3人の子たちが巣立ってしまい、年が増えるのは夫婦だけ。
いつしか我が家からも、何百年と続いたであろう行事がまたひとつ消えていった。
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