このごろ、「やさしい味」ということについて考えています。
ときどき、私の作ったごはんを「やさしい味ね」って言っていただくことがあります。
なんてうれしいんだろう、また次、心をこめて作ろう・・・そう思います。
それはきっと、調味料のおかげもあると思うの。薄味ね、風味がいいね・・・とかって言っていただくので。
お塩を変えるだけでも、お料理は格段に変わります。高くなくていいの。なめてみて、とげとげしくないお塩。気に入ったそれをひとつ持っておくと、絶対にいい。
もちろん、にがりを含んだ自然塩。私はシママース。
高いお塩は私には逆に手に負えない、そんな感じがします。
でも、きっと調味料のおかげだけではないんじゃないかなともちろん思っていて、最近私がいただいた「やさしい味」のお料理の話を少し聞いてください。
それは、もう数週間も前になる、「つづき・ひとの『わ』ランチ」の日のこと。
終わってホッとして、ヨレヨレで帰ってきてたどりついた我が家。家に入ると何だかいいにおいがしました。和風のおだしのにおい。ん?なんで?
テーブルを見ると、うどんのお鉢があって、中にお汁が。
誰だろう?・・・って、今日は中2の息子しかいないはず。
たまたまお弁当なしの日で家でお昼を食べるというから、前日の残りのクリームシチューか何かとパンを置いていたはず。でも、手つかずで残ってる。
むむむ。もしや作ったんだろうか・・・。
ふと、台所を見ると、上の写真の、ガラスの容器に昆布が一枚入ったものが置いてありました。そして、お鍋にはかつおぶしと煮干しが一匹。
・・・きっと、そうだ。
しばらくしたら遊びに行っていた息子が帰ってきたので聞きました。すると、「あー、冷凍庫見たらうどんがあったし、食べたくなって作った」とのこと。
やっぱり・・・。
だしの取り方はネットで探してやってみたそうです。そして、しょうゆ、みりん、お酒、塩。具は・・・「切ったねぎとかなかったからナシで」。まったくの素うどん。
この子は小さい時から作りたくなるとすぐ調べて作るの。ピザ、パン、手打ちうどん、それからなんだっけ。たぶん、工作の感覚。だから、まあこの日のことも不思議じゃないのだけど、この昆布を見て、思わずうるうる。
きっと、私が昆布をこの上もなく大切に思っているのをわかってるからだろうなあと思って。
そして、このお鉢に残ったおだし、少し飲んでみたら、とてもやさしい味をしていたのです。
心身ともに疲れきっていた私のからだとこころにそれは染み込んでいきました。
きっと彼はただ食べたかったから、作ってみただけだと思うのです。そして、とても楽しかったと思うのです。
ただそれだけのことだけど、このうどんだしの味は今でも私の記憶に残っています。
うるうるしてたら、息子はけげんそうな、照れたような顔をしてました。
この日のことが面白かったのか、それから今日までの間に2回、また作っていました。この前は煮干しが見つからないまま作って、「何か物足りない」と言って、冷凍していた鳥肉を解凍してそぎ切りにしていれ、卵でとじてゴージャスなうどん!!
昨日はまたただの素うどん。ねぎは入れていましたが。
食べる前に慌ててパチリ。
やさしい味は出そうと思っても出せません。きっと自然に生まれるもの。子どもほどきっと純粋にそんなことができるのではないかしら。
私にはなかなかむずかしい。でもせめて、ここというときは心をこめてやさしい気持ちで作ってみようと思います。
なんて、打っていたら、件の息子が帰ってきて、「おやつは?」たらなんだらうるさくって仕方ない。あー、さっきまで愛おしくてならなかったのに(^^;)
あー、今夜の晩ごはん、やさしい気持ちで作れるかしら(**)