はちみつと青い花 No.2

飛び去っていく毎日の記録。

見ること・聴くこと

2018年10月05日 | 
2018/10/05

先日読んだ久石譲さんの本に興味深いことが書いてありました。

 
「映像より先に音楽が脳に飛び込む」という文章で、久石さんは、映画の1秒間に24コマのレベルで厳密に音楽をつけていく作業をするのですが、同時にすると音楽のほうが早く感じるそうなのです。

このあたりを要約して引用しますと、

映画音楽では、映像と音を同時にすると音が先行して聴こえる。映像のほうが音より速いはずなのに。

養老猛司先生は、シナプスの数の違いだという。見ているのと、聴こえてくのでは脳の神経細胞が伝達して意識が発生するまでの時間が違う。 

脳には音楽のほうが先に届く。音楽を感じ取るのが脳の古い部分、まだ動物だったときからある脳で感じ取る。前頭葉を経由して入ってくる視覚よりインパクトが強いのではないか。


養老先生によると、視覚にないものは何か、それは時間です。目にとって時間は前提にならない。一方聴覚にないものは何か「空間」です。いわゆるデカルト座標は視覚、聴覚は極座標で距離と角度しかない。どのくらい遠くから聴こえるかと、どっちから聴こえるか。それだけです。

私にはデカルト座標とはなんぞや??ですが、とにかく、映像と音が同時のとき、脳は音のほうを先に認識するということなのですね。


なぜでしょうね。

脳の古い部分というのは、より原始的で生存にかかわる部分。
危険を察知するのは視覚でなく、聴覚に頼る部分が大きいのかな。

目は顔の前にしかなくて、自分が見ようとしたものしか意識しないのに対して、音は後ろからでも横からでも無意識のうちに聞こえてくる。 異質な音から危険を察知するアンテナが人にはあって、だから音のほうが早く感じるのかしら。

上の本に書かれた音と映像の話の初出は、久石譲さんと養老猛司氏の対談本です。
こちらも今、読書中ですが、更に興味深い。

耳で考える ――脳は名曲を欲する (角川)
 

〈追記〉
養老氏の言葉

耳の元は身体の運動をつかさどる平衡器官。いわゆる三半規管がそれ。耳はものを聴く以前に、自分のからだの動きを把握する運動器官だった。振動をからだのいろいろなところで聴いているので、必ずしも耳だけで聴いているのではない。耳は外の世界を捉えるばかりではなく、からだの内側にも深くかかわっている。


感覚器の二重構造 外部を捉える感覚と内部感覚の二重構造

耳だけは古い感覚器が非常に強く残っている。体の運動に直接つながっていますから。脳の中では当然近い関係になる。脳からいうと、聴覚は古いところに直接届いている。それが情動に強く影響するということなんです。

大脳辺縁系というところ。それが一番遠いのは目。目は客観的。だから、見て感動するより聴いて感動するほうがよっぽど多いんです。(p.40)



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