大晦日は、古い年を除く日という意味から「除日(じょじつ)」ともいわれていました。この除日の夜、つまり除夜に撞く「除夜の鐘」は、108ある人間の煩悩を消し去り新しい年を迎えるために、その数だけ撞くとされています。
この梵鐘を吊るした建物は鐘楼とよばれますが、楼門と一緒になった鐘楼門や下層が袴腰になっているものなどいろんな形があり、歴史散歩でお訪ねした寺院で撮った鐘楼を並べてみました。(なお紹介したお寺では、除夜の鐘を撞かないところもあります)
源頼朝の創建と伝わる臨済宗妙心寺派の長勝寺(潮来市)の鐘楼は、下層が袴の裾のように広がっている袴腰付きです。
元徳2年(1330)の銘のある梵鐘は、鎌倉幕府14代執権の北条高時が頼朝の菩提のために寄進したもので重要文化財に指定されています。
善光寺(長野市)の鐘楼は江戸時代後期建立の入母屋造檜皮葺き、切石積基壇上に南無阿弥陀仏の六字にちなんで6本の柱で建てられています。
小江戸といわれる川越市の天台宗喜多院、下層が門になっている袴腰付鐘楼門です。
梵鐘の銘にある元禄15年(1702)に建てられた鐘楼ともども重要文化財に指定されています。
雨引山楽法寺(桜川市)は、アジサイと雨引観音の名で知られる真言宗のお寺です。
ここでは鐘楼堂とよばれる華麗な建物は、建長6年(1254)に宗尊親王により建立され、その後二度再建された文政13年(1830)のもので、屋根だけは瓦葺きに葺き替えられています。
真言宗の華蔵院(ひたちなか市)の梵鐘(※上記タイトル下のイメージ写真)には幸運な歴史が残っています。
江戸時代後期、水戸藩第9代藩主・徳川斉昭が大砲鋳造のため、領内の梵鐘を集めましたが、暦応2年(1339)の銘のある浄因寺(現、満福寺(常陸大宮市))の鐘は、幸いに鋳つぶされることを免れ、後にこの華蔵院に据えられたと伝わっています。
鐘楼門で知られる阿弥陀寺(那珂市)は、土塁や堀の残る中世の額田城の一画にある浄土真宗のお寺です。水戸藩2代藩主徳川光圀公御手植えと伝わる樹齢320年の枝垂れ桜が咲く春には桜まつりで賑わいます。
親鸞聖人が建保4年(1214)那珂西郡大山(城里町)に開いた念仏の道場、大山禅房阿弥陀寺を明徳3年(1392)額田城主小野崎氏が額田城内に移し守護寺としました。
臨済宗の江畔寺(常陸大宮市)は、佐竹氏の一族小瀬義春が康永3年(1344)、小瀬城の大手門前に菩提寺として建立しました。
西光院(大洗町)は応永5年(1398)宥祖上人の開山で、寺号を古内山宝性寺西光院と称し京都醍醐寺無量寿院末の真言宗のお寺です。
西蓮寺(行方市)は奈良時代の延暦元年(782)に桓武天皇の勅願により最澄の弟子である最仙によって創建されたと伝えられる天台宗の古刹です。
最仙上人お手植えと伝わる銀杏の巨樹2株の黄葉が彩る境内に建つ重層の鐘楼には、直線的な袴腰が付いています。
「親鸞聖人法難の地」として知られる浄土真宗の大覚寺(石岡市)、京都の天竜寺庭園を模したとされる「裏見無しの庭」が名所になっています。
浄土真宗の大山寺(城里町)の境内では、意匠を凝らした木組みと流線的な袴腰が美しい鐘楼がひときわ目を惹きました。
茅葺き、袴腰付の小じんまりとした鐘楼は、浄土真宗の無量寿寺(鉾田市)にあり享保12年(1727)の棟札が残っているそうです。本堂も茅葺きでしたが2021年火災により焼失、鐘楼は免れましたが本堂はいま再建工事中です。
宝金剛院(常陸太田市)は真言宗のお寺で、久慈川流域を支配した久自国造舟瀬足尼(すくね)の墳墓と伝えられる全長は160mの前方後円墳、梵天山古墳の南麓にあります。
神社に鐘楼?……東金砂神社(常陸太田市)にある鐘楼は、神仏混合時代の遺産で、明治の廃仏毀釈によって廃寺となった別当寺・東清寺の名残だそうです。
真言宗の仏国寺(城里町)の鐘楼に吊るされた梵鐘には貞享元年(1864)の銘があり、明治の廃仏稀釈で建物は破壊されましたが境内の外れにあったため難をのがれたと伝わります。
最後は柴又帝釈天(東京都葛飾区)、正式な名は経栄山題経寺という寛永6年(1629)開山の日蓮宗の寺院です。
ここは松竹映画「男はつらいよ」のフーテンの寅さんで有名になり、この大鐘楼も今は亡き佐藤蛾次郎演ずる源ちゃんが時を知らせる鐘を鳴らす場面に出てきました。
この一年拙いブログにお付き合いいただきありがとうございました。
暗い話題の方が多かった年でした…せめて五輪や大谷君の活躍で暫し気を晴らせていただきましたが、新しい年には世界各地の紛争が終息し平和な地球になることを切に願いたいと思います。
どうぞよいお年をお迎えください。