顎鬚仙人残日録

日残りて昏るるに未だ遠し…

偕楽園公園の紅葉…逆川緑地など

2023年12月06日 | 水戸の観光

水戸の偕楽園の面積は12,7haですが、その周りを囲む緑地帯をひっくるめると、なんと300ha…これが偕楽園公園で、都市公園としてはニューヨークのセントラルパーク(340ha)に次いで、世界第2位の面積といわれています。
面積はともかく、嬉しいことに自然がそのままが残っているところが結構あるので、紅葉を探してみました。

那珂川、千波湖などの水辺に突き出した河岸段丘の台地という意味の「水戸」という地名のとおり、偕楽園や旧市街のある台地に対し、公園を形成する沖積層の低地では水の豊かな景色が広がります。


その中でも逆川(さかさがわ)は、総延長6Km、流域面積は11K㎡の1級河川です。付近の川が東や南に流れるのに対し、千波湖東で桜川に合流するまで真北に流れているのが命名の由来といわれています。


あまり手を加えず、豊かな森と湧水を利用したこの水辺の緑地は、水生植物や野鳥の観察など街の中で自然が味わえる広大な公園になっています。


水戸の台地は、水を通さない凝灰岩の上に水を通す礫層があり、降った雨が数十年かけて湧水となって滲みだしています。この逆川の両岸の河岸段丘からも湧水が数多く流れ込んで、小さい川ながらこの一帯を通ると水量が多くなり川幅も広がります。


水辺の好きなラクウショウ(落羽松)の林もあり、かわいい気根が顔を出しています。


市街地の中とは思えないススキの土手を流れる川の水は、湧水が加わって驚くほど澄んでいます。


カモ(鴨)もこの季節を満喫しているようです。


また、この湧水を利用して、水戸藩2代藩主徳川光圀公は、寛文2年(1663)飲料水に不自由していた城下の低地区に全長約10Kmの笠原水道を敷設、これは日本国内で18番目に古い上水道でした。

この笠原水源地の湧水はいまでも水戸市の水道にも利用されています。鬱蒼とした杉林に囲まれた竜頭供用栓から出ている水は、いまでも汲みに来る人が絶えません。


こちらは、偕楽園公園の中の紅葉スポットとして人気の「もみじ谷」です。


台地に挟まれた谷は駐車場でしたが、植えたもみじが大きくなってこの時期人気の紅葉の名所としてすっかり定着しています。

ここは名前の通り谷の中なので、午前午後の光線の加減によっていろんな表情を見せてくれます。


最後は黄葉で知られる茨城県立歴史館のイチョウ並木です。


ここには昭和45年(1970)まで、茨城県立水戸農業高等学校があり、その旧校舎本館が復元されています(写真右)。 その跡地に昭和49年(1974)茨城県立歴史館が開館しました。

約50本のイチョウが金色のじゅうたんを敷き詰めた並木道をつくりました。今年は黄葉の時期が遅く11月13日までの「いちょうまつり」は、1週間延長されました。

夏の暑さが長く続いたため1週間ほど遅れた紅葉も、台風で葉を吹き飛ばされることもなく無事に秋のフィナーレを見せてくれました。
自然の移り変わりを味わえる環境に感謝しつつも、愚かな人類の殺し合いに巻き込まれた人たちに早く平和が訪れることを切に願うばかりです。

秋の実 ②…身の回りや近くの公園で

2023年12月01日 | 季節の花
年々狭くなる行動範囲の中を彷徨しながら撮った秋の実、調子に乗っての第二弾です。


ゴンズイ(権翠)が林の中で輝いています。この辺の海でも釣れる魚の「ゴンズイ」が役に立たない物の代表としてその同じ名が付けられましたが、とんでもない、秋の野を鮮やかに彩っています。

ペットや番犬、猟犬など人間にとって一番役に立っているのに、役に立たないという意味で植物の名前の頭に付けられたのが「イヌ」です。

このイヌツゲ(犬柘植)は、印鑑、櫛などに使われるツゲ科のツゲ(柘植)に対してモチノキ科で役に立たないと付けられたのでしょうか。庭木や植え込みとして充分役に立っていますが。


同じくイヌザンショウ(犬山椒)は、姿かたちはそっくりでもサンショウ(山椒)に比べると香りが弱く役に立ちません。見分け方は、棘の出方がイヌザンショウは対生、サンショウは互生というのが一般的です。


モッコク(木斛)は「江戸五木」ともいわれ古くから人気の庭木です。雌雄異株で、花が咲いても実をつけない雄株と、花も咲き実もつける両性株があります。


花と実が一緒に見られるシロダモ(白梻)も雌雄異株です。実は成熟に一年かかるのでこの時期雌株では花と実が同時に見られます。近くに花だけの雄株もありました。クスノキ科の三行脈の葉の裏側が白いのが名の由来で、野球バットに使われるアオダモはモクセイ科の別種です。


ツバキ(椿)の実も開いた殻からほとんど落ちかかっています。今から約1200年前の平安時代の初期、遣唐使が唐への献上品として椿油を持参したそうです。


殆ど落ちてしまったムカゴ(零余子)、数粒残ったふっくらとした実です。自然薯の葉の付け根に出る球状の芽で美味しく食べられます。山遊びでは茹でて塩ふって山上のビールのつまみになりました。


厄介な雑草として嫌われているアカネ(茜)は、昔から茜色の染料として使われていました。


こちらは巨峰のように美味しそうなアオツヅラフジ(青葛藤)、残念ながらアルカロイドを含む有毒植物です。ツタが緑色でツヅラ(葛籠)などを作るために用いられました。


哀れな名前の代表ともいうべきヘクソカズラ(屁糞葛)、その臭いからこんな名になりましたが、臭いの成分メルカプトンは、無臭のガス漏れ検知のための臭い付けに使われているそうです。


梅林の植え込みの中のヤブミョウガ(藪茗荷)の実が、薄緑色から褐色、濃い藍色、白っぽい藍色と、変化する実の色で存在感を放っています。


こんな悪役でも紹介していいのでしょうか、「引っ付き虫」最強の北米原産のコセンダングサ(小栴檀草)です。放射線状に出た細長い痩果の先端には棘がありしっかりと衣類に取り付きます。


フユイチゴ(冬苺)は水捌けの悪い我が家の樹下の環境が気にったのか毎年実を生らせてくれます。酸味が強くてもまさしく苺の味です。小鳥に見つからないように枯葉で覆いますが、周りの餌が無くなる頃には必ず見つかってしまいます。


スギ(杉)の葉の根本にしっかり実が付いていますが、尖端にはもう来春に花粉を飛ばす雄花の蕾が出来上がっています。


こちらはスギより1か月遅れて花粉を飛ばすヒノキ(檜)と似ているサワラ(椹)の実です。区別が分かるでしょうか。

日本気象協会の関東甲信越地方の2024年花粉予想では、例年に比べて「多い150%」、前年に比べて「やや少ない80%」という数字が出ています。

秋の実…身の回りや近くの公園で

2023年11月25日 | 季節の花
秋たけなわ、觔斗雲を降りた仙人が彷徨範囲で見つけた秋の実を撮ってみました。


ウメモドキ(梅擬)は、葉や枝ぶりが梅に似ているのが名の由来とか(そんなに似ているとは思えませんが)。鳥の大好物の実には発芽抑制物質が含まれていて、実が糞と一緒に排出されることでその物質が除去され、運ばれた先の地面で発芽するという子孫を増やす仕組みになっているそうです。


コムラサキシキブ(小紫式部)の名をもらった源氏物語の作者の紫式部は、今から1000年ほど前の平安時代の貴族です。当時の宮廷文化を偲ばせる色は、花ことばの「聡明」「上品」にぴったりです。


塀などから顔を出しているのをよく見かけるピラカンサは、南欧や西アジア原産で明治時代に渡来しました。実には毒性があるため一部の鳥しか食べませんが、年を越して周りの実が無くなる頃には毒性が薄くなり、食した鳥が運び種を増やすことが出来るようになります。


ナツハゼ(夏櫨)は紅葉の美しい木、ブルーベリーの仲間でジャムやジュースにも利用できます。野山を跋扈した少年時代には、ハチマキボンボという名で腹に納めました。


実が生り過ぎて枝が垂れ下がったガマズミ(莢蒾・蒲染)です。これも少年時代はヨツズミといって霜が降りると甘くなるといわれていましたが、甘かったという記憶はありません。


クロガネモチ(黒鉄黐)は公園や庭木でよく見かけます。これらモチノキ科の樹皮からは鳥黐(トリモチ)が採れることからの命名で、全体に黒ずんでいるのでクロガネが付きました。


カマツカ(鎌柄)は緻密で固い木材のために鎌や玄能、金槌の柄に使われてきました。

さて地面に目を移し落ちている実を撮ってみました。


ドングリの中でも通常食べられるシイノミ(椎の実)はスダジイの実です。戦後すぐの我が少年時代には近辺の神社境内などは早いもの勝ちでした。今でも殻を割って白い実を齧ると懐かしい薄甘さがしました。


こちらはクヌギやコナラの実のドングリ(団栗)です。戦後の食糧難の時代には渋抜きして食べた話も伝わっています。このドングリを食べて育ったというスペインのイベリコ豚の生ハム、ハモンセラーノは大好物ですが、年金暮らしではめったに口に入りません。


イチョウは雌雄異株です。雌株に生るギンナン(銀杏)は茶碗蒸しや封筒に入れてレンジし塩振ってのつまみが定番ですが、臭くてかぶれる実の処理が大変で最近は拾う人も少なくなりました(かくいう仙人も)。
公園や街路樹には実のならない雄株だけ植えても、実生苗では判別が狂うこともあり最近では接ぎ木苗にして植えていると聞いたことがあります。


さてこのギンナンは茨城県立歴史館のイチョウ並木の落とし物です。ここでもかっては拾う人を見かけましたが今では掃いての処分も大変なようですし、靴で踏んでの車内には微妙な臭いが漂ってしまいます。

梅もどき赤くて機嫌のよい目白頬白  種田山頭火
小式部の才気走れる色にして  高澤良一
をさな子はさびしさ知らぬ椎拾ふ  瀧春一
団栗を踏みつけてゆく反抗期  小国要
ぎんなんをむいてひすいをたなごころ  森澄雄

低地の城、平戸館…水陸交通の要衝

2023年11月19日 | 歴史散歩
もともと水戸市平戸町のこの地は、常陸国府から涸沼川を経て陸奥へと通じる古代官道の平津駅家(ひらつのうまや)があった水陸の要衝で、そこを支配下に置くという統治を主とした城館だったので、戦いの防御には適さない低地でも建てたのでしょうか。

農地化で遺構はほとんど壊滅していますが、涸沼川河口の沖積層低地に作られた館は、標高2~3mほどで高低差のほとんどない平地の城でした。(国土地理院地図)

11世紀に書かれたとされる「将門紀」には、平将門が常陸平氏の祖で叔父の平国香を攻めて焼死させ、長男の平貞盛を追って蒜間の江(涸沼)の畔で貞盛と妻を捕らえたという記述があり、また新編常陸国誌には、平国香の長男貞盛の居宅が蒜間の江周辺の平戸の故城にあったと書かれていることから、ここを平貞盛居城跡とする説もあります。

その後この周辺に進出してきた常陸平氏の大掾一族の石川家幹の6男高幹がこの地に配され平戸氏を名乗ったという文献があり、新編常陸国誌にも平戸村に堀之内という所あり、大掾の一族平戸氏の居所なりと出ているそうです。(以上常澄村史)

この平戸氏は本家の大掾氏とともに鎌倉の北条氏から足利氏、大掾氏から水戸城を奪取した江戸氏と、その時々の支配者に臣従して戦火に遭うこともなく、これは戦略上不利な城であったからかもしれません。やがて江戸氏が滅ぼされ佐竹氏の時代になると平戸氏は帰農しますが、水戸藩3代綱條のとき士分に取り立てられました。
天保11年の水戸藩「江水御規式帳」に大番組平戸七郎衛門幹徳 200石とあり、大掾一族の通字「幹」が付いているので、末裔の方でしょうか。


農地の区画整理などで城跡はほぼ形がありませんが、当時は50m四方の方形の曲輪が二つの城館だったと考えられています。残った微高地の一画には吉田神社が建っています。


この地は常陸三宮の吉田神社が南西約8キロのところに鎮座しているので、近在にはその末社が多く存在します。御祭神は日本武尊、城郭の中に八幡宮もあったようなので、水戸藩2代藩主光圀公の寺社改革の際に吉田神社に改められたかもしれません。


鳥居脇にひっそりと建つ平戸館跡の石碑です。実際には南東の位置が1郭とされますが、民有地のため碑を置く場所がなかったようです。


神社東側に土塁の跡がありますが、風化しているとはいえ高さは1mもありません。


1郭北側にも土塁と堀の跡が見られます。


1郭西側の土塁と堀跡です。堀跡の南側には、水戸街道始点の魂消橋から備前堀に沿っての飯沼街道がここを通っています。鹿島神宮を経て上総国飯沼観音に至る旧街道(約90Km)です。


ここは国道51号と県道に挟まれた田園地帯、この一帯は那珂川、涸沼川の恩恵を受けた米どころとしても知られています。


境内には大山阿夫利神社や稲荷神社などの摂社もありました。


ここにも厄介な外来種のオニノゲシ(鬼野芥子)が蔓延っていました。ヨーロッパ原産のキク科ノゲシ属の越年草で世界中に帰化分布していて、我が国でも侵入植物DBに登録されています。

周辺より高い地に堀と土塁や石垣をめぐらした城のイメージとは程遠い城館の跡、こういう立地でも戦闘よりも統治を主とした城館として500年以上存在したことは、巧みな処世術で戦乱の世を生き抜いてきた稀有な例かもしれません。

道の駅みわ「北斗星」…山間部の貴重な休憩所

2023年11月14日 | 旅行
道の駅は、日本の各地方自治体と道路管理者が連携して設置し国土交通省(制度開始時は建設省)により登録された休憩施設、地域振興施設等が一体となった道路施設である。(Wikipedia)

道の駅は、平成3年(1991)に山口、岐阜、栃木県へ実験的に設置されたのが最初で、平成5年には全国105か所に道の駅が登録されました。さらに平成19年(2007)に東京都初の道の駅が八王子に開設されて、47都道府県全てに道の駅が網羅され、今年8月時点では全国1,209か所になりました。

さて今回ご紹介するのは、16の道の駅がある茨城県でも、早い時期の平成7年(1995)に開設された道の駅みわ「北斗星」です。多分全国でも200番目くらいの設置ではないでしょうか。

ここは国道293号線沿いといっても完全なる山間部です。
地区のほとんどが山林で空気が澄み、天体観測に適しているので「星のふるさと」 としても知られています。また近くの花立自然公園内には天文台もあることから、親しみやすい直売所になって欲しいと、「北斗星」のネーミングにしたそうです。


ここの一番の魅力は、豊富な地元物産の販売コーナーです。地元生産者が毎朝採れたての新鮮な野菜を自ら運び陳列していますが、午後にはほぼ売り切れてしまう人気です。

開店当初から変わらない店舗内の田舎臭い雰囲気が、なぜか新鮮さを増幅しているような気がします。特にこの地域はしいたけの里ともよばれ、肉厚で、身丈も大きい絶品のしいたけが山積みされています。


飲食スペースの名は「北斗庵」、地元産の蕎麦を石臼で自家製粉したそば粉100%の手打ちそばが人気です。店の外にも多くの椅子席が設けられていますが、昼時には満席になる賑わいです。

ざるそば600円の価格は近在ではもう見かけません。しかも充分に満足できる味でした。朝一番に生産者が店舗に並べた朝採りの新鮮野菜の天ぷらも人気があるそうです。


いろんな情報発信のパンフレット類が置いてあるコーナーは、2Fギャラリーや体験館の入り口にもなっています。


清潔なトイレの天井には星空が描かれ、「満てんトイレ」と名付けられていますが、「満天」の星空と、いつもきれいで清潔な「満点」の二つの意味を込めたそうです。

周りに何もない地域の道の駅だからこそ、今ではほとんどのマイカー、営業車、観光バスなどが必ず立ち寄る場所になっていますので、利用者も運営者も充分にその恩恵を受けているのではないでしょうか。