顎鬚仙人残日録

日残りて昏るるに未だ遠し…

梅雨入り…いま季節の花は

2024年06月23日 | 季節の花
我が地方にもやっと遅い梅雨入りが発表されました。これから約1か月以上の鬱陶しい雨の季節ですが、日本の四季や米作などには欠かせない自然の営みなので、せめてその季節の花を探してみました。

大河ドラマ放映中の、千年の時を超えるベストセラー作者の名が付いたムラサキシキブの花です。元は重なる実という「ムラサキシキミ」が、江戸時代にその実の美しさから「紫式部」の名になったという説が有力です。


ネジバナ(捩花)の右巻き左巻きの割合は半分くらいという調査結果がありますが、この写真でも6本のうち左右半分ずつになっています。


面白い花が咲いているこの植物はカエルッパといわれたオオバコの仲間で外来種のへラオオバコ(箆大葉子)です。ヘラのような葉を持ち、強力な繁殖力で在来種を駆逐し、要注意外来生物に指定されています。


同じ外来種でもニワセキショウ(庭石菖)は小型で可愛いためそれほど嫌われてはいないようです。別名ナンキンアヤメというようにアヤメの仲間です。


ホタルフクロ(蛍袋)は初夏の花、色は赤紫、薄紅、白などがありますが、関東では赤紫が、関西では白が多いという話もあります。


エゴノキに生ったバナナのようなものは、エゴノネコアシ(エゴの猫足)という虫こぶでアブラムシ類が繁殖の過程で作り上げました。


空き地に増えて厄介なドクダミ(蕺草、毒痛)ですが、よく見ると穂状の花と白い十字の総苞が清楚な花で、古くから薬草としての歴史を持っています。


梅雨時期といえばやはりアジサイ(紫陽花)、明るい陽の光より日陰や雨天がよく似合うと思うのはいたって個人的感想ですが…。


アジサイ類なのにあまり似ていない房咲きのカシワバアジサイ(柏葉紫陽花)は人気が高く、我が市では70歳の長寿記念にこの苗木を配ったので、我が家を含め玄関先などによく見かけます。(令和2年度で交付事業は廃止になったそうです)


始めて知ったコガクウツギ(小額空木)「花笠」は、額のような装飾花に囲まれた小さいウツギのような花という名前ですが、アジサイの仲間にはみえない花でした。


公園の植え込みでよく見かけるキンシバイ(金糸梅)は、雨の多い季節に咲く太陽のようです。


京染の鹿の子絞りの名が付いたキョウガノコ(京鹿ノ子)は、古くから茶花や日本庭園に用いられてきました。


似ているシモツケ(下野)は、栃木県に多く自生していたので名が付いた落葉低木です。


もう花を付けているヤマハギ(山萩)、夏から秋にかけて咲きますが、夏に咲くのを特に夏萩ということもあります。 
            夏萩の青きに隠れ雨二日  大野林火


オカトラノオ(丘虎の尾)は虎の尾のような咲き方で名付けられました。トラノオという名前の梅もありますが、こちらの命名由来は諸説あるようです。


自然の山を取り込んだ公園に見慣れない花の群生があり、googleレンズで調べたらママコナ(飯子菜)でした。花冠の下唇にある白い斑紋を飯粒に見立てたともいわれます(異説あり)。


北海道~九州の山野の林などに見られるゴマノハグサ科の一年草で、光合成での養分供給の他に宿主の植物からも養分を吸収する半寄生なので、栽培は不可能です。希少種となっている自治体もあるそうですが、ここの見事な群生にしばし見とれてしまいました。それにしても初めて出会った花…、この年になっても知らないことばかりです。

ヤマアジサイ(山紫陽花)…ガクアジサイ(額紫陽花)との違い

2024年06月12日 | 季節の花



水戸八幡宮の大杉林の中にある「八幡の杜・山あじさいの小道」は、ヤマアジサイ(山紫陽花)に特化した一画で、駐車場も広く混雑もないため、近くを通りかかるとつい立ち寄ってしまいます。


たしかに名前の通りの小道ですが、木漏れ日の中のヤマアジサイは得も言われぬ雰囲気がでていました。


このヤマアジサイの小道にも、背の高いガクアジサイ(額紫陽花)も混じっているようなことを神職の方からお聞きしました。どちらも咲き方は、花びらに見える装飾花が額縁のように囲んでいる「額アジサイ」となっていますが、その違いがよく分からないので調べてみました。

まずアジサイを次の4種に大きく分けてみました。

ガクアジサイ(いろんなアジサイの原種で日本古来のもの)、ヤマアジサイ(太平洋側に古来から自生する種)、ホンアジサイ(原種のガクアジサイを園芸用に品種改良したもの)、西洋アジサイ(外国で品種改良されて逆輸入されたもの)になります。




ということはヤマガクどちらも日本古来のもので、ヤマアジサイはおもに太平洋側の福島県から四国、九州地方にかけて分布し日陰や湿り気のある林や沢に生育することから、別名サワアジサイとも呼ばれます。一方ガクアジサイは、おもに関東地方、中部地方、伊豆諸島、小笠原諸島などに分布し日向を好むが湿地でも生育できるので、あまり違いが無いように思いました。


開花時期はヤマアジサイが早く5月下旬頃~6月頃、ガクアジサイの開花時期が6月中旬~7月頃のようです。植物本体の違いでは、ガクアジサイは、背丈が高く(2~3m)、花も葉も大きめで葉は厚くやや光沢があり、ヤマアジサイは、背丈が低く(1~2m)、花も葉も小ぶりで、葉が細長く光沢がないということです。


我が家に咲いていた数株で確かめたところ、花や葉の大小や光沢、細長さなどの違いがなんとなくわかりました。名前は忘れましたが、白い花は多分「墨田の花火」だったと思います。


しかし園芸用のアジサイは挿し木や株分けなどで増やしていきますが、自然の中では種子で子孫を増やしていくので、交雑もあったりして区別は難しいものもあると思います。あまり違いに拘らずにガクアジサイの小さなものがヤマアジサイということにして、清楚な姿を楽しむことにしました。



さて、水戸八幡宮は常陸国北部に400年以上勢力をもった佐竹氏19代義宣公の創建、天正18年(1590)に水戸城主の江戸氏を滅ぼし、常陸太田より水戸に居城を移した際、文禄元年(1592)に氏神として崇敬していた常陸太田鎮座の馬場八幡宮より、水戸城内に奉斎し、のちに八幡小路に慶長3年(1598)に御本殿を建立し、水府総鎮守の社と定めました。


しかし、関ヶ原の戦いの後の慶長7年(1602)に佐竹氏が秋田へ移封されると、水戸は徳川家の所領となり、元禄7年(1694)には2代藩主光圀(義公)の寺社政策の命により、那珂西村へ移遷されましたが、宝永六年(1709)3代藩主綱條(粛公)の時代になり、再び水戸に遷座され、現在の白幡山神域に鎮斎されました。

国指定重要文化財である本殿は創建当初のもの、佐竹公お抱えの「御大工」吉原作太郎(当時15才)を棟梁に、10〜20代の60名程の工匠の名が本殿内墨書に記されているそうです。平成7年から初めての全解体修理が行われ、3年かけて建立当時のまばゆいばかりの姿に復原されました。


紫陽花の咲く、那珂川の河岸段丘にある八幡宮の標高差約20mの崖上は樹齢300年の大欅に覆われ、水戸藩9代藩主斉昭(烈公)が吹きあがる川風で御涼みになった場所と伝わっています。

ヤマブキ(山吹)の実…なきぞ悲しき?

2024年05月10日 | 季節の花

春先に里山などでいわゆる山吹色の花を咲かせるヤマブキ(山吹)には、武蔵国の武将で江戸城を築城した太田道灌(1432-1486)との有名な逸話が残っています。

ある日、鷹狩り中に急な雨に遭った道灌が蓑を借りようと、一軒の農家に立ち寄りました。
その時、中から出てきた少女は何も言わずに一枝の山吹を差し出しました。道灌はこれに腹を立て立ち去りましたが、後に家来から、少女が「七重八重花は咲さけども山吹の実のひとつだになきぞ悲しき」という古歌を引用し、「実(み)の」と「蓑(みの)」をかけて、“蓑”が無いことをお詫びする気持ちを込めて山吹の花を差し出したことを教えられました。以降、道灌は和歌の勉強に一層励んだといわれています。(太田道灌所縁の地、荒川区立図書館のページより)


この話からヤマブキには実が生らないと思っている方が(仙人も)多いと思いますが、実が生らないのは八重のヤマブキだけということが確認できました。


庭のヤマブキ(一重)を花の終わった後に見ることはありませんが、今回確認したら確かに5粒の実がちゃんと生っていました。


一方、公園で撮った八重のヤマブキです。突然変異で雌しべがない三倍体の植物になり、残った雄しべも花弁に変化してしまったため、もちろん実はならない状態になっています。


まさしく蕊が見当たらない八重のヤマブキ、この希少種を我が先人たちは、平安の時代からすでに観賞の対象にしていたということです。現在でも山野にあるのは一重のヤマブキですが、公園や庭では八重が圧倒的に多く見かけられます。
実が無くても増殖には問題がないようです。ヤマブキは地下茎の伸びがすさまじく、あらゆるところから顔を出すので、我が家でも気を付けないと庭中に溢れてしまいます。

さて、冒頭の和歌は、寛治元年(1087)編纂の後拾遺和歌集にある兼明親王(醍醐天皇皇子)の歌で次のような注釈が付いています。
「小倉の家に住み侍りける頃、雨の降りける日、蓑借る人の侍りければ、山吹の枝を折りて取らせて侍りけり、心も得でまかりすぎて又の日、山吹の心得ざりしよし言ひにおこせて侍りける返りに言ひつかはしける。(小倉の山荘に住んでいた頃の雨が降った日、蓑を借りる人が来ましたので、山吹の枝を折って渡しました。その人はわからないまま帰った翌日に、山吹を折って渡された意味がわからなかったと言って寄こしましたので、返事として詠んで送った歌です)

七重八重 花は咲けども山吹の実のひとつだに なきぞあやしき

(七重八重に花は咲くけれども、山吹には実の一つさえもないのが不思議です、わが家には、お貸しできる蓑一つさえないのです。)
原文の「なきぞあやしき」が1000年の間に「なきぞかなしき」という感情表現に代わってしまったようです。

奈良時代の万葉集や平安時代の源氏物語にも八重のヤマブキが出て来ます。

八重山吹の咲き乱れたる盛りに、露のかかれる夕映えぞ、ふと思ひ出でらるる。
源氏物語第二十八帖  野分
(八重山吹の花が咲き乱れた盛りに 露のかかった夕映えのようだと ふと思い浮かべずにはいられない。)

花咲きて 実は成らねども 長き日に 思ほゆるかも 山吹の花   詠み人知らず 
万葉集巻十-1860
(花は咲いても実は生らないのに 長い間待ち遠しく思われるなぁ 山吹の花は)




ところで、ヤマブキに似ている白い花のシロヤマブキ(白山吹)は、ヤマブキにそっくりな姿ですがこれはシロヤマブキ属の別種で、しっかと黒い4個の実が付きます。

花弁はヤマブキの5枚に対して4枚、似た葉ですが出方がヤマブキは互生(枝の両側から互い違いに葉が出る)なのに、シロヤマブキは対生(枝の両側の同じ位置から葉が出る)です。


1000年以上前の先祖たちが、この時期に咲くヤマブキを待ちかねて歌を詠んでいたことになんとも親しみを感じてしまいました。

個人的には一重の方が好きですが、花の種類も少なかったその時代には、新しく生まれた希少種の八重を庭に植えてその華やかさを好んだのかもしれません。

なお太田道灌の伝承が残る東京都荒川区日暮里の駅前には、鷹狩り装束で弓を手にする道灌の騎馬像と、山吹の花を差し出している少女の像が設置されているそうです。

ステイホームのGW…身の回りの花を

2024年04月29日 | 季節の花

最大10日間にもなる今年のゴールデンウイークが始まりました。現役のころより人混み苦手でしたが、さすがに仙人ともなればステイホームが日常になっています。そういうことで渋滞のニュースに同情しながら、ショボつく眼で狭庭の草花を撮ってみました。


ナニワイバラ(難波茨)は中国原産の原種に近いバラです。丈夫なバラで野性化している所もあるようですが、鋭い棘が多く手入れが大変、花期も短く蕊がすぐ黒くなってしまいます。


棘が無く育てやすいので人気のモッコウバラ(木香薔薇)は、中国原産で江戸時代から栽培されました。我が家の黄色い花の方はほとんど匂いません。近所でも挿し木してあげた子孫たちが花を咲かせています。


釣鐘形の花が可愛いブルーベリーは、同じ木の花粉では実が生りにくい「自家不和合性」なので、違う種の木を隣に植えています。



似たような釣鐘形の花は、秋の紅葉が美しいドウダンツツジ(灯台躑躅)です。名前の由来は、枝の分かれ方が宮廷などの夜間行事に用いた「結び灯台」(上図右)の脚に似ているからといわれ、それが訛ってドウダンになりました。


こちらは下向きの小さなツバキの花、エリナカスケードです。中国原産の野性種の変異株で品種登録されている植物です。


ライラック(紫丁香花)の花、リラの花咲く~ころ♫と歌われるリラはフランス語です。香水の原料としても有名です。


50年以上前、山を造成した団地にある我が棲家は粘土質で水捌けが悪いのですが、このエビネ類には好かれているようで、ジエビネ(地海老根)、タカネエビネ(高嶺海老根)が毎年顔を出します。


イカリソウ(碇草)も同じ条件の下で、他の植物を追いやる勢いで増えています。


子供のころからヤグルマソウ(矢車草)という名で親しんできましたが、最近ではヤグルマキク(矢車菊)という名前にしているのを見かけます。というのはユキノシタ科の矢車草という植物があるので混同を避けるためにキク科の植物は「矢車菊」の名で統一するようです。
鯉のぼりの柱の先で回る矢車に、花が似ているのがヤグルマキク、葉が似ているのがヤグルマソウということ、なにかややこしいですね。(※ヤグルマソウの写真はwikipediaからお借りしました)


小さな手鞠のような花クリーピングタイムはシソ科のハーブです。creeping (這う) という名の通り、地面を這って低く広がっていくので雑草防除にも役立つと載っていました。


あまり気にしていませんでしたが、雄しべの数が5本なのでこれはサツキ(皐月)のようです。


ワスレナグサ(勿忘草)はヨーロッパ原産ですがいつの頃か日本に渡来し、詩歌に詠まれるようになったのは明治以降といわれます。英名ではそのままforget-me-not、これには中世ドイツの悲恋の話が残っています。ドナウ川の岸辺を散歩していた騎士ルドルフと恋人ベルタが小さな花を見つけ、ベルタのためにその花を摘もうとしたルドルフうっかりと足を滑らせ、急流に落ちてしまいます。重い鎧を身につけていたルドルフは這い上がれず花をベルタに投げて、「私を忘れないで(forget‐me‐not)」と叫んで流れに飲みこまれてしまいました。


30年近く前に小さな鉢植えで買ったシャクナゲ(石楠花)は、3m近くにもなり持て余し気味になってきました。


小さなアヤメ(菖蒲)が咲きだしました。この仲間の区別は分かりづらいのですが、花弁の真ん中にあやめ(綾目)という網目模様があります。


ついに我が家にも攻めてきました、ナガミヒナケシ(長実雛芥子)…地中海沿岸原産の外来植物で可憐な姿に見えますが、1個体から15万粒の種子がこぼれるという繁殖力の強さから、いま各地で問題になっています。


近所の空き地にも広がってきました。アルカロイド性の有害物質が含まれているので、手がかぶれることもあるそうです。国の駆除対象となる「特定外来生物」にはまだ指定されていないようですが…。

街の中の春!…水戸城5番目の堀跡

2024年04月24日 | 季節の花

那珂川と千波湖に南北を挟まれた河岸段丘にある水戸城、その一番西側で城より約2キロ離れた5番目の堀跡は、西の谷という緑地公園になっています。(10日ほど前の写真ですが…)

市街地に囲まれていますが、台地からしみ出した湧水が流れる谷は驚くほど自然そのものの植生が残っています。



ちょうど藤の花も咲き始めた園内で目にとまった草花を撮ってみましたが(4月20日)、外来種の侵入にも負けず日本古来のいろんな在来種が季節を告げていました。


ここに隣接する偕楽園はセイヨウタンポポに席捲されていますが、谷に挟まれたこの一画は嬉しいことに在来種のニホンタンポポ(日本蒲公英)ばかりでした。


オドリコソウ(踊子草)は、野山でよく見かける多年草で、傘を被って手拍子する踊り子の姿にぴったり、命名者に敬意を表したいと思ってしまいます。


湿地が好きなムラサキサギゴケ(紫鷺苔)は、庭づくりのグラウンドカバーとして園芸サイトで販売されているのを見かけました。


キク科のオニタビラコ(鬼田平子)です。同属で小型のコオニタビラコ(小鬼田平子)が春の七草の「ホトケノザ」ですが、シソ科で紫色の「ホトケノザ」にすっかりその名を奪われてしまいました。


春は黄色い花が多いですね…クサノオウは、黄色い乳汁が出るので「草の黄」、皮膚疾患に効くので「瘡(くさ)の王」、いろんなものに効く「草の王」などの命名説があります。


キツネノボタン(狐の牡丹)は、葉の形が牡丹に似ているので狐に騙されたみたいだというのが名前の由来といわれています。


ムサシアブミ(武蔵鐙)はマムシグサやミズバショウの仲間でサトイモ科テンナンショウ属の多年草。仏炎苞という花の形が武蔵の国で作られた馬具、鐙(あぶみ)に似ていることから名が付きました。


ムラサキケマン(紫華鬘)は、仏殿に吊るす仏具の華鬘(けまん)に似ているので名付けられました。日本全国に分布していますが、全草に有毒成分をもっています。


すでに花が実になったネコノメソウ(猫の目草)です。この状態が昼間の猫が目を細めた様子に似ているので命名されたといわれますが、あまり似てないですね。


以上は在来種ですが、やはり外来の侵入種が多く見られました。

戦後観賞用に移入された南米原産のイモカタバミ(芋片喰)は、いまや完全に野性化しています。


北米原産のアメリカフウロ(亜米利加風露)、在来種の薬草ゲンノショウコ(現の証拠)と同じ仲間です。


コメツブツメクサ(米粒詰草)、こちらはヨーロッパ原産で、7㎜くらいの小さな花ですが同じマメ科のクローバー(シロツメクサ)などによく似ています。


北米原産のマツバウンラン(松葉海蘭)、松葉のような葉とウンランに似ているので名が付きましたが、ランの種類ではありません。優し気な花ですが繁殖力の強い雑草です。



こんな街中の公園ですが、春を謳歌するいろんな花を観察することができました。

タケノコがどんどん出ていています。ここを見守っている近所の方は、伸ばしてしまうと邪魔になるところに出ているのは根元から鋸で切っていると話していました。


水戸の台地は水を含んでいるため湧水が多く見られ、水戸の地名も川や沼に囲まれたこの土地を表しています。この緑地でも水たまりに孵ったばかりのオタマジャクシを久しぶりに拝見できました。