顎鬚仙人残日録

日残りて昏るるに未だ遠し…

弘道館の瓦 ② 

2017年01月25日 | 水戸の観光

弘道館の瓦は、東日本大震災での大きな崩落はありませんでしたが、桟瓦のあばれなどが確認され、葺き替えと補修を国の工事で行いました。

約25,000枚の瓦をすべて取り外して打音検査し、再利用出来るかどうか確かめた結果、再利用できたのは弘道館開設当時(1841年)の瓦が約1,500枚(全体の6%)、昭和の修理(1963年)の瓦が約7,000枚(28%)で、この古い瓦は特に軒周囲に葺かれました。残りの約16,500枚(約66%)の瓦は同じような品質で新しく焼かれ、平成の瓦として今後歴史を刻んでゆくことになります。

さて、この再利用が不可能とされた176年前の開設当時の瓦の一部は、弘道館にあった薬園の伝統を受け継ぐ水戸市植物公園の薬草園の花壇で生き返っています。以下、現地説明文によると、「天保12年(1841)に弘道館が創設された当時の瓦には、製造元を示す屋号が押印されているものがあり、押印瓦といいます。特に多いのは丸印の中に「安」の文字のある押印瓦です。この丸安印の瓦は、現在の水戸市青柳町で5代続いた土瓦製造業が製造したもので、弘道館の瓦を焼くため毎夜徹夜で作業したという逸話が子孫の家に残っているそうです。」

弘道館医学館本草教授で「山海庶品」を著した佐藤中陵も眺めた瓦が、この平成の薬草園で薬草に囲まれているのを見るのは、感慨深い冬のひとときでした。