茨城県の北西部の寺院八ヶ寺が宗旨を超えて設けた、十二支の守り本尊と花めぐりの「花の寺」の5番寺は、笠間市にある真言宗豊山派の箱田山地蔵院金剛寺で、承久年間(1220年頃)賀海和尚の開山と伝わります。
その後一時衰退しますが文明9年(1477)笠間城主笠間朝貞により再建され、笠間三ヵ寺の1つとして隆盛します。江戸時代には無住寺の時もあり明治4年(1871)に廃寺となりますが明治24年(1891)再興されて現在に至ります。
本堂は木造平屋建て、内陣には本尊となる延命地蔵菩薩像が安置されています。
参道は桜の木に覆われており、春の花の寺にふさわしい景観が目に浮かぶようです。
急な石段を上ると山門があります。
本堂左には樹齢600年ともいわれているシダレザクラの古木があります。
現在は初代が枯朽してひこばえにより再生している状態ですが、春には見事な花を咲かせます。
山塊に抱かれたロケーションのため、四季折々の花と自然に囲まれています。
ここの寺宝である永正元年(1504)制作の不動明王像及両童子像は、金剛寺門徒の薬王院が別当として管理していた滝野不動堂の本尊で、県指定重要文化財に指定されています。
ということで、金剛寺の南東約1.5kmにある滝野不動堂にも寄ってみました。
滝野不動堂の創立は不詳ですが、伝承によると旅僧(弘法大師とも?)がこの地に霊を感じ取り、御経を読み上げると岩の表面に不動明王が浮かんできたとされています。以後、真言宗系の山伏修験者の祈祷所として近隣に知られた存在でした。
現在の建物は享保14年(1729)に笠間城下の富豪滝野伊兵衛が中心に寄進したことから、滝野不動堂とよばれてきました。2間4方の方形造りで、3面を回廊が回り、石灰岩の露出した岩場が堂の土台や背後まで続いています。大きな鉄拳が立っています。
片側を石灰岩の巨石に抱えられた堂上部には、大小の竜の木鼻が並び、そのほか獏や獅子の精巧な彫刻は、地元箱田村出身の藤田孫平治の作と伝わっています。この藤田孫平治は当時この地方の有名な宮大工で正徳元年(1711)成田山新勝寺の三重搭の墨書にも名が記されています。
堂の片側は片庭川に張り出した懸崖造りです。
堂の周りには多くの鉄剣や絵馬が奉納されています。不動明王の剣は魔を追い払うとともに因縁や煩悩を断ち切るといわれ、以前は出征兵士の武運長久、戦後は安産や育児、商売繁盛を祈願する人々が訪れていました。