城南五山の一つ御殿山庭園
都心散策。残念だが山登りではない 城南五山は、東京の城南地区にある高台5ヶ所の総称。目黒駅から品川駅にかけての地域。歴史を持つ高級住宅地にはブランドとして相応しい名称を付けられている。高級住宅地には「山」や「丘」という名称が付けられることが多い。とても小生には、地価含め高級すぎて住めない。
花房山=日本赤十字社の社長でもあった花房子爵の別邸があった。品川区上大崎。
池田山=備前岡山藩の池田家の下屋敷が存在した。品川区東五反田。ねむの木の庭は、上皇后さまのご実家、旧正田邸の跡地に整備した公園。
島津山=薩摩藩の旧島津公爵邸があり、現在清泉女子大学。品川区東五反田。江戸時代後半は仙台藩伊達家の下屋敷。
八ツ山=旧三菱財閥の祖・岩崎弥太郎氏の高輪別邸があった。現在、三菱グループの迎賓館「開東閣」として使用。港区高輪。
御殿山(権現山)=徳川将軍家が鷹狩の際に休憩をした品川御殿があった。品川区北品川。かつては東京湾を見下ろすことのできる高台であった。「権現山は元々隣の御殿山と連なる丘だったが鉄道の開通で切り通しが出来、今の形になった。桜の名所とし有名である。」と書いてある。東京湾に浮かぶ品川台場(米ペリー艦隊来航後に急造された江戸防衛の要塞)は、この御殿山などから切り崩した土砂を2千隻の船で運んだ造られた。石垣組みの現場で働いた石工グループはのちに箱館(函館)の弁天台場や五稜郭を築くことになる。1863年、英国公使館焼き打ち事件。高杉晋作ら長州藩の尊王攘夷派がこの御殿山に建設中の英国公使館に侵入火薬を仕掛け全焼。伊藤俊輔(後の博文)らも参加し、この後、攘夷運動はさらに激化した。12月だが可憐な花が咲いていた。建設工事の道具で作られたクリスマスツリー見事・・・
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます