山歩人・吉克の山楽日記

北海道の“山”を中心にオールシーズン山歩(散歩)・・・単独登山多し、山をテーマに限定(時々脱線♪)した気まぐれ日記です‼

赤坂に津田恒美投手記念館!

2020年12月12日 | 広島カープ⚾と浜省🕶

広島カープ故・津田恒美投手の息子・津田大毅館長(津田恒美記念館)と

1993年(H5)、広島カープにいた津田恒美選手(登録名・恒実)が32歳の若さでこの世を去った。死因は脳腫瘍。

津田投手は、山口県南陽工高のエースとして1978年(S53)の春夏の甲子園に出場、社会人野球の協和発酵を経て1982年(S57)ドラフト1位で広島に入団。右腕の本格派投手で、セ・リーグの新人王に輝いた。救援に転向した1986年(S61)には22セーブをマーク、1989年(H1)には最優秀救援投手のタイトルを獲得した。プロ通算成績在籍10年/登板試合数286/49勝41敗90セーブ炎のストッパーとして有名だが、津田投手のストレートは、ホップする直球として、分かっていてもなかなか打てないボールだったようだ。闘志をむき出しに最速153㎞の剛速球と縦横の鋭いカーブを武器に整然と立ち向かう姿は、まさに炎のストッパーである。津田恒美の功績を伝える記念館が、広島市にあるが、息子の大毅さんが2016年(H28)に記念館づくりを思い立ち、外資系の会社を辞め、2017年(H29)からクラウドファンディングで開館資金を募った。取り組みを知ってもらうために、北海道から沖縄まで自転車で約1万㎞を走り、各地で父のファンに出会い、僅か1年2カ月で約2,600万円が集まる父が亡くなったのは4歳の時なので記憶があまりない」と現在32歳の大毅さんは言っていたが、あの直球勝負には見応えがあった。時々サヨナラ負けがありハラハラさせられたが・・・大毅さんの福岡ドームや広島市民球場での始球式は良く覚えている本当にもう一度息子のために投げたかったと思う・・・自宅で呑みながら読み直す

いま「津田恒美記念館」の館長を務める息子の大毅さんが、鯉の応援スタジアムCOISTA赤坂店コラボ営業している。11月30日~12月25日まで期間限定だ。津田恒美記念館の記念品一部展示に、グッズ販売。カープマスクも売っている最終日12月25日にはあの髙橋慶彦さんが来て、ディナーナイトイベントを開催コロナ禍に配慮し限定35名のプレミアクリスマスだもう完売したかもしれないが赤坂は炎のストッパー津田恒美投手で盛り上がっている※炎(ほむら)ではありません。津田投手と同じ背番号を背負う大瀬良大地今季はケガにより離脱したが、来季開幕へ炎柱となれ・・・


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