何時も週末に近くの緑地帯から公園や大学構内を野草散策するのだが、天候に恵まれず間が開いてします。それでも季節折々に見かかる野草は、懐かしい人達に出会った気分で楽しい。
写真は、高野箒(コウヤボウキ)、もう少し光の差し込み所ならばぶれずにクリアに撮れたのだが…、一年振りの再会だね。本当は柏葉白熊(カシワバハグマ)を狙っていたが、残念ながら終わっていた。少し似ている君で良い事に。
この時期は、剪定や草刈りが多く期待していた野草達が軒並み刈り取られる事が多い。ときどき出会うお爺さん(どこか、亡くなった親父に似ている雰囲気)も、同じ事を言っていた。草刈りの人に 「其処は俺がやっておくから良いよ」を言ってるとか。あのお爺さんも最近見かけない。元気でいるのだろうか…暑いときでも、補給の水も持たずにいるから”水持ってあるかないと危ないよ”と伝えたいたものだが。
ダイエットから始めたデジカメ片手の散策も10年以上になる。大学構内の木々も大きくなって足元が暗くなると全盛を誇っていた彼岸花や富貴草(フッキソウ)の生域が小さくなってきている。大学構内はある程度自然に任せているのだろうから仕方ないかな。手を入れると何かが犠牲になったりする
写真の様に庭はきれいになっているのだが…自然に任せるエリアは手を入れるもの/いれないのも難しい。指示されても知識ない業者なりでは難しいし作業効率を悪くする。
指示で、思い出したが、川崎のバス停で若い人達が憤慨して話して居た事。
些細な事だろうが、”こっちは頼まれてやってやってる立場なのに、色々言われるのは…心外だ” とかの内容。 耳を立てて聞いていると、その娘は、指示された事なのに、指示を受けとめず、頼まれ事と理解していた様だ。 どちらでも達成すべき品質があるのでそれを理解すべきなのだが、”お前の代わりにやってやってる” が念頭に来ている。 皆そうなのかなぁ?
困った話だが、自分も若い時のそんな感覚もなくはなかったが、仕事では指示を、単なるお願い事で取り違える様な事はしなかった気がするが…
彼女と5年後あったとしたら、どうなっているかなぁ 反省はなくとも正しい受け止め方をきっとしてくれてくるだろうね。