今年の週末は何故か天候に恵まれず、散歩を兼ねた散策も儘ならず。気が付くと1-2週間遅れだった桜も盛りが過ぎてしまったが駆け足で近隣の桜並木を廻る。
足元に蛇苺の黄色い花や蒲公英、遊歩道の先には同じく黄色の山吹が見え始めた。桜のピンクと黄色は春の色、これに紫が見え始めると梅雨を迎える。紫でも、この時期には金瘡小草や紫華鬘も顔を見せ始めている。
人の様に何かの意思や意識をもった訳ではないだろうに、天候不順でも出る時期を見定め、先を争うかの様に出現する。場合によっては毎年群生していた所をあきらめ、全く違う所に群生したりもする、まるで集団移転だ。これも見えざる何者かに仕業なのだろうか。 緊急事態や大きな環境変化が起きた時は、余計な事を考えず素直に見えざる手に従う方が良い結果や多少の犠牲はあっても質を変える良いきっかけとか、新たな質を生みだす芽にもなる。利害を超えた思い切った決断をせねばいけない時に、結論の出ない合意形成に議論を費やし、現実に大きな被害が起きてから、背に腹は変えられずと対症療法の決定をする。きっと自滅の道を自分で課すような結果にならないだろうかと、ふと思ってしまう。 まぁ良いか どの道、自分で何とかできる世界ではない。 進化の極限にまで到達してしまった人類が新しい選択をする為に見えざる手が敢えて回り道させるものかもしれない。 究極は個々の意識といった人類の精神に何かの収斂を与える試練なのかもしれないね。未だ小さな事にストレスや感情的になったりする自分自身も、長い時間を掛けた来たはずなのに未だ収斂もできず、寧ろ子供の頃の素直さにも劣る状況をどう考るべきか。振り返っても糾える縄が一本と受け入れる事もできず、先に何かあると思いだがるのも…。ともあれ人生逆算する時期に差し掛かったのだから、桜の様に潔く有りたいなぁ