安佐北区安佐町鈴張の長覚寺境内山門根際に建立されている「(鈴張地区)原爆慰霊碑」です。
長覚寺の(鈴張地区)原爆慰霊碑は、原爆に被災してここ(安佐郡)鈴張村に避難してきて亡くなった方々の慰霊碑として建立されています。
広島市の公開資料によると
『1945年8月6日被爆当日から傷付いた被災者は鈴張村へも避難してききました。翌日以降、150人以上の負傷者がトラックで長覚寺に収容され、10月までに100人以上が亡くなりました。
そのうち80人以上の遺骨は遺族、近親者に引き取られましたが、10数体の遺骨は引き取り手のないまま無縁仏として共同墓地に埋葬されました。
1970年に共同墓地が移転することになり、遺骨が再び長覚寺に移され、地元鈴張地区の人々はこれら被爆者の死を悼み、この原爆慰霊碑を建立し、遺骨を納めました。』ということだそうです。
(裕編集の)鈴張地区原爆慰霊碑
長覚寺の(鈴張地区)原爆慰霊碑は、原爆に被災してここ(安佐郡)鈴張村に避難してきて亡くなった方々の慰霊碑として建立されています。
広島市の公開資料によると
『1945年8月6日被爆当日から傷付いた被災者は鈴張村へも避難してききました。翌日以降、150人以上の負傷者がトラックで長覚寺に収容され、10月までに100人以上が亡くなりました。
そのうち80人以上の遺骨は遺族、近親者に引き取られましたが、10数体の遺骨は引き取り手のないまま無縁仏として共同墓地に埋葬されました。
1970年に共同墓地が移転することになり、遺骨が再び長覚寺に移され、地元鈴張地区の人々はこれら被爆者の死を悼み、この原爆慰霊碑を建立し、遺骨を納めました。』ということだそうです。
(裕編集の)鈴張地区原爆慰霊碑
7月1日(安芸区のわが家付近)天候:くもり(靄っています)