広島県山県郡安芸太田町穴を流れる太田川に架かる「安野(やすの)橋」です。
※橋長:106.5m。2径間、PC桁橋。
※竣工:昭和64年2月。(山県郡加計町時代に架橋された橋です)
*竣工板は“昭和64年2月竣工”となっていますが、
昭和64年は昭和天皇が崩御されたことで1月7日までで、
2月は正式には“平成元年2月”でなくてはならないのですが、既に竣工板が出来上がっていたことから余分な費用を使わないとの判断からでしょうか?そのままになっています。
(この処置は、崩御された昭和天皇はお許しになる事だろうとわたしは思いましたので取り上げました。)
下流側からみあげました。
この橋名は“あんのばし”だろうと思っていたわたしは、「やすのばし」だったのかと間違いに気付いたところで、竣工年板をみたのです。“昭和64年2月”となっていたのです。
その昭和64年になった当時、現役建築屋で突貫工事で学校の施工中だったわたしには思いで深い年(昭和64年)だったので、昭和64年は1月7日までで、2月は平成元年2月なのだとすぐに思ったのです。
(裕編集の)安野橋
※橋長:106.5m。2径間、PC桁橋。
※竣工:昭和64年2月。(山県郡加計町時代に架橋された橋です)
*竣工板は“昭和64年2月竣工”となっていますが、
昭和64年は昭和天皇が崩御されたことで1月7日までで、
2月は正式には“平成元年2月”でなくてはならないのですが、既に竣工板が出来上がっていたことから余分な費用を使わないとの判断からでしょうか?そのままになっています。
(この処置は、崩御された昭和天皇はお許しになる事だろうとわたしは思いましたので取り上げました。)
下流側からみあげました。
この橋名は“あんのばし”だろうと思っていたわたしは、「やすのばし」だったのかと間違いに気付いたところで、竣工年板をみたのです。“昭和64年2月”となっていたのです。
その昭和64年になった当時、現役建築屋で突貫工事で学校の施工中だったわたしには思いで深い年(昭和64年)だったので、昭和64年は1月7日までで、2月は平成元年2月なのだとすぐに思ったのです。
(裕編集の)安野橋
6月6日(安芸区のわが家付近)天候:あめ
地図と睨めっこしながら橋を追っています。
上流より運ばれた堆積物が肥沃な土地を作り
其処に人々が住み始めたその様な流域かしらと
想像しています。
太田川の本流で無く支流になるのですか?
中国山地の山深いところなのですね。
土地勘がないわたしですから先日記事にしましたが、NET地図を印刷しノリ付けして確認していきましたから。
この記事の最初に記述しているように太田川に架かる橋です。
ので、支流に架かる橋まで目が行きませんでした。
今から編集し、このブログでも紹介しようとしている橋々は太田川に架かる橋が主です。
タイトルに“太田川:〇〇橋”という風に記述していき、
他の川では“〇〇川:〇〇橋”としていきます。
太田川は、瀬戸内海の方に流れていますが、
江の川(ごうのかわ)は広島県も流れていますが、日本海の方に流れていますので中国山地には縁が深いかもしれません。