南区比治山本町に広島市によって建立されている「鶴見橋・原爆被災説明板」です。
爆心地から約1,650mでした。
説明文は、
『被爆当時、この橋の西側では動員学徒や義勇隊の人びとが、焼夷弾などによる延焼を防ぐため、建物疎開作業に従事していました。
人類史上最初の原爆投下により、この作業に動員されていた多くの人びとが犠牲になりました。
原爆の強烈な熱線により欄干など(当時木造橋)に着火しましたが、すぐ消し止められ、多くの被災者がこの橋を渡って比治山などに避難しました。
シダレヤナギもかろうじて被爆に耐え、今日まで生き続けています。』
(裕編集の)鶴見橋・原爆被災説明板
爆心地から約1,650mでした。
説明文は、
『被爆当時、この橋の西側では動員学徒や義勇隊の人びとが、焼夷弾などによる延焼を防ぐため、建物疎開作業に従事していました。
人類史上最初の原爆投下により、この作業に動員されていた多くの人びとが犠牲になりました。
原爆の強烈な熱線により欄干など(当時木造橋)に着火しましたが、すぐ消し止められ、多くの被災者がこの橋を渡って比治山などに避難しました。
シダレヤナギもかろうじて被爆に耐え、今日まで生き続けています。』
(裕編集の)鶴見橋・原爆被災説明板
8月6日原爆忌
(安芸区のわが家付近)天候:くもり
27.7℃、89%
原爆投下された後この様な人達がいてこそ
救われた人達が大勢居た事を忘れてはならないのでしょうね。
今更ながら核兵器の恐ろしさを思い知らされています。
いまの平和大通りに繋がるのが、
この原爆被災説明板で云う、延焼を防ぐ防火帯なのです。
その防火帯作るために(建物疎開という作業で)働いていたおおくの学徒動員や義勇隊の人たちだったのです。
米軍は休み明けの月曜日、仕事にとりかかっていたり、その準備をしていた8時15分に多くの人たちを殺戮するために原爆を投下したのです。
戦争は多くの人々を殺戮するものでしょうから戦争をはじめてはならないのですが、
現在ロシアは戦争を仕掛けているのですから即刻戦争を止める責任があると思うのですが。
巨費を投資して開発した原子爆弾であっても独逸には投下しなかっただろう?
黄色人種・日本だから投下したということが、まことしやかに伝えられています。
いまだ人種差別と決別できない米国だからその指摘を否定することは出来ないと(わたしも)思っています。
敗戦国・日本だから(でしょう)
原爆を投下した国・米国を避けて報道するのが通例になっていますよね。
しかし、その戦争をはじめたのは日本国という重い重い責任が回避されることは無いことも付け加えなければならないと思っています。