南区比治山本町の鶴見橋東詰北側にある「被爆したシダレヤナギ」です。
※この付近にあった古い鶴見橋のたもとで1945(昭和20)年8月6日被爆しました。爆心地から≒1,700m。
1990(平成2)年現在の鶴見橋架橋時、今のところへ移植されました。
上部を失ったため、頭を下げたような形になっている(親)幹は治療のかいなく、2008(平成20)年枯死しましたが。
現在は(ひこばえの)新しい幹が成長し、大きく枝を広げています。
(裕編集の)(鶴見橋)被爆樹木・シダレヤナギ
※この付近にあった古い鶴見橋のたもとで1945(昭和20)年8月6日被爆しました。爆心地から≒1,700m。
1990(平成2)年現在の鶴見橋架橋時、今のところへ移植されました。
上部を失ったため、頭を下げたような形になっている(親)幹は治療のかいなく、2008(平成20)年枯死しましたが。
現在は(ひこばえの)新しい幹が成長し、大きく枝を広げています。
(裕編集の)(鶴見橋)被爆樹木・シダレヤナギ
8月7日(安芸区のわが家付近)天候:はれ
28.2℃、84%
被爆したシダレヤナギのひこばえに頑張れってと
応援したくなりました。
77年の時を超え木々達も焦土と化した大地から
命を繋いできたことに感動です。
シダレヤナギもある意味歴史の生き証人でしょうから。
まだ緑の葉を付けていた2004年からこのシダレヤナギを見ていましたので、明らかに枯死してきていた時を見たときは沈んだ気持ちになりました。
しかし、このシダレヤナギは次の世代のひこばえに受け継がれていますが。
単に枯死したシダレヤナギもあります。
http://masuda901.web.fc2.com/page7gx01.html
樹木にも疎いですが、柳や松や桜はなかなかむつかしいようですね。
何世紀も伝えてくれるのは被爆クスノキかもしれませんね。
昨日の平和宣言で、
トルストイの言葉を借りてはいましたが、『他人の不幸の上に自分の幸福を築いてはならない。・・・』
たまにはいい事をボソボソと云っていると思いました。
露西亜大統領が聞いて居ればいいのですが。
私は東京在住ですが、広島には2度ほど伺っています。
被爆した状況を昨日もテレビで放映していましたが、ほんとに二度とあってはいけないことです。
今、ロシアのウクライナへの核による脅しは、とてもこの世の人とは思えません。悲惨な目にあうのはもう全世界の人たちだということを肝に銘じてもらいたいと思います。
原爆に会われた木々も同じこと。侵略はこの世から無くしたいものです。
種から育てるいいですね。
わたしは、広げた園芸をどういう風に終わらせていくかを考えていますが、故意に枯らすわけにはいきませんから。
http://yutaka901.turukusa.com/
好戦的な国際状況に便乗する考え方ではなく、
先の対戦から平和的な解決方法がないのかを学んだはずの日本国ですので、知恵を出さなければと考えてはいるのですが。
高校野球も県予選からみていませんのでよくわかりませんが、
ただ広陵が早々に負け亡き親父の母校広商だけは応援はしましたが決勝に行く前に負けました。
いまの監督でのプロ野球はよくわかりませんが。
中國新聞をみたところ、敵失ばかりの勝利で、監督の采配での勝利ではないのですから、その勝利を喜んでも次につながらないのですから。