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中区大手町の島内科医院前に広島市によって建立されている「爆心地・原爆被災説明板」です。
※(広島の)爆心地には、原爆被災説明板しかありません。
*1945年8月6日被爆時は、島病院でした。
わたしが2001年に最初に頁を編集した時は、”島外科”でした。
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2009年8月以降は島外科内科になっていることを知りました。
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2001年頁を編集してからいろいろと分かってきたことを追記してきましたが、
20019年久しぶりに横を通った時に“外科・内科”から“内科医院”になっていることを知り撮影していました。
編集してから19年も経てば、院長も退任しあとを継ぐ人がいる事になるのでしょうね。
そして、診療科も違ってくることもある。
そんなことを思いながら今に追い付いていない頁も多いのだろうと思う出来事でしたので記事として取り上げました。
今日の記事をみていて、(随分前の)新着資料展で被爆前の島病院前で撮影された(何かの記念)写真が展示されており、島薫院長も写っていたことを思い出したのです。
保存ホルダーを探してその展示パネルを写した画像を引っ張り出し、先ほど編集頁に加えました(ので)よければ(下記をクリックして)編集頁を見てやってください。(9月29日追記)
2001年9月1日裕編集。2020年9月29日更新:爆心地(島病院)
9月29日(安芸区のわが家付近)天候:はれ(雲多し)