中区基町の広島城内堀の外(東北側角付近)に設置されている「広島城・原爆被災説明板」です。
説明板の英文をグーグルで翻訳してもらうと
『 広島城(爆心地から約980メートル)
1589年、当時この地域の領主であった毛利輝元によって広島城が築城され、それ以来、広島にとって歴史的に重要な役割を果たしてきました。
1945年8月6日午前8時15分、原爆により 5階建ての城は完全に破壊され、石垣の土台だけが残されました。境内の樹齢数百年の杉が焼け焦げた。
お濠に浮かぶ蓮の葉も焼け焦げていました。
火災から逃れようとして、多くの犠牲者が堀で溺死しました。 』となります。
広島城は原爆の爆風で倒壊しています。
(裕編集の)広島城・原爆被災説明板
説明板の英文をグーグルで翻訳してもらうと
『 広島城(爆心地から約980メートル)
1589年、当時この地域の領主であった毛利輝元によって広島城が築城され、それ以来、広島にとって歴史的に重要な役割を果たしてきました。
1945年8月6日午前8時15分、原爆により 5階建ての城は完全に破壊され、石垣の土台だけが残されました。境内の樹齢数百年の杉が焼け焦げた。
お濠に浮かぶ蓮の葉も焼け焦げていました。
火災から逃れようとして、多くの犠牲者が堀で溺死しました。 』となります。
広島城は原爆の爆風で倒壊しています。
(裕編集の)広島城・原爆被災説明板
2023年1月13日金曜日(安芸区のわが家付近)天候:くもり
12.8℃、66%
1945年8月の光景が嘘のように思えてなりません。
築城以来戦にもお城は守られていましたのに
原爆により一瞬にして破壊されてしまった怖ろしさ。
悲惨な戦争を後世に伝えていかねばと思っています。
時が原爆の傷跡を消してきたのでしょうね。
被災説明板にある“多くの犠牲者が堀で溺死しました。”その写真があればと思いもしますが。
好戦的な世の中を排除して、
平和な世の中を次の世代に残していかなくてはならない(のが)、今を生きるわたしたちでなのではと思うのですが。
厳格な荒野鷹虎さんなので、
・二歩反則負け、後手番なのに先に手を差しての反則負け、恥ずかしくて許せないのでしょうね。
それは、変えることが出来ぬ将棋ルール違反ですから。
・ただ、マスク無着用、鼻だしマスクは規則を守らなかった結果での反則負けですから、
嫌なら規則自体を変える提案もできると思うので対戦中に主張することではないと思いますが。
それにしても、仕事をしていた時代に多くのミスをしてきたわたしですので、いろいろと思い出します。