画像が現れない記事になっていたら、折角きていただいたので、よければ、編集頁で見てやってください-
過って「厳島神社兼帯七社」だった神社を取り上げました。
※古くは平安時代から江戸時代にかけて厳島神社が、祭祀を兼務し、社殿などの修築工事なども行っていた神社です。
※速谷神社、大頭神社、宮内天王社、大瀧神社、(総社)→多家神社、(角振社)→三翁神社、(官幣社)→安芸津彦神社、の七社と云われています。
2008年9月宮内天王社を参拝したとき、
由緒板を読めば『古来厳島神社兼帯の一社であり厳島の祠官が来てお祭を行ったと伝えられて、社殿や鳥居を造る木材も厳島から給されていました。』とありました。
他の神社でも由来板などで厳島神社兼帯社であったことを知り、調べて兼帯七社を知ったのです。
2024年のいまになりましたが内容を見直し、画像を付けた頁(上画像)を編集しました。
(裕編集の)厳島神社兼帯七社
過って「厳島神社兼帯七社」だった神社を取り上げました。
※古くは平安時代から江戸時代にかけて厳島神社が、祭祀を兼務し、社殿などの修築工事なども行っていた神社です。
※速谷神社、大頭神社、宮内天王社、大瀧神社、(総社)→多家神社、(角振社)→三翁神社、(官幣社)→安芸津彦神社、の七社と云われています。
2008年9月宮内天王社を参拝したとき、
由緒板を読めば『古来厳島神社兼帯の一社であり厳島の祠官が来てお祭を行ったと伝えられて、社殿や鳥居を造る木材も厳島から給されていました。』とありました。
他の神社でも由来板などで厳島神社兼帯社であったことを知り、調べて兼帯七社を知ったのです。
2024年のいまになりましたが内容を見直し、画像を付けた頁(上画像)を編集しました。
(裕編集の)厳島神社兼帯七社
6月5日(安芸区のわが家付近)はれ。
21.7℃、55%
わたしも兼帯という言葉を字引で引いてみましたから。
残念ですが、云われることは勝手すぎですね。
厳島神社の後、兼は兼ねるで、帯神社と言える
ものが七社ということですかね。兼帯神社とい
う風には言わぬだろうとは勝手に想像して読ん
でいます。不勉強で...(笑)。