♪♪あなた知ってる?~広島~

HP「広島ぶらり散歩」編集&更新の履歴ブログです。
広島市は“平和都市”のほか“水の都ひろしま”も推進しています。

東区:石井翼山先生碑

2022年05月16日 09時17分58秒 | 各種記念碑等
東区二葉の里(ふたばのさと)の鶴羽根神社に建立されている「翼山石井先生碑」です。
※大正8(1919)年10月26日建立。
※題:陸軍中將從四位勲二等功二級田部正壮(1849-1939)。
※撰文:從六位山田養吉(十竹:1834-1901)。

2008年撮影して碑文の全文は解読できなくても石井翼山先生が如何なる人物がわからないかと思いましたが、わたしには読み解けずわからなかったので、
頁の編集完了に至っていなかったのです。

ことしになって、国立国会図書館がデジタルコレクションということで各種の書籍を公開していることを知り、
その中に「広島県書画家伝」があり、その中にここで取り上げた石井翼山に関する記述がありました。
石井翼山(1812~1883)
『名は義宣、字は明郷、眞澄と称し、号が翼山。
廣島鶴羽神社の神職。垂加學を加藤棕盧(1790-1851)に受け、書は初め菫其昌(とう きしょう:明の文人)を学び、後ち諸家の法帖(≒先人の筆跡または碑文など)を習ひ、一機軸を出し、韻致(≒風雅な趣)ある書でした。・・・・』

長い事編集完にならずほったらかしだったのですが、
人物像がわかりましたので頁編集完了公開することができました。
(裕編集の)翼山石井先生碑

5月16日(安芸区のわが家付近)天候:くもり

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番外:わが家の赤実レモン花咲く

2022年05月15日 09時06分58秒 | いまだ初心園芸
鉢物で育てている赤実レモン。通販で求めて四半世紀ほどになります。
冬場は温室に入れていますが、いまは外に出しています。
蝶々などが強敵で卵を産んで幼虫になり注意散漫だと、葉っぱを食べられ丸裸になるのです。


食べたな~~と云えるほどには実が生ることはありませんが、わずかでも実が生るといいのですが。
(わが家の)赤実レモン

5月15日(安芸区のわが家付近)天候:くもり

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番外:わが家のシラン咲く

2022年05月14日 09時31分12秒 | いまだ初心園芸
きょう早朝、トイレタイムで目が覚めたとき
NHKラジオ深夜便「今日の花、花言葉」を紹介していました。
シラン ラン科 “互いに忘れない”
ギリシャ神話にまつわる言い伝えも紹介していましたが
(寝ぼけていてよく覚えていませんので、ゆっくりとNET検索でもしようかなと)

画像は、鉢物で育てているわが家のシランです。

他の方々のブログでみていたからでしょう。
わが家は、なかなか咲かないなと思っていたのですが、
例年通りで、わが家なりの開花だったようです。


(わが家の)シラン

5月14日(安芸区のわが家付近)天候:くもり

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太田川:(廃線可部線)第一太田川橋梁

2022年05月13日 08時27分45秒 | 橋梁
安佐北区安佐町小河内と安佐町久地との太田川に架かる廃線可部線の「第一太田川橋梁」です。
※2003年12月1日廃線になったJR可部線の小河内駅~安野駅間にあった鉄道橋でした。


下路プレートガーダー桁橋で、床版・枕木もレールも撤去されていました

(裕編集の)(廃線可部線)第一太田川橋梁

三段峡の紅葉見物で利用したこともありますのでこの鉄道橋を渡ったはずですが、
既に廃線になって廃橋になった鉄道橋を取り上げるか少し迷ったのですが、
太田川に架橋され今に至るまで残っているので取り上げることにしました。
廃線になる前、
妻運転の車で廃駅になる前の幾駅かを撮影して「廃線で消えた可部線の駅」を編集したことが懐かしく思い出されました。

5月13日(金曜日)(安芸区のわが家付近)天候:あめ

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太田川:宇賀大橋

2022年05月12日 08時41分19秒 | 橋梁
安佐北区安佐町小河内(あさちょう・おがうち)と安佐町久地(くち)を結び太田川に架かる「宇賀大橋」です。
*橋銘板は、‘うがおおはし’ではなく“うがおうはし”ですのでそれを編集頁では採用しています。
※竣工:1953年。広島市市道安佐北4区304号線。
*この宇賀大橋竣工年が1953年ということは、まだ安佐町ではなく久地村、小河内村時代に架橋された吊り橋なのです。

いままで、太田川に架橋の橋々を祇園大橋から上流側へ野冠(のかずき)橋まで撮影して編集してきました。
その野冠橋の上流の橋が宇賀大橋なのです。

2021年1月中國新聞の特集【太田川 恵みと営み】第2回でこの 宇賀大橋を取り上げていました。
(小学校の統合で)4人の小学生が通学路となるこの橋を渡り、バスで学校に行くという動画をユーチューブでみました。
わたしは、今回初めて撮影し渡った橋ではありましたが。
(裕編集の)宇賀大橋

5月12日(安芸区のわが家付近)天候:くもり

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太田川の橋々:アナログ人間とデジタル人間

2022年05月11日 12時15分30秒 | 橋梁
NHKラジオを聞いていたら“連休なにした”とリスナーに問うていたので、この記事になったのです。

コロナ禍が収まったわけでもない黄金週間に出歩くなんてと思っていたのです。
365日超連休のわたしに、連休なので行きたいところに連れて行くよと云ってくれた息子。

それならば、太田川に架かる橋々を撮影に連れて行ってくれとお願いしたのです。
太田川下流の祇園新橋から野冠(のかずき)橋まで撮影編集しているので、その先10橋ばかり撮影できればと話したのです。
そこで、息子が考えてくれたのは、天候もよく、平日の5月6日に、
(わが家から一番近い)志和ICから山陽自動車道に乗り、中国縦貫自動車道・加計スマートICで降りて、
“(廃線JR可部線)第六太田川橋梁”から下流側の橋々を撮影しながら野冠橋の上流側“宇賀大橋”まで17橋を撮影した後は普通道で家に帰ろうと提案してくれたのです。

そうと決まれば、少々強行軍ではあっても撮影段取りをしなくてはと
上画像のように、NET地図を印刷してノリで貼り、この地図で撮影橋々をチェックしていけばいいというのが、いつものわたしの段取りなの(だったの)です。

いまは昔の建築屋学士と土木技師修士の違い、
旧世代“ドラフターで施工図を描いていた”わたしに対して“PCを駆使して設計図などを描いている(のであろう)”息子。
携帯を駆使して太田川の両岸を通る国道191号か県道177号かを走るのが撮影に良いかを判断してくれた息子に頼っての撮影でした。

疲れが残る歳になっていても、
撮影した多くの橋々画像をそれぞれの橋の頁に編集できるように(後回しにしないで)整理をしておかなくては画像があっても、いろいろと忘れてしまうので整理に取り掛かっている処です。
個々の橋の頁を編集して全部をNET公開できるようになるにはだいぶ時間がかかるでしょうが楽しみができました。

(裕編集の)「広島の橋」編
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番外:墓参り

2022年05月11日 08時39分59秒 | カテゴリー以外
母の日、息子から妻へ


墓の前 どう考える おまえなら

5月8日(安芸区のわが家付近)天候:はれ
5月9日(安芸区のわが家付近)天候:くもり
5月10日(安芸区のわが家付近)天候:はれ
5月11日(安芸区のわが家付近)天候:小雨模様

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番外:今年も花少ないナルコユリ

2022年05月07日 10時18分49秒 | いまだ初心園芸
鉢物で育てているわが家のナルコユリです。

可愛い花をつけてくれるのですが、
ここの処、花いっぱいと云えるほど育てられないわたしです。
花がないと寂しいでしょうが、わずかには花付けてくれてはいますが。


何年も育てても植物の気持ちに近づけていないあなたらしいと、
妻からの声が聞こえてくるようです。
さびしさは、増すばかりで。

(わが家の)ナルコユリ

5月7日(安芸区のわが家付近)天候:はれ

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廿日市市:誓真釣井(幸町)

2022年05月06日 08時27分09秒 | 神社寺院等
廿日市市(旧・佐伯郡)宮島町幸町に掘られている井戸で「誓真釣井」と云われています。
※2002年撮影した時、手押しポンプが設置されていました。
※2007年手押しポンプが撤去されていました(お隣の店主に伺うと壊れ撤去したとのことでした)。
*2007年以来新しい手押しポンプが設置されることはないようです。

いままで“水神さま”が祀られているのかなと思っていましたが、
今回頁を更新しながら“井戸神さま”かなと思ったのです。


(裕編集の)幸町の誓真釣井

5月6日(安芸区のわが家付近)天候:はれ

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廿日市市:誓真釣井(港町)

2022年05月05日 09時17分26秒 | 手押しポンプ
廿日市市(はつかいち・し)宮島町港町に掘られている井戸で「誓真釣井(せいしんつるい)」と云われています。
『誓真さんは、もと伊予の人で天明のころ厳島に来て神泉寺の番僧となり、竹林庵に住んでいました。
飲料水の不足に苦しむ島民のために島内に十ヶ所井戸を掘りました。
それらが今日誓真釣井と呼ばれ、この井戸の数メートル先は当時海岸であったにもかかわらず塩分もなく旱魃の時もこんこんと清水が湧き、うまい水で町内各所から樽で水汲みに集まる姿がみられた名水です。』

わたしは、この釣井に設置されている手押しポンプに注目して頁を編集しだしたのです。
※はじめて撮影した2004年。現役の手押しポンプ(津田式)が設置されていました。
※2007年新しい手押しポンプ(KOYO)になっていました。
※2021年新しいステンレス製手押しポンプ(川本製作所)になっていました。


(裕編集の)港町の誓真釣井

5月5日(安芸区のわが家付近)天候:はれ

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廿日市市:誓真地蔵尊

2022年05月04日 08時53分52秒 | 神社寺院等
廿日市市宮島町港町に安置されている「誓真(せいしん)地蔵尊」です。
※『この井戸(誓真釣井)の霊水によって育まれた者に長寿多く、いつの頃からか誓真さんを地蔵尊として祀り、慕い、崇めている』と地蔵堂根際の説明版に記述してあります。

昨(2021)年コロナ禍で閑散としている宮島でした。
帰りの連絡船に乗る前に久しぶりに立寄ってお参りしました。

お供え物のお酒に目が行きました。
「白鶴 純米吟醸 兵庫県産山田錦100%使用(@1,254円)」


(裕編集の)(港町)誓真地蔵堂

5月4日(安芸区のわが家付近)天候:はれ

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東区:(広島東照宮に再建された)旌忠碑

2022年05月03日 09時29分49秒 | 軍都広島関連等
東区二葉の里の広島東照宮参道根際に移設再建されている「(西南戦争での)旌忠碑(せいちゅうひ)」です。
※陸軍中將從四位勲二等三浦梧楼撰并篆額。山口縣周防巖國塩屋處書。
※明治十一年十ニ月廣嶋鎮臺臺下將校醵資建之。

2017年10月西南戦争「旌忠碑」復元委員会設置の説明板によると
『明治10(1877)年2月に明治新政府と西郷隆盛を首領とする鹿児島士族らとの間に生じた「西南戦争」で、亡くなった広島鎮台兵の顕彰と慰霊のために建立されたものです。・・・・
国内ではこの戦争を最後に士族の反乱はなくなり、政府による権力的基礎は確立され、近代化が進んでいきます。・・・・』とあります。


手前左手:「旌忠碑」と向側右手“高木老儒之碑”


(裕編集の)(広島東照宮)旌忠碑

5月3日(安芸区のわが家付近)天候:(未明雨有もいまは)はれ

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東区:高木老儒之碑

2022年05月02日 08時43分22秒 | 各種記念碑等
東区二葉の里の広島東照宮参道根際に建立されている「高木老儒之碑」です。
※篆額:大勲位載仁親王(1865-1945)。撰(文):従六位勲五等西尾為忠。
※明治二十七年十月建。
設置の説明板によると
『この石碑は、幕末から明治10年代にかけて、広島で庶民に学問を教える塾を開いていた漢学者・高木忠次郎の学識とその人となりをを記したものです。・・・・
幼いころから才智に優れ、当時城下で著名であった儒学者・坂井虎山(1798-1850)に学び、21歳のとき都に上り学問に励み、さらに江戸、水戸、奥羽にまで行って10余年間修業し、当時全国的に著名であった水戸の会沢正志斎(1782-1863)らの指導を受けて帰郷し、自宅を開放して漢学高木塾を開きました。・・・・』そうです。

文孝高木先生碑で始まるこの碑。
2006年この「高木老儒之碑」を撮影して碑文を何とか読んで頁を編集しようと思ったのですが、
高木老儒学者自身について碑文を読み解くことができず、頁編集完には至っていなかったのです。

2009年11月19日撮影当時は、
奥側にはまだ“旌忠碑”は移設再建されていませんでした。


説明板が2017年に設置されており高木老儒学者についてわかりましたので、いまになりましたがこの頁が編集完に出来ました。
(裕編集)(広島東照宮)高木老儒之碑

5月2日(安芸区のわが家付近)天候:はれ

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番外:わが家のカリンに実が

2022年05月01日 08時48分05秒 | いまだ初心園芸
鉢で育てているわが家のカリンです。
ことしも、(NETの友に教わった)ひつこく人工授粉したことで、
(わが家の)カリンとしては多く結実したので、小さいものは間引いたところです。

ここ二年間、実ったカリンでシロップを造って紅茶の甘味としています。
(他方、多く実る柚子で造るシロップとともに賞味しているのですが。)

順調に育ち収穫できればと期待している処なのです。


(わが家の)カリン

5月1日(安芸区のわが家付近)天候:くもり

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