私は 東京オリンピックが開催された年、
小学1年生でした。
でも その時の記憶が いくつも残っているのです。
実は 私は
東京オリンピックパラリンピック(1964年)を記憶している、
最年少世代じゃないかと思っているんですよ。
私は 小学生になっていて
学校で 先生に 日本の国旗について教わりました。
日の丸です。
知ってるよ~!
次に 日の丸の歌を 習いました。
白地に 赤く 日の丸 染めて、っていう、アレです(笑)。
その次に、日の丸の旗を 描きました。
真っ赤なクレヨンで 白い紙に 真っ赤な丸を描きました。
私は お絵描きは好きだったので 得意になって
キレイに描きました。
みんなで、先生に 誉めていただきました。
その数日後、
また 日の丸を 描かされました。
得意ですから、鼻歌気分で 赤い丸を描きました。
またすぐに 日の丸を描かされました。
今度のは やや細長い紙でした。
そして 今度は 紙の端にのりをつけて
篠棒(!)に貼りつけました。
これで 日の丸の旗が できあがり♪
その翌日にも 日の丸を描かされました。
クレヨンは 既に ボキボキ折れていました。
なにしろ、赤いクレヨンしか使いません。
そして やっぱり 篠棒に のりで貼り付けました。
そうしたら、翌日になって 先生が
「みんな、とっても上手だから」と またまた日の丸、です。
クレヨンは 短くなっていて使いづらく、
同じ作業に飽き飽きして 嫌気がさしていたのですが
我慢して 書きました。
聖歌ランナーが国道を通る、という日に
近所の人達も 学校の先生も生徒もみんな
沿道に出て 旗を振りました。
みんなが 日の丸の旗を 手に持っていました。
それだけの事です(苦笑)。
もちろん、他にもいくつか 覚えている事があります。
それは、明日以降に。
なお、パラリンピックの思い出は 何も残っていません。
あるいは、障害者の方々を テレビの画像で見た衝撃が強すぎて
記憶から消し去っているのかもしれません。
今度の東京パラリンピックでは
これまでの数回のパラリンピックと同じように
しっかりと応援したいと思います。♡
そして 住職が言うように 世界一のバリアフリー大会になったら、
と夢見ています。
受け入れ体制は 一般国民も 気持ちの上で
整えておかなくてはなりませんね!
私は かつて
「私が生まれた年に 東京でオリンピックがあったそうです。
私は、覚えてませんけど。」
というアルバイト学生と 一緒の職場で働いた事があります。
そう、ちょうど 「新人類」という新語が出てきた頃です(笑)。
世の中の移り変わりが激しかったから、
自分より もっと若い人たちと話していると、
さまざまな感覚的な事柄において、
「隔世の感」というものを感じていた頃です。
7年後、あるいは それ以後の日本は、どうでしょう?
「あなた、東京オリンピックの後に生まれたの?」
「若いな~!」
「先輩、オリンピックの事、覚えてるんですか?」
そんな会話が 数十年後の日本で
平和に繰り返されるのでしょうね(笑)。
小学1年生でした。
でも その時の記憶が いくつも残っているのです。
実は 私は
東京オリンピックパラリンピック(1964年)を記憶している、
最年少世代じゃないかと思っているんですよ。
私は 小学生になっていて
学校で 先生に 日本の国旗について教わりました。
日の丸です。
知ってるよ~!
次に 日の丸の歌を 習いました。
白地に 赤く 日の丸 染めて、っていう、アレです(笑)。
その次に、日の丸の旗を 描きました。
真っ赤なクレヨンで 白い紙に 真っ赤な丸を描きました。
私は お絵描きは好きだったので 得意になって
キレイに描きました。
みんなで、先生に 誉めていただきました。
その数日後、
また 日の丸を 描かされました。
得意ですから、鼻歌気分で 赤い丸を描きました。
またすぐに 日の丸を描かされました。
今度のは やや細長い紙でした。
そして 今度は 紙の端にのりをつけて
篠棒(!)に貼りつけました。
これで 日の丸の旗が できあがり♪
その翌日にも 日の丸を描かされました。
クレヨンは 既に ボキボキ折れていました。
なにしろ、赤いクレヨンしか使いません。
そして やっぱり 篠棒に のりで貼り付けました。
そうしたら、翌日になって 先生が
「みんな、とっても上手だから」と またまた日の丸、です。
クレヨンは 短くなっていて使いづらく、
同じ作業に飽き飽きして 嫌気がさしていたのですが
我慢して 書きました。
聖歌ランナーが国道を通る、という日に
近所の人達も 学校の先生も生徒もみんな
沿道に出て 旗を振りました。
みんなが 日の丸の旗を 手に持っていました。
それだけの事です(苦笑)。
もちろん、他にもいくつか 覚えている事があります。
それは、明日以降に。
なお、パラリンピックの思い出は 何も残っていません。
あるいは、障害者の方々を テレビの画像で見た衝撃が強すぎて
記憶から消し去っているのかもしれません。
今度の東京パラリンピックでは
これまでの数回のパラリンピックと同じように
しっかりと応援したいと思います。♡
そして 住職が言うように 世界一のバリアフリー大会になったら、
と夢見ています。
受け入れ体制は 一般国民も 気持ちの上で
整えておかなくてはなりませんね!
私は かつて
「私が生まれた年に 東京でオリンピックがあったそうです。
私は、覚えてませんけど。」
というアルバイト学生と 一緒の職場で働いた事があります。
そう、ちょうど 「新人類」という新語が出てきた頃です(笑)。
世の中の移り変わりが激しかったから、
自分より もっと若い人たちと話していると、
さまざまな感覚的な事柄において、
「隔世の感」というものを感じていた頃です。
7年後、あるいは それ以後の日本は、どうでしょう?
「あなた、東京オリンピックの後に生まれたの?」
「若いな~!」
「先輩、オリンピックの事、覚えてるんですか?」
そんな会話が 数十年後の日本で
平和に繰り返されるのでしょうね(笑)。