寒くなりました~!!!
ああ、これが「冬」ってやつなんだな~、と
感じています(苦笑)。
昨日の朝刊の、日々の歌を記した「四季」という欄に
面白い和歌(?)が載っていました。
岡本貞子という方の歌です。
処方箋 書きつつ宣(の)らす
「がんばらず 頼れるものに 頼ることです」
長谷川櫂先生の この歌を評する言葉に、
「作者は何事も 自分でやってきた人なのだろう。
裏返せば 何もかも背負いこんでしまう。
そんな人には 肩の力を抜くことが 何よりの療養」
と 医師がおもしろい表情で諭している、のだそうです。
私たちは
「人様に 迷惑をかけないように」と言われて育ちました。
それに対して
「フン!」と思いながら生きていた時期があった事を
私はここに告白いたします(苦笑)。
けれど、迷惑をかけているか、かけずに済んでいるかを
意識していない日々でも
心のどこか奥のほうで
「人様に迷惑を・・・」
という言葉は ひっそりと息をしている感じがします。
でも、私は言いたいのです。
迷惑をかけたって、いいじゃないか!!!(爆笑)
子供に迷惑をかけたくないから、と
散骨を業者に依頼したよ、と
嫁いだ娘に伝えたら
「じゃあ、私、いったいどこにお参りに行ったらいいの?」
と 娘が泣き出した、
という話があります。
事前によく話し合いなさいよ、という事ではあります。
が、それだけではなく、
「迷惑をかけたくない」という思い込みのもと、
ワガママで勝手な行動をとっただけだった、
という事だと思います。
そして、私が一番に言いたいのは、
「もっと迷惑をかけたらいいじゃないの?!」
という事です。
最近では 深谷の近隣にも もうけ主義の葬祭業者がいて、
お檀家さんが 不便な思いをしたり
それこそ迷惑を蒙ったりする例が見られるようになりました。
「自分の葬儀が 想定外の事になってしまわないためにも、
エンディングノートは必要」
という主張に 住職が 近年 変わってきているのは、
そういう事情にもよるものです。
けれども、私は、
エンディングノートは、まぁ、いいけど、
年をとったら、
子供に、近所に、親戚に、行政に、
もう少し迷惑をかけたって、
少しくらい甘えたって、いいんじゃないでしょうか?
特に、大変な時期を過ごして来られた方々?
と言いたいのです。
災害時と同じく、自助努力は必要ですが、
人の助けを必要としない、というのは、
寂しい事のような気がします。
誰だって、病んで、老いて、死んでいくのです。
あなたは そんな人が身近にいたら、
何か手助けをしたいとは 思わないでしょうか?
まして、葬儀の際には。
また、祭祀を継承する子供が 頼りない場合もあるでしょう。
けれど、
葬儀は、人が 子孫に授ける事ができる、
最後の教育の場でもあるのです。
そんな時こそ、周囲の助けをいただいて
継承者を 大人に育てていただく
またとないチャンスなのです。
私は、迷惑、かけて欲しいなぁ(笑)。
そして、頼るべき人や制度や薬がある時には、
頑張りずぎずに、「頼ることです」(笑)
お悩みのご相談や 葬儀のご相談、墓地のご相談に
吉祥寺においでになる際は
まずお電話をください。
ああ、これが「冬」ってやつなんだな~、と
感じています(苦笑)。
昨日の朝刊の、日々の歌を記した「四季」という欄に
面白い和歌(?)が載っていました。
岡本貞子という方の歌です。
処方箋 書きつつ宣(の)らす
「がんばらず 頼れるものに 頼ることです」
長谷川櫂先生の この歌を評する言葉に、
「作者は何事も 自分でやってきた人なのだろう。
裏返せば 何もかも背負いこんでしまう。
そんな人には 肩の力を抜くことが 何よりの療養」
と 医師がおもしろい表情で諭している、のだそうです。
私たちは
「人様に 迷惑をかけないように」と言われて育ちました。
それに対して
「フン!」と思いながら生きていた時期があった事を
私はここに告白いたします(苦笑)。
けれど、迷惑をかけているか、かけずに済んでいるかを
意識していない日々でも
心のどこか奥のほうで
「人様に迷惑を・・・」
という言葉は ひっそりと息をしている感じがします。
でも、私は言いたいのです。
迷惑をかけたって、いいじゃないか!!!(爆笑)
子供に迷惑をかけたくないから、と
散骨を業者に依頼したよ、と
嫁いだ娘に伝えたら
「じゃあ、私、いったいどこにお参りに行ったらいいの?」
と 娘が泣き出した、
という話があります。
事前によく話し合いなさいよ、という事ではあります。
が、それだけではなく、
「迷惑をかけたくない」という思い込みのもと、
ワガママで勝手な行動をとっただけだった、
という事だと思います。
そして、私が一番に言いたいのは、
「もっと迷惑をかけたらいいじゃないの?!」
という事です。
最近では 深谷の近隣にも もうけ主義の葬祭業者がいて、
お檀家さんが 不便な思いをしたり
それこそ迷惑を蒙ったりする例が見られるようになりました。
「自分の葬儀が 想定外の事になってしまわないためにも、
エンディングノートは必要」
という主張に 住職が 近年 変わってきているのは、
そういう事情にもよるものです。
けれども、私は、
エンディングノートは、まぁ、いいけど、
年をとったら、
子供に、近所に、親戚に、行政に、
もう少し迷惑をかけたって、
少しくらい甘えたって、いいんじゃないでしょうか?
特に、大変な時期を過ごして来られた方々?
と言いたいのです。
災害時と同じく、自助努力は必要ですが、
人の助けを必要としない、というのは、
寂しい事のような気がします。
誰だって、病んで、老いて、死んでいくのです。
あなたは そんな人が身近にいたら、
何か手助けをしたいとは 思わないでしょうか?
まして、葬儀の際には。
また、祭祀を継承する子供が 頼りない場合もあるでしょう。
けれど、
葬儀は、人が 子孫に授ける事ができる、
最後の教育の場でもあるのです。
そんな時こそ、周囲の助けをいただいて
継承者を 大人に育てていただく
またとないチャンスなのです。
私は、迷惑、かけて欲しいなぁ(笑)。
そして、頼るべき人や制度や薬がある時には、
頑張りずぎずに、「頼ることです」(笑)
お悩みのご相談や 葬儀のご相談、墓地のご相談に
吉祥寺においでになる際は
まずお電話をください。