道安寺を後にして、ひたすら第60番横峰寺目指して歩く。途中小松の町だったろうか、町の中を歩く。商店街を抜けて、迷いながらも小さな神社の鳥居やお地蔵さんの前を通りつつ山道に入る。石鎚山の中腹に位置する横峰寺は大変な山奥だった。昇りがきつい。行けども行けども標識の距離は減らず。山道を1時間半、標高七百メートル。やっと杉の老樹に覆われた仁王門が見えてきた。境内はそんなに広くない。すぐ右手に権現造りの奥深い本堂があり、その向かえに大師堂が佇む。
お寺から五百メートル上にある星ヶ森で修験道の開祖・役の小角が修行していたときに蔵王権現が顕れ、その姿を石楠花の木に刻んでお堂を建てたのが始まりという。その後行基が来て大日如来像を刻んで安置した。さらに桓武帝の時代に石仙上人が帝の病を癒す修法をして菩薩号を賜っている。そして大同年間に弘法大師が星ヶ森で厄除けを21日間祈願するとやはり蔵王権現が示現したと言われる。
大きな唐破風の庇を入り本堂内で理趣経一巻。石鎚神社の別当寺として歴史に名をとどめ、明治の神仏分離令で石鎚山遥拝所横峰社でもあったので、正面には鏡、右大臣、左大臣、護摩壇、奥に本殿。本尊は伝弘法大師作の大日如来。蔵王権現は寺宝である。続けて大師堂を拝み終わると早くも薄暗い。四時を過ぎていた。本坊を訪ね、一夜の宿を乞うと本堂内の土間でならと言われるが、かなり冷え込むので特別に装備がなければ降りた方が無難とのアドバイスをいただく。
しばらく思案の末、大師堂の奥から続く遍路道を駆け下りることにした。次の香園寺まではほぼ十キロ。下りとはいえ山道だ。推定時間は三時間。どうなることか危ぶまれたが、ただひたすらホットの缶コーヒーを買って頭陀袋に入れ温もりながら、獣道のような小道を懸けた。同行は錫杖のみ。錫杖を突き石から石に飛ぶ。気がつくと「南無大師遍照金剛」とずっと唱えていた。暗くなる。真っ暗になったら山道は走れない。とにかく薄暗いうちに山を降りねばとの一心で先を急いだ。
香園寺奥の院にたどり着いた頃、日が暮れた。降り始めてから2時間半が過ぎていた。家並みの間をペンライトをたよりに歩く。香園寺寺務所で「歩いてきました」と言うと、どうぞ宿坊をお接待します、お泊まり下さいと、案内してくれた。人の居なくなった食堂に行くと、台所のおばちゃんがお膳にのせて燗酒を持ってきてくれた。ありがたい。ゆったりと大きな風呂に一人入り、ここに来るべくして来られたのだと納得した。
それにしても大きなお寺だ。新興宗教の聖堂のような横長の大きなホールのような建物が本堂だった。その脇に4階建ての宿坊が聳える。第61番栴檀山香園寺、初めて仏教に帰依された用明天皇の病気平癒を聖徳太子が祈願して創建したお寺だ。大同年間に弘法大師が訪れ、身重の女性を加持して安産をもたらしたので、ここの大師堂は子安大師ということでも有名だ。因みに山号はその時唐から持ち帰った栴檀の香を焚いて護摩を修したことに由来すると言う。
翌朝、早くに起きだして一人2階に上がり、本堂に参る。大きな金色の大日如来像が微笑んでおられた。昨日からのいろいろな思いも重なって、椅子に腰掛けて、讃を唱え理趣経をゆっくり唱えさせていただく。大きな荘厳具が小さく見えるほどに大きな大日如来の柔らかなお姿に魅入られながらのひとときはとても幸せな時間に思えた。しばらく唱え終わっても余韻を一人目を閉じて味わう。
朝食をいただき、出ようとすると昨日のおばちゃんが「これ持っていきんさい」とお弁当を下さった。なんともありがたい。香園寺を出るとき、後ろを振り返り深々と頭を垂れた。
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お寺から五百メートル上にある星ヶ森で修験道の開祖・役の小角が修行していたときに蔵王権現が顕れ、その姿を石楠花の木に刻んでお堂を建てたのが始まりという。その後行基が来て大日如来像を刻んで安置した。さらに桓武帝の時代に石仙上人が帝の病を癒す修法をして菩薩号を賜っている。そして大同年間に弘法大師が星ヶ森で厄除けを21日間祈願するとやはり蔵王権現が示現したと言われる。
大きな唐破風の庇を入り本堂内で理趣経一巻。石鎚神社の別当寺として歴史に名をとどめ、明治の神仏分離令で石鎚山遥拝所横峰社でもあったので、正面には鏡、右大臣、左大臣、護摩壇、奥に本殿。本尊は伝弘法大師作の大日如来。蔵王権現は寺宝である。続けて大師堂を拝み終わると早くも薄暗い。四時を過ぎていた。本坊を訪ね、一夜の宿を乞うと本堂内の土間でならと言われるが、かなり冷え込むので特別に装備がなければ降りた方が無難とのアドバイスをいただく。
しばらく思案の末、大師堂の奥から続く遍路道を駆け下りることにした。次の香園寺まではほぼ十キロ。下りとはいえ山道だ。推定時間は三時間。どうなることか危ぶまれたが、ただひたすらホットの缶コーヒーを買って頭陀袋に入れ温もりながら、獣道のような小道を懸けた。同行は錫杖のみ。錫杖を突き石から石に飛ぶ。気がつくと「南無大師遍照金剛」とずっと唱えていた。暗くなる。真っ暗になったら山道は走れない。とにかく薄暗いうちに山を降りねばとの一心で先を急いだ。
香園寺奥の院にたどり着いた頃、日が暮れた。降り始めてから2時間半が過ぎていた。家並みの間をペンライトをたよりに歩く。香園寺寺務所で「歩いてきました」と言うと、どうぞ宿坊をお接待します、お泊まり下さいと、案内してくれた。人の居なくなった食堂に行くと、台所のおばちゃんがお膳にのせて燗酒を持ってきてくれた。ありがたい。ゆったりと大きな風呂に一人入り、ここに来るべくして来られたのだと納得した。
それにしても大きなお寺だ。新興宗教の聖堂のような横長の大きなホールのような建物が本堂だった。その脇に4階建ての宿坊が聳える。第61番栴檀山香園寺、初めて仏教に帰依された用明天皇の病気平癒を聖徳太子が祈願して創建したお寺だ。大同年間に弘法大師が訪れ、身重の女性を加持して安産をもたらしたので、ここの大師堂は子安大師ということでも有名だ。因みに山号はその時唐から持ち帰った栴檀の香を焚いて護摩を修したことに由来すると言う。
翌朝、早くに起きだして一人2階に上がり、本堂に参る。大きな金色の大日如来像が微笑んでおられた。昨日からのいろいろな思いも重なって、椅子に腰掛けて、讃を唱え理趣経をゆっくり唱えさせていただく。大きな荘厳具が小さく見えるほどに大きな大日如来の柔らかなお姿に魅入られながらのひとときはとても幸せな時間に思えた。しばらく唱え終わっても余韻を一人目を閉じて味わう。
朝食をいただき、出ようとすると昨日のおばちゃんが「これ持っていきんさい」とお弁当を下さった。なんともありがたい。香園寺を出るとき、後ろを振り返り深々と頭を垂れた。
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