<仏教のキモ>
私とは何かと探求する
世界でも地球でも一切衆生でもなく、本来は私が中心課題。
自ら認識できることから思索を始めるのが仏教。
私は心と体に分かれる。身体は今生の借り物。心は輪廻する。
生まれたときから皆違う、環境も顔も体も心も好き嫌いも。
平等ではない。それは私とは過去世からの業の蓄積だから。
みんな前世があり、だから違う人生。
でも、だからこそ一人一人生きる価値がある。
尊い命を生きる意味がある。
なぜ輪廻するのか。すべてのものに原因あり結果するから。
因と縁と果の連鎖の中に生きている。
自分があるかぎり無知が残る。
だから死ぬ瞬間の心に生きたいという執着があるので来世に心が向かう。
今生でも無知だから外から入る刺激に反応して欲や怒りを生じ、苦しみ悩み迷う。
それは他者のせいではない。
みんな苦しみを作り出しているのは自分自身。
すべて自業自得、因果応報。
その現実をありのままに認識する。
今に専念する-今の瞬間に生きる<智慧>
この世はすべてが無常だから、自分も自分の心も無常。
すべてのものが瞬時に変化しているから、常に不完全、不満足、不安、空しさがともなう。
空・無我だから思い通りにならない。
それなのに、なんとかならないかと苦しみ、もがき、心を暗くする、心を病む。
生老病死、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五陰盛苦の四苦八苦を生きている。
自分の五官に入るものに対して反応する。
それが、生きている実感となる。
五官と心で知るものに、好き・嫌いで反応し、欲や嫌悪を感じる。
刺激に反応し思い、考えることが習慣となり、妄想し、雑念の中に生きている。
刺激による感覚から自分という思いが生まれ、自分・自分のもの・自分の考えに執着する。
私たちは今に生きておらず、常に過去や未来に心遊ばせて考えて考えて思いまどう。
だから、今なすべきことをまさに熱心になせといわれる。
妄想し、考える心の癖を止めて今の瞬間に生きる。
わずかな幸せを十全に味わう。
考えないために、読経、写経、坐禅などの実践がある。
今さえよければいいという刹那主義ではなく、充実した今という瞬間の積み重ねとして人生を生きる。
今の自分の行いを、ラベリング・言葉で確認し、自分の一つ一つの行い、呼吸、思い、見るもの聞くもの感覚や周囲に気づく。
まずは考えている自分に気づく。
考えず、判断せず、評価しない。これが、仏教徒の心のもちかた。
何度生まれ変わっても、最高のしあわせへ近づく為に精進する。
みなとともに幸せを願う<慈悲>
私たちは一人で生きていけない。すべての物事は相互に関係し依存している。
自分だけよくあることはあり得ない。
まずは正しく自ら生き、すべてのものたちを友として幸せを願い助ける。
亡己利他ではない、まずは私が幸せであるように、
それから親しい人、嫌いな人も嫌われている人も、
生きとし生けるものの幸せを願う。
すべての存在に優しく、助け励まし、ともに喜び、分け隔て無い平安な心で接する。
善行功徳を積む=功徳がよい来世を私たちにもたらす。
身体も財産も名誉も地位も持っては逝けない。
怒り・物惜しみ・嫉妬・後悔を手放す。
<頭で理解し、体験する。心清める。最高のしあわせを最終目標に生きる>
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私とは何かと探求する
世界でも地球でも一切衆生でもなく、本来は私が中心課題。
自ら認識できることから思索を始めるのが仏教。
私は心と体に分かれる。身体は今生の借り物。心は輪廻する。
生まれたときから皆違う、環境も顔も体も心も好き嫌いも。
平等ではない。それは私とは過去世からの業の蓄積だから。
みんな前世があり、だから違う人生。
でも、だからこそ一人一人生きる価値がある。
尊い命を生きる意味がある。
なぜ輪廻するのか。すべてのものに原因あり結果するから。
因と縁と果の連鎖の中に生きている。
自分があるかぎり無知が残る。
だから死ぬ瞬間の心に生きたいという執着があるので来世に心が向かう。
今生でも無知だから外から入る刺激に反応して欲や怒りを生じ、苦しみ悩み迷う。
それは他者のせいではない。
みんな苦しみを作り出しているのは自分自身。
すべて自業自得、因果応報。
その現実をありのままに認識する。
今に専念する-今の瞬間に生きる<智慧>
この世はすべてが無常だから、自分も自分の心も無常。
すべてのものが瞬時に変化しているから、常に不完全、不満足、不安、空しさがともなう。
空・無我だから思い通りにならない。
それなのに、なんとかならないかと苦しみ、もがき、心を暗くする、心を病む。
生老病死、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五陰盛苦の四苦八苦を生きている。
自分の五官に入るものに対して反応する。
それが、生きている実感となる。
五官と心で知るものに、好き・嫌いで反応し、欲や嫌悪を感じる。
刺激に反応し思い、考えることが習慣となり、妄想し、雑念の中に生きている。
刺激による感覚から自分という思いが生まれ、自分・自分のもの・自分の考えに執着する。
私たちは今に生きておらず、常に過去や未来に心遊ばせて考えて考えて思いまどう。
だから、今なすべきことをまさに熱心になせといわれる。
妄想し、考える心の癖を止めて今の瞬間に生きる。
わずかな幸せを十全に味わう。
考えないために、読経、写経、坐禅などの実践がある。
今さえよければいいという刹那主義ではなく、充実した今という瞬間の積み重ねとして人生を生きる。
今の自分の行いを、ラベリング・言葉で確認し、自分の一つ一つの行い、呼吸、思い、見るもの聞くもの感覚や周囲に気づく。
まずは考えている自分に気づく。
考えず、判断せず、評価しない。これが、仏教徒の心のもちかた。
何度生まれ変わっても、最高のしあわせへ近づく為に精進する。
みなとともに幸せを願う<慈悲>
私たちは一人で生きていけない。すべての物事は相互に関係し依存している。
自分だけよくあることはあり得ない。
まずは正しく自ら生き、すべてのものたちを友として幸せを願い助ける。
亡己利他ではない、まずは私が幸せであるように、
それから親しい人、嫌いな人も嫌われている人も、
生きとし生けるものの幸せを願う。
すべての存在に優しく、助け励まし、ともに喜び、分け隔て無い平安な心で接する。
善行功徳を積む=功徳がよい来世を私たちにもたらす。
身体も財産も名誉も地位も持っては逝けない。
怒り・物惜しみ・嫉妬・後悔を手放す。
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ほっとする お話、話題を
有難う御座います、、
現世の煩悩だらけ
それらに まみれて
生きている 自分がいます、、
(^.^)(-.-)(__)575
この度はコメントありがとうございます。
575さんのブログでは、世の中の片隅に忘れられがちな情報を寄稿されてとても勉強になります。
さてこの記事の内容は、昔簡単に仏教の要所は何だろうと書いたものに少し手を入れたものです。
考えないことが一番大切な要点です。考えて考えて煩悩が増殖しますから。
ありがとうございます。またコメントください。