住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
住職のひとりごと
幅広く仏教について考える

暑い夏、雑感

2010年09月05日 13時02分59秒 | 様々な出来事について
9月に入ったというのに、相変わらずの暑い日が続く。異常気象、地球温暖化だからと簡単に片付けていいものだろうか。巷間伝わっているところでは、この異常な暑さの原因は、今年春に起こった英石油大手BPによる米メキシコ湾原油流出事故の影響とも、地球を取り巻く熱圏の崩壊とも言われている。

熱圏とは電離層とも言われ、地上から80kmから1000km付近にある大気層で、地球の大気と宇宙空間が最初に出会うところでもある。太陽や宇宙から降り注ぐ人体に有害な電磁波や放射線をここで吸収している。地球の温度調整もここでしている。熱圏は太陽活動のサイクルにより、薄くなったり厚くなったりしているが、米航空宇宙局(NASA)が7月15日に地球大気の熱圏崩壊を発表しており、今回観測された収縮の規模は科学的に説明がつかないほど大規模なものだという。

この熱圏崩壊の原因には二つの説があり、一つは太陽に何か大きな異変が起きているのではないかということ。昨年は太陽の活動の活発さをあらわす黒点が観測されなかったのに、今年になって急に沢山の黒点が観測されるようになったという。そしてもう一つの原因が、米軍がアラスカで展開している軍事プログラム『高周波活性オーロラ調査プログラム』(HAARP)による影響とも言われている。

HAARPとは電離層の研究を目的とする軍事プロジェクトで、「民生および軍用の通信システムと監視システムを強化するために使用する」とされているが、実際にこれが使用されただけで大規模な地震や地球規模で気候異変が起きるのではないかとも言われている。

ところで、この暑さ36度から38度の日が連日続いているが、かつてインドのサールナートというお釈迦様が最初に説法された聖地で一年間過ごしたときには、連日40度を超える夏を経験したことがある。夏と言ってもインドの場合は、乾季と雨季に別れており、そのあたりでは3月の半ばから6月の半ばに雨が降り出すまでが乾季でとてつもなく暑い。一番暑い日には54度という日があった。

建物もコンクリートなので、昼間の熱気で壁は熱を持ったまま、部屋の中は熱気で夜も寝られたものではない。そこで、チューブベッドを外に持ち出して四隅に棒を立て蚊帳を吊り、その中に入って寝るのだが、蚊が侵入してきたり、暑くて寝られない日も多かった。そういうときには気休めにもベッドの周りにじょうろで水を撒いて寝たものだ。昼間は誰も外に出ない。木陰で静かにしているほか仕方がない。仕事は朝夕の涼しいうちにすべてを済ませてしまう。

そんな感じで耐えて6月に入り、今か今かと待ちかねて雨雲が現れだして、わっーといわゆるスコールのような雨が降ったときには、みんなで外に出て両手を広げて雨を受け空を仰いだものだ。その時ほど雨がありがたいと思ったことはないし、そのまま地面に上を向いて寝ころんだものだ。しかしそういう雨期にはいると、そのサールナートあたりではそんなに毎日雨が降るわけでもないのに、ジトジトしだして、逆に体調を壊し、病気になる人も現れる。相変わらず外に寝ていて、急に雨が降り出して大急ぎでみんなで手伝いながらベッドをひさしの中に入れることもあった。いずれにせよ、今思えば楽しい貴重な体験だった。

しかしあれだけ暑い夏を経験していても、やはり、今年のこの日本の異常な暑さは身体に応える。あれから気がつけば20年近い年月が経過している。月日の経つは早いもので、次の世代に何もかも任せなければいけない日もすぐにやってくる。そんなことを考えさせられる記事が今年8月8日に朝日新聞に掲載された。「墓守いない散骨、子に迷惑、けじめ」と一面トップに書かれていた。読むと、瀬戸内の呉市の男性が都会に出た子供に先祖の墓守を委ねられないからとすべて掘り起こし海に散骨したという内容であった。

タイトルにあるように子に迷惑を掛けられないからとある。それがけじめだとも書かれているが、けじめとは何だろうか。何もかも後腐れ無く処分することがけじめなのだろうか。逆にきちんと自らのルーツを確認する場だと言って、住まいは離れていても通ってくるか、逆に墓を移転することも選択肢にあっても良かったのではないかと思う。なにもかにも合理的な判断と思ってしたことが、実はとてつもなく大切なものを失うことになったと気づいても遅いということにならないか。

他国に比べ家族を大切にし、親族、地元、故郷、お国を大切にしてきた日本人の美徳がこうして失われていく。核家族化して、さらに家族関係も崩壊しようとしている今の日本人を象徴しているかの記事だと思うのは私だけであろうか。根無し草になって、みんなバラバラ、隣にいる人が何していようがおかまいなし、何かしたら親兄弟、先祖に顔向けも出来ないという感覚も失われて殺伐とした社会になっていきはしまいか。そんなところからも、精神的に病んでいく人々が後を絶たず、自殺も減らないのだとは言えまいか。さらには社会との帰属意識、ひいては日本人としての帰属意識も希薄となっていくのではないか。

8月6日、米国大使ルース氏の出席を巡って話題となった今年の広島原爆の日ではあるが、何故原爆の日の行事は毎年行われるのか。やはり次の世代にきちんと受け継いでいくことが大切だということであろう。やはりとても暑い夏に終戦を迎えたあの戦争とは、どれだけ悲惨なもので、何の決定権もない庶民が犠牲となるだけで、結局はごく一部の者たちの単なる経済活動に過ぎないものだったということも知らねばならないであろう。

そういう庶民の感覚を、真相を次世代にきちんと伝えていく必要がある。そういう過去を蘇らせ、普段なかなか出来ない話しが自然に出来る場としても、お墓や仏壇というのは意味ある物なのではないか。とにかくいろいろなことを次の世代にきちんと伝えていかねばいけない。こんなことをこの記事を読んで考えさせられたのであった。・・・・。


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2 コメント

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愛の大安売り (眠る人)
2010-09-11 23:34:04
仏陀は「目覚めた人」の意味なので「眠る人」としてみました。

愛と云う言葉は仏教では忌み言葉に近いですよね。明治の人は「アイラブユウ」を日本語に訳すのに苦労したようです。愛では当時の日本人には通じなかったようでしょう。

でも、昭和10年ごろの愛染桂からか愛が大安売りになりました。作者の川口松太郎は愛染明王を見つけた結果と私は勝手に思ってます。

仏教の云う愛の解釈と今の人の愛の解釈は違いますね。

調べたわけではありませんが、「慈悲」の向こうをはって「慈愛」と云う言葉がありますが正しいのでしょうか。しかし、時代劇では「慈悲」を間違って使っているようですが。

先の総理の鳩山は「友愛」などと云ってます。辞書には載ってますが意味不明です。勝手に解釈してと云うことでしょうか。

歌にも愛の大安売りです。なんか日本が壊れていきつつあるような気がします。
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眠る人様へ (全雄)
2010-09-12 07:44:06
お越し下さり、又コメントを残して下さってありがとうございます。

愛という言葉は仏教では、渇愛、愛欲というように、良い意味で使われることはありません。

人間のどうしようもない餓えた欲という意味で使われ、なくすべきものという意味で使われます。

慈愛というのは、新しく造語されたものではないでしょうか。少なくとも仏教要語ではないように思います。

友愛というのは、キリスト教の愛に近いものではないでしょうか。ただ、仏教の慈悲の慈は、インドの言葉では、メッタと言い、メッタとは、親友に対する感情を誰に対しても持つということなので、それを友愛という言葉で表現したものと受け取ってみることもできます。

今の日本は、戦後の占領下の教育方針のお陰で、本来日本人が持っていた礼節をすべて捨ててきたつけが回ってきたということではないでしょうか。

古き佳き日本の風習、伝統、人々の物の考え方へこれから修正していくのは誠に難しいことであると考えますが、努力する必要はあると思います。

宗教を排除した社会は人間社会とは言えないのではないでしょうか。今そうなりつつあることに、まずは多くの人たちが気づく必要があるのでしょう。



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