住職のひとりごと

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法話「仏さまとの出会い方」

2024年10月13日 19時37分32秒 | 仏教に関する様々なお話
令和6年10月13日 ふくやま美術館 法話「仏さまとの出会い方」




國分寺の横山でございます。さて、今日は三十三年ぶりの明王院様の本尊御開帳にあわせて開催されました特別展「ふくやまの仏さま」に際しましての記念法話ということです。この特別展のために長期に亘り準備を重ねてこられた関係各位に敬意を表し御慰労申し上げたいと思います。

ところで、この三月に、私ども國分寺でも三十年ぶりに本尊様のご開帳をいたしております。福山コンベンションセンターの皆様のおかげで、新聞ラジオなど多くのメディアにて告知いただき、遠方からも沢山の皆様がお参りにお越し下さいました。遠くは名古屋、大阪、呉、広島などからもお越し下さり、改めて仏さまの人を引きつける力を再認識させられました。

そして、今日は、「仏さまとの出会い方」というお題を頂いております。結論を先に申し上げますと、特別な出会い方があるわけでもなく、皆様がそれぞれの思いで出会っていただければよいのではないかと思っております。ですが、今申したように、仏さまという存在には人々の心を引きつける力があります。それはどういうものなのかとたずねてまいりますと、出会い方ということも見えてくるのではないかと思います。

そこで、お尋ねいたしたいと思うのですが、皆様は、これまで、仏さまとどのような出会いをされてこられたでしょうか。子供の頃、お祖母さんのあとをついて仏壇の前に座り、何かよくわからなかったけれども仏さまと出会っていたという方もあるかもしれません。

実は、私の生まれた家には仏壇もなく、仏教などとは縁もゆかりもなく、勿論親戚にお寺さんがあるということもありませんでした。ですが、まったく仏教と縁の無かった私が、僧侶となり、その後沢山の仏さまと出会うことで、今こうして國分寺に住まわせていただいております。

そこで、まずは、私にとりましての仏さまとの出会いについて語らせていただき、それから仏さまについて、なぜ人々の心を引きつけるのかと考察を進めて参りたいと思います。

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私は東京の生まれでして、小さな家でしたので仏壇もなかったのです。ですが、小さな頃、浅草の浅草寺の境内を通って、父親の会社に連れられ行くときに、十八間四面の本堂前の大きな香炉の煙を身体に、行くたびに掛けられていたことを思い出します。

それから、やはり子供の頃、父方の祖母が、私の顔を見ると、おまえはお祖父さんの生まれ変わりだね、といつも言っておりました。何度も何度も言われたせいで、自然と人は生まれ変わるのだと頭に刷り込まれていたようです。地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天という六つの世界をグルグル生まれ変わるという輪廻転生という生命観を前提とする、仏教の第一関門がこのお祖母さんのお蔭ですんなりとクリアされていました。

また母親からは、小学生の頃ですが、周りの子たちに良くしてあげなさい、そうすれば回りまわって他の子からよくしてもらえるとか、汚い言葉を使ってはいけない、人を悪く言ってはいけないなどとよく言われました。それは、今思えば、仏教の縁起、因果応報という教えに繋がるものだったのかもしれません。

そして、中学の三年間、毎年のように、お祖母さん伯父さん同級生が亡くなるということがあり、それぞれお葬式に参加し、正確には高校一年の時にも中学の先生が亡くなり、やはり葬式に参列しております。

皆様も、大体10代20代で祖父母との別れを経験しているのではないかと思います。亡き人の菩提を願うとき、故人のことではなく、仏さまとの出会いもあるわけですが、その仏さまがその後の人生に、どのように関わってくるかということが大事なことではないかと思います。

私には、その後大学に入ってから、一冊の仏教書との出会いがありました。お釈迦様の仏教を専門とする増谷文雄先生と哲学者の梅原猛さんとの共著ですが、①『仏教の思想1-知恵と慈悲・ブッダ』角川書店という本です。

この本との出会いが運命的に私の人生を変えていくことになります。この本で学んだことは、お釈迦様は神でもスーパーマンでもなく、人としての最高の人格を得られた方であり、私たちの理想であり、目標であるということでした。そして、その内容は、明治時代にヨーロッパ経由の近代仏教学が伝来し、お釈迦様の実像を、漢訳ではないインドの原典から研究することによって明らかにしたものでした。このお釈迦様の原典による教えを初めから学ぶことが出来たことは私の仏教観に大きく影響を与えるものであったと思っています。

それ以来、毎日仏教書を読む日が続き、それから今日に至るまで、仏さまの教えを学ぶということが私の人生の中心を占めることになります。それは、教えの上から仏さまと出会うということだったのだと思います。

大学を卒業する頃には出家をしたかったのです。ですが、やっと二十六歳になり縁あって高野山で出家得度を受け、翌年高野山専修学院に入りました。一年間七十人程の得度したばかりの修行僧たちと寮生活をし、お経を習い百日間の修行をして、寺院に住職する資格の得られる学校でした。

宝寿院というお寺の中の学校でしたが、その本堂の②本尊様大日如来には、毎朝のお勤めでお経を唱えていました。が特に、二学期に百日の修行の最後七日間断食することにしたとき、七十人のうち三四名ですが、加行監督に何があっても自己責任とするという誓約書を書き、その後、私は一人本堂に入り、この本尊様に修行の無事成満を一心に祈願しました。

高野山の学院を卒業後、東京のお寺に役僧として勤め、その間に資金を作り、仏教はインドに行かねば解らないというような切迫した気持ちから、初めてインドに行きました。それが二十九歳の時です。この時は、コルカタ、ブッダガヤ、リシケシ、ダラムサーラ、デリーと旅をしました。

インドでは沢山の神様の御像を見て参りました。これは③ネパールのルンビニの摩耶夫人堂というお寺に祀られているご像ですが、ルンビニは誕生所ですから、お母さんと生まれたばかりのお釈迦様です。みんなこのような雑な作りの物が多いのですが、現地インドの人たちはそんな御像にも敬虔に手を合わせ御供えをしていきます。それはお姿がどうこうではなく、まずは来世のために徳を積むために神仏に対する思いや行為こそ尊いものなのだと信じているからだと思います。

それから、最初にインドに行った次の年から二年続けて四国の歩き遍路を三十日四十日を掛けて二度1400キロを歩きました。この間沢山の仏さまに出会いましたが、それらの中で一番印象が残るのは、④十二番焼山寺に向かう山道の中で出会った弘法大師の修行行脚姿の大師像です。もやのかかった山道を登り、急な石段を上がっていくと前に大きなお大師様が居られ、思わず手を合わせていました。

その後、またインドに行くチャンスがあり、二度目にインドに参りましたとき、インドのベンガル仏教会というコルカタに本部のある仏教教団に御縁が出来まして、そこで再出家してインド僧になりました。これは⑤ウパサンパダーという南方仏教の得度式の後の記念写真です。コルカタの街中を流れるフーグリー河上の船の中に結界を作り、十五六人のインド僧が参加する受具足戒式でした。

ベンガル仏教会について少し解説しますと、インドの仏教は十三世紀初頭に衰滅したとされています。その遙か前に八世紀頃からイスラム勢力がインドに侵入を繰り返すようになり、それを嫌った中インドのマガダ国の末裔とする仏教徒たちが東に避難を始めたとされ、たどり着いた先が今のバングラデシュのチッタゴンでした。隣国との様々な抗争に巻き込まれながら仏教徒として生きて、ムガール帝国の時代にはインド東部にまでその勢力が迫り、お寺はモスクにされお経も唱えられない時代が続き、仏教の伝統が失われた時期もありました。

その後十八世紀にベンガル地方は英国植民地となり、その軍隊に志願することで仏教徒は地位を回復し、十九世紀半ばビルマのサーラメーダ長老により受具足戒式が行われ仏教の伝統を復興しチッタゴンやダッカに仏教会を造り、カルカッタに移住していた仏教徒のためにクリパシャラン長老によりベンガル仏教会が創立されました。丁度その時代に、セイロン仏教徒であるダルマパーラがインドの仏跡地の復興に活躍するのもこの時代のことでした。

それから、インド僧として、バラナシの北10キロほどのサールナートという、お釈迦様が最初に説法を成功された、初転法輪の聖地の近郊にあるお寺、法輪精舎に一年あまり滞在しました。そこには⑥ダメークストゥーパという大きな仏塔や僧院跡のある遺跡公園があり、塔は高さ43メートル周囲は百メートルほどはあるでしょうか。

その法輪精舎から遺跡公園までの三キロほどの道は、⑦田園風景の中に道の両脇に大きな街路樹が植えられ、牛が行き交い横になり、そこに人々が生活していて、まさにお釈迦様が歩かれているお姿を彷彿とするような道でした。お釈迦様がその先を歩いていると、その姿を思い描きながらいつも歩いていました。

サールナートの考古学博物館には⑧サールナートブッダと言われる説法の印を結ぶお釈迦様の御像が安置されていて、とても有名なものです。五世紀頃の作品で、高さが155㎝巾が87㎝です。インドのものとしては珍しくすばらしい造形の仏様です。レプリカが、明治時代にダルマパーラにより造られる新しいお寺に祀られ、その堂内の壁画は野生司香雪画伯が釈迦の一生を描いたものとして知られています。

そして、これは⑨釈迦四相図です。誕生と成道と初転法輪と涅槃の姿を表しています。これは正にお釈迦様の一生を塔に見立てたものです。

それから、インドの師匠が居られ、私も併せて一年程度暮らしていたベンガル仏教会のコルカタ本部の仏様についてご覧頂きますと、この⑩大きな真鍮のお釈迦様は一階の礼拝所の仏様です。これはミャンマーの仏像で、教団の歴史を感じさせる仏像です。毎朝のお勤めのときに拝んでいました。こちらは⑪二階の本堂の本尊様です。どちらの仏像も、右手が膝を覆い指先が地に触れ、修行の真実なることを大地に証明してもらったことを示した触地印のお釈迦様・成道仏です。そしてこちらは⑫創立者クリパシャラン大長老の石像です。

インドではこのような仏様方を礼拝し暮らしていました。この間、日本に帰りますと、スリランカの長老に御縁があり、親しく仏教の基本や今ではマインドフルネスと言われる瞑想について、トータルにしますとかなりの時間になりますが、学ばせていただきました。そうしてこの袈裟をまとって、インド僧として都合三年半ほど、インドと日本を往来していたのですが、コルカタでマラリアに二年続けて感染してしまい、健康の不安もあり、日本の僧に復帰することにして帰国しました。

それから、東京深川の七福神の札所でもあった冬木弁天堂の堂守を三年ほどしています。出世弁天とでもいうのでしょうか、戦前は日本三弁天の一つ江ノ島の弁天様と同体の弁天像が祀られていたという御堂で拝んでおりましたら、こちらの國分寺に御縁をいただき、福山に参りました。國分寺では⑬御本尊・藥師如来に毎朝仏飯御茶湯お経を御供えしています。

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ご覧頂いた仏さまについて、少し整理してみますと、まず、形のある仏さまと教えなど形のない仏さまがあり、形のある仏さまでも、ご像としてあるものと心の中でイメージする仏さまもあるということです。

ご像としてご覧いただいたのは、大日如来様、弘法大師像、インドの様々なお釈迦様のご像、藥師如来様と見ていただきましたが、他にも、たとえば観音様、お地蔵様、阿弥陀様と、沢山の仏さまがおられるわけですが、そのすべての始まりはと考えますと、お釈迦様ということになります。お釈迦様の悟りがなければ仏教もなかったわけです。そこで、なぜ仏さまは人の心を引きつけるのかと考察するにあたり、まず、すべての仏さまの大本であるお釈迦様とは、そもそもどのようなお方であったのかと、歴史を簡単に振り返ってみたいと思います。

主に、ご誕生とお悟りになる晩の思索、それに説法されるいきさつの三つについて見てまいります。

お釈迦様は、二千六百年ほど前の人です。日本の歴史では縄文時代の最晩期となります。西暦では紀元前六世紀半ばに、現在のネパール領ルンビニで釈迦族の王子として、お釈迦様はご誕生になります。過去世で何回も生まれ変わる中で徳を積み、前世で十波羅蜜(布施持戒出離智慧精進忍辱真諦決意慈心捨)という修行を完璧に成し遂げられ、その功徳により、悟りを開くためにインドの地にお生まれになられたと考えられています。

生まれたとき、すぐに立ち上がり七歩歩いて天上天下唯我独尊、我は世界の最年長者であり、これは最後の生まれである、と言われたとされています。七歩というのは六道の輪廻の世界から一歩踏み出すと言うことです。生まれたばかりなのに最年長者であるというのは、未だ悟った人のいない時代に、最初に輪廻からの解脱を果たすので自分は生まれ変わることがないけれども、他の人は皆生まれ変わるのであるから、誰よりも年長なのであるという意味の言葉として伝えられています。

お釈迦様は、王子として跡取りが生まれるのを確認して、二十九歳でお城を出て出家しています。ルンビニ近くのカピラ城からガンジス河中流域のマガダ国の都ラージャガハへ出て、二人の仙人について瞑想を習い、その後、呼吸を止めたり断食したりと六年間の苦行の後、尼連禅河で沐浴し、スジャータ村の娘から乳粥を供養され体力を回復されます。そして、現在のビハール州ブッダガヤで禅定に入り、お釈迦様は最高の悟りを得られ、成道を成し遂げられたとされています。三十五歳でした。

この、お悟りになる晩どういう思索をなされたのか、これはとても大事なことであると思えますが、なぜか日本ではあまり取り上げられることがありません。まず深い禅定に入り、最初に思念されたのは、自らの過去世でした。何万回ともいわれる過去世での名前家族食べ物善かったこと苦しかったことを回想していかれたのだそうです。つぎに、他の人々がどのように死に代わり生まれ代わるのかとその様子を見て、それは業によって、つまりその人の行いによって、しかるべき生まれとなることを見ていかれました。そして最後に、苦について煩悩について思索し、煩悩がどのように生まれ、どうしたら消えていくのか、その全容を解明されると、智慧を生じ、煩悩がなくなり、解脱を果たされたということです。

この誕生と悟りに至る伝承は、私たちに何を教えてくれているのかというと、誰もが過去の行いにより、今ある自分に生まれるべくして生まれ、あるべくして今があり、未来を導くものとして今をいかに生きるべきかということが大切であるということだと思います。そして、この三世にわたる善悪の因果応報なる理を知り、善い行いを重ねて生きよと教えられていると受け取ることが出来るのではないかと思います。

お釈迦様は悟られた後、この深遠な真理は普通の生活を送る人々には悟ることが難しいと考えられ、説法することを躊躇されています。ですが、そこに、インドの最高神梵天が現れて、法を説かなければ、この世は闇に覆われてしまいます、貴方の教えを聞けば教えを理解し悟れる人も居りますからと説法を乞われます。三度逡巡された後、天眼通で世の中を見回すと、欲深い人ばかりではなく、皆様のように仏さまの話を聞いてみようという人が沢山居られることを知り、世の中の人々の幸せのために法を説くことを決意されるわけです。

ここでは、他者の申し出を受け入れ共存するという平和な関係を保ちつつ、その法は、この世界の人々に光をもたらし、誰もが明るく幸せになれる方法を教えて下さっているものだということが解ります。そしてこのことに表れているように、仏教の教えは寛容で、差別なく、誰をも受け入れ、包容力ある教えであり、すべての生命の幸せを願う教えとなるわけです。

その後、先ほど申し上げたサールナートで、最初の説法をなされて仏教の教えが始まります。そして、四十五年間お釈迦様は弟子や出家者、一般の在家信者にも法を説かれたと言われます。そして、沙羅双樹に囲まれたクシナガラの森の中で八十年の生涯を閉じられています。最後の言葉は「すべてのことは過ぎ去っていく、疾くつとめよ」と、この世の無常なるがゆえに修行にしっかり励みなさいと言い残されています。

ところで、お釈迦様の生きている時代は勿論ですが、歿後三百年ほどは仏像はありませんでした。釈迦の一生を仏塔の欄干などに掘る様なときには、菩提樹や法輪を描き、お釈迦様を表現していました。有り難すぎてお姿はとても作ることが出来なかったのです。

その後、西暦紀元前二世紀頃より、西域からペルシャ人、ギリシャ人、クシャーン族、フン族など異民族がインド北西部に侵入し、ガンダーラ地方などに新しい国を作ります。その影響で、多民族を統治するイデオロギーとして、「空」というスローガンのもと、自らを絶対視せず、互いに他者を尊重する、差別のない普遍的な思想として大乗仏教が展開し、大量の経典を作り、沢山の仏さまを誕生させていきます。

実際に実在する仏さまはお釈迦様だけですから、お釈迦様の悟りの智慧を分け与えられて、様々な物語が創作され、沢山の仏さまが作られていきます。そして、西域の文化の影響により仏像も制作されるということになります。

その膨大なお経と仏像が、中央アジアを経由してシルクロードを通って中国、朝鮮、そして日本にやってきます。西暦538年、欽明天皇の時代に、百済の聖明王が仏教を伝えたとされ、仏教公伝と言われます。初めは朝鮮、中国の仏師の指導により造られた仏像も、次第に日本独自の技が究められて、今日に至っています。

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では、その形ある仏さま、つまり仏像とは何かということについて考えてみたいと思います。

実はインド僧の時に、私のインドの師で、教団の総長をされていたダルマパル大長老に、どうして仏像があるのかと尋ねたことがあります。一言、仏像があったからこそ仏教が世界に広まったのだよと言われました。仏像のお蔭で信仰の対象があるという事は多くの人が信仰に入りやすいということだと思います。

ですが、仏像は、単なる信仰の対象ではないと私は思っています。たとえば、多くの人々の信仰をあつめる観音様は、衆生の悩み苦しみの心の声を聞き、その人の居る場所に現れてお救い下さるという慈悲の仏さまですから、そのご像は、とてもやさしげで清らかな存在として多くの人があこがれを持つわけです。

ですが、正式なお名前を観世音菩薩というように、大乗の菩薩として、自ら悟りに至る前に、人々に慈悲をもって仏の道に導き、彼岸に渡ってもらうという役割があります。これを「自れ未だ度ることを得ざるに先づ他を度す」と言います。

彼岸とは悟りの世界の比喩的な表現であり、私たちの居る此岸から彼岸にある悟りの世界に誘い、最終的にはお釈迦様同様のお悟りを開いてもらいたいというのが、菩薩の願いです。ですが、それは、菩薩だけの話ではなく、如来も同様で、そのために法を説かれています。

このように、大乗仏教の教えにより、沢山おられる仏菩薩明王などの仏さま方は、それぞれに役割や持ち味に違いはありますが、根本の部分では、お釈迦様がお悟りになられた事蹟を踏襲され、信仰する人々に、どんなに時間がかかったとしても、お釈迦様のように最高に安らいだ心、悟りの心にいたってもらうのだという願いをもって派遣されている存在であると言えます。

そのため、仏教は信仰だけでは亡く実践を大切にするわけです。ですから、皆様の中には、仏さまを信仰されて、誰に言われるまでもなく、お寺などに行かれて、礼拝し、お経を習い、唱え、意味まで知ろうとする方が居られます。写経や坐禅といったものを熱心にされている方もあります。

が、それはどういうことかと言えば、ただ手を合わせ懺悔し願うというのではなく、実践ということを誰に言われずともなされているということです。それは、少しでも功徳を積み、自らもよくありますように、願いが叶いますようにというお気持ちもあるかもしれませんが、それは確実に仏さまの所に近づいていく功徳ある実践であり、仏さま方の願いに叶うものであると言えます。そうあってこそ、また、願いもお聞き届け下さるのではないかと思います。そして、その時、仏さまは、皆様にとっての導き手としてあり、生きる手本として存在しているのではないかと思うのです。

ですから、仏さまの座り方や身体の安定、表情や安らいだ顔を見たとき、心が改まり、手を合わせると同事に、ご自分もそのようにありたい、そういう心境になりたいという思いも生じているのではないでしょうか。そしてさらには、そのお姿や表情のように、自分も身を整えてみる、心静かに何も考えない時間を楽しんでみる、そうした修養のために手本となるのが形ある仏さま、仏像ではないかと思います。

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それでは、最後に、もう少し本質的な話になりますが、そもそも仏さまとは本来何かということについて考えてみたいと思います。

皆さん、「山川草木悉皆成仏」、または「草木国土悉皆成仏」とも言うようですが、このような言葉を聞いたことがありますか。山も川も草木も、つまり森羅万象みな悉く成仏している、みんな仏なんだという意味の言葉です。これは中国の仏教で言われるようになり、日本でもこの言葉を受け入れるようになったとされ、環境問題の会議で突然登場することもあるのだとか。

どうしてこんな事が言えるのか、私には長いこと理解できなかったのですが、あるとき閃きまして、仏とは法を説く者だとしたらどうかと思ったのです。自然界のものたち、たとえば、川のせせらぎや風の音、木の葉が落ちたり、海の波も、それらはすべて自然の摂理のそのままにあり、そうありながら、何事かを私たちに語りかけてくれています。自然界の法則、真理というものを見せてくれています。

それを見たり聞いたりした人はそこに自然の摂理や真理を見て何事かを悟ることができるのではないか。それは無常であったり、無我など、そのものの移り変わっていく姿を悟らせてくれるものだと言えます。そう考えますと、自然界のすべてのもの、森羅万象は真理を見せ語りかけ悟らしめてくれる存在であり、つまり仏であると言いうるのではないかと思ったのでした。

そして、真理のままにある自然が仏なのですから、本来、仏さまとは、真理である法を説くと同事に真理そのものを顕しているということになろうかと思います。

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以上、ここまで、なぜ仏さまは人々の心を引きつけるのかと考察を進めてまいりました。

すべての仏さまの大本であるお釈迦様の足跡をたどり、仏像とは何か、また仏さまとは本来何かとたずねてまいりました。仏さまとは、私たちがいかに生きるべきかを示して下さり、他者と共存する平和な教えを説く者であり、信仰し実践する人の手本でもあり、真理を顕していると見てまいりました。ですが、本当は、そういう有り難い存在であると、漠然とかもしれませんが、皆様、わかっているからこそ、そのお姿、表情に強く引きつけられるのではないでしょうか。

冒頭に申し上げたとおり、仏さまとこう出会わなければいけないなどということはありません。皆様がそれぞれに望まれるように出会われたらよいのだと思います。ですが、その出会い方によって、仏さまに何を求めておられるのか、皆様にとってどんな意味があるのか、価値があるのか、皆様の人生にとって仏さまはどういう意味あるものなのか、がわかるのだと思います。

繰り返しになりますが、仏さまは、この世の真理とともにあり、私たちを幸せな、平和な、安らかな世界に導いて下さる有り難い存在であるからこそ、そのお姿に底知れぬ魅力を感じさせてくれるのではないでしょうか。

仏さまを見上げるとき、またその横顔に、心安らぎ、幸せな気持ちになれる。その安らぎをどんなときにも感じていられるようにするにはどうしたらよいのか。いつも仏さまのような安らいだ顔で、落ち着いた心でいられたらどんなに良いことかと。

もしもそんな風に思い感じられるなら、既にすばらしい仏さまとの出会いを果たされているのではないかと思います。

仏さまはとても楽なお姿で安らいだお顔をされています。怖い顔をされている仏さまも居られますが心の中は慈しみに満ちておいでです。私たちもそうなれますように皆様を導いて下さる有り難い仏さまと、是非出会っていただきますことをお願い申し上げまして、本日の記念法話とさせていただきます。

ご静聴、誠にありがとう御座いました。


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