野球少年は夢を見る…

Hanshin Tigers Series 2024

「巨人軍論」を読む(其の伍)

2007-01-05 20:58:43 | Stove League
 ヤクルトスワローズのあるコーチが著者に向かって、「阪神とやるときにはやりにくい」「今の阪神の野球は、随所に野村さんの影響を感じられる」と言う。<ID野球>をスワローズで芽吹かせ、その後のタイガースでは結果的にはいい成績を収められなかったが、確実に<ID野球>はタイガースに根付き、スワローズと対等。スワローズに≪脅威≫を与えるチームになっている。
 タイガースが弱い時代には、どうしてもスワローズに勝てなくて、悉く<ID野球>の前に屈してきたのだが、著者のダブル存在が、セントラル・リーグの勢力図を一気に変えた。これは凄いこと、だ。

 しかし、そんな<ID野球>も昔の≪巨人野球≫がお手本。その「老舗」読売ジャイアンツが、現代の「情報戦」で悉く遅れをとっているが為に、伝統は失われた、と言われるのだろう。昔は常に野球をリードしてきたのは、ジャイアンツだった。それを壊したのは、著者。
 読売巨人軍は2005年のオフ、星野仙一SD(阪神タイガース)に監督要請をしたが、あれは間違いだったのかもしれない。本筋から行けば、(東北)楽天(ゴールデン)イーグルスに先駆けて、著者にこそオファーを出すべきだったのでは? しかし著者はそれを受けないだろうし、オファーも出ないだろうが……稀代の破壊者にして創造者はここに、いる。

日本ハムが阪神・吉野獲得へ (デイリースポーツ)

「巨人軍論」を読む(其の四)

2007-01-04 20:27:06 | Stove League
 野球のオーダー(打順)というのは、≪川上巨人≫の時代に初めて作られたらしい。それまでは、3番、4番以外はただ適当に並べていただけ、というのだから、まさに「野球」。現在のモデルケースを作ったのが、≪川上巨人≫だった。
 1番に俊足のスイッチヒッター(柴田勲)を置き、2番に小技の利くバントの巧い、右打ちが巧いエンドランもこなせるバッター(土井正三)。ONを挟んで、5番に勝負強いバッター(高倉照幸や末次利光)を置いた。
 明確な意図と目的を持って、不動のオーダーを作り上げたのだが、それに反逆したのが、≪長嶋巨人≫だったか? 4番バッターばかりを並べ、「適材適所」の逆を征った。稀代の破壊者だったか、あの人は……

 キャッチャーも昔は、身体の頑丈そうな選手が守るポジション。少年野球や学校の体育の時間と同じ基準で選ばれていたが、しかしその固定観念を覆したのも、巨人軍。これは水原茂監督時代だった。そこで見い出されたのが、著者のライヴァルであり、親友の昌彦(現・祇晶)氏だった。
 その後の日本球界で何故か、キャッチャーが背番号「27」を着けたがるのかは、この森氏の背番号だったから、と断言できる。それ以外に考えられない。著者(野村克也監督)の背番号「19」は特異すぎて、誰も着けたがらないが。

野原本格始動!1軍で“大噴火”や (デイリースポーツ)

「巨人軍論」を読む(其の参)

2007-01-03 11:34:35 | Stove League
巨人はパイオニアである」と第3章。何故か? いち早くメジャーリーグの<ドジャースの戦法>を採り入れ、日本プロ野球の近代化の先鞭をつけた、からである。それまでは、ブロックサインも(さまざまな)トリックプレーやサインプレーや、あるいは先発投手のローテーションの確立やワンポイントリリーフ、守備固め等も無かった。日本プロ野球の原初は、字そのものの「野球」だった。そこに「ベースボール」の血を入れていったのが、読売巨人軍だった。故にパイオニアであり、強かった。

 故・水原茂監督がメジャーリーグのスタイルや戦術を日本に紹介し、その後の川上哲治監督が<ドジャース戦法>を実践していった、という。日本初のスイッチヒッター(柴田勲)を誕生させ、1965年に宮田征典投手をリリーフの切り札として起用したのも、川上元監督だった。
 <ドジャースの戦法>=システマティック(組織的)な野球を確立していった。「管理野球」とも呼ばれたが、その「組織」や「管理」に反撥して、奔放な野球を展開しようとしたのが、長嶋茂雄その人だったか……故に長嶋氏は川上氏から疎まれたのだが……最近の巨人軍の低迷の元凶は、実は国民的人気者のその人だったのか? ならば、原辰徳監督が掲げた<スモール・ベースボール>は先祖返りの妙手だったのかもしれない。

岡田監督 今季はとにかく「勝つ」 (デイリースポーツ)

「巨人軍論」を読む(其の弐)

2007-01-02 10:47:51 | Stove League
 第2章は「巨人への対抗心とID野球」。『野村ID野球』の原点は、ドン・ブラッシングゲーム=ドン・ブレイザー氏との出逢い、である。「妻が英語が出来るので」ブレイザー氏と親交を深めることが出来た。沙知代夫人はこの一事だけでも、著者に物凄い貢献をしたことになる。巨人軍が他に先駆けて、<ドジャース戦法>を取り入れて、他球団の追随を許さなかった頃、当時の南海ホークスでは「気合で打て!」の精神野球がまかり通っていた。そんな野球に疑問を持っていた著者は、元メジャーリーガー・ブレイザー氏に「考える野球」を学ぶ。

 後に阪神タイガースの監督(1979~1980年)を務め、現監督・岡田彰布の起用を巡ってフロントと(あるいはマスコミと)激しく対立して、日本における晩年は不遇だった。タイガースファンの印象も(マスコミに煽られて)良くなかった。そのブレイザー氏も一昨年(4月13日)に73歳で亡くなられたが、そのことについての言及がないのが謎、だ。古田敦也(東京ヤクルト・スワローズ)兼任監督に年賀状の1枚も寄越さない、と苦言を呈する著者にしては……と思うが。著者にとっての恩人であろうに。

今岡がリングサイドから熱視線 (デイリースポーツ)

「巨人軍論」を読む(其の壱)

2007-01-01 13:16:42 | Stove League
 まえがきは、1997(平成9)年4月4日から始まる。そう、あの小早川毅彦(現・広島東洋カープ打撃コーチ)の3連発(3打席連続ホームラン)の開幕戦、だ。あの試合には「広島を追われた小早川の意地と反撥」だけではなく、やはり「ID野球」の裏づけ(周到な準備)があった、と著者は説く。導入部はそれ。著者の(意図する)「理詰めの野球」が、「天性」だけで闘おうとした「巨人野球」を倒した日。しかし、そもそも「ID野球」とは、「巨人軍から学んだ思想」である、と宣言している。この書は、ここから始まる。

 第1章は「巨人軍はなぜ凋落したか」。過去の巨人軍の見直し作業が行われるが、ここで興味深かったのは、松井秀喜(現ニューヨーク・ヤンキース)のこと。ヤクルトスワローズの監督当時、お得意のIDを駆使して、巨人軍の「4番」松井を封じたことが、スワローズの優勝に直結したことを示唆する。松井の苦手のコースは外角(アウトコース)低目。このデータを基本軸に松井攻略法をバッテリーに叩き込んだ、らしい。
 そうすると現在、松井がMLB(メジャーリーグ)へ行って、意外に苦戦しているのは、外角(アウトサイド)をワイドに採る、MLBのストライクゾーン故に苦しんでいるのか、と納得する。MLBは無意識のうちに「野村ID野球」を実践していたのか!?

清原VS下柳!? セコンド対決も明暗 (デイリースポーツ)

「野村ノート」を読む(其の九)

2006-12-31 12:28:02 | Stove League
 第9章は無い。最後は「終章」。昨今の野球界の空前の危機を憂い、巨人中心主義の弊害を指摘する。さらに来年からは著者が疑問を呈するパシフィック・リーグのプレイオフ制度が、セントラル・リーグにも導入される。こんな小手先の改革! 日本シリーズが勝率3位以下同士の対戦もありうる。そんなプロ野球をファンは支持するのだろうか? 日本シリーズの歴史の重みを無意味にする、この愚策を著者は強く批判する。

 野球は「間のスポーツ」であると著者は定義する。しかし、この“野球の妙”が最近になって失われたことが、衰退に繋がっている、と著者は見ている。その現場に戻ってきた著者。野球の復権の為に、70歳を過ぎて、最後のご奉公に向かったのだろう。野球の復権、といっても、野球の世界大会(『WBC』)で日本代表は優勝するくらいだから、日本野球の強さは「実証」済み。ならば、何が? 答えは明白だが、誰もその虚妄に挑もうとしない。著者=野村克也氏、次の著作は『巨人軍論』だ。

虎の新助っ投候補は現役大リーガー (デイリースポーツ)

「野村ノート」を読む(其の八)

2006-12-30 12:47:01 | Stove League
 第8章は「人間学のない者に指導者の資格なし」。誰のことかと思ったら、江本孟紀、江夏豊、門田博光、この3氏の名前が挙げられていた。現役時代、一匹狼で通した3氏。現役を引退したら、指導者として声が掛かることは「絶対」にない3人だ。江本氏や江夏氏は兎も角(!)門田氏はTV(ABC)の解説を聴いていると、語り口もソフトだし、技術論も的確だから、指導者に向いていそうに見えるが、そうではないらしい。

 それにしても、江本、江夏の両氏を指導した著者。江本氏は(当時)東映フライヤーズの敗戦投手に過ぎなかったが、著者がその素質を見抜き、トレードで獲得し、南海ホークスのエースに仕立て上げた。江本氏は今でも著者を「恩人」と慕っているようだ。江本氏はそういう理想の指導者像を見ていたが為に、阪神タイガース移籍後にああいう首脳陣批判の問題を起こして、引退してしまったのだろう。

 江夏氏には有名な「革命を起こせ」の言葉で、渋る江夏氏をストッパーに転向させ、見事に成功した。血行障害で50球程度全力投球したら、子供並みの握力になってしまう江夏氏。それでもプライドで「先発完投」に拘った江夏氏を説き伏せた著者。江夏氏にとっても「恩人」なのだろう。その後の西武ライオンズで広岡達朗(当時)監督と衝突したとき、彼が見ていたのも著者の幻影だったのだろう。

岡田監督明言「“バッター中田”獲る」 (デイリースポーツ)

「野村ノート」を読む(其の七)

2006-12-29 11:27:00 | Stove League
 第7章は「指揮官の重要な仕事は人づくりである」。その冒頭で、阪神タイガースの井川慶(ニューヨーク・ヤンキース)の名が出る。だいだい、どういう内容かは察することができるだろう。幾ら良い球を投げても、人間形成がされておらず、社会通念が無ければ、組織はリーダー、つまり「エース」として認めてくれない。井川には耳の痛い話だ。
 来シーズンからは「エース」の立場から開放され、ヤンキースの先発(スターター)の4~5番手の扱いになるが、しかしニューヨークのプレッシャーを考えると、タイガースのエース時代と同じプレッシャーと責任感が圧し掛かってくるだろう。それに耐えられるか? それを跳ね返すことが出来るか? 著者(かつての師)は危惧していることだろう。

 それにしても、34歳で(当時)南海ホークスのプレーイング・マネージャー(選手兼任監督)になった著者。古田敦也(東京ヤクルトスワローズ)監督が40歳でなったのに較べると、それが如何に≪凄いこと≫だったかが分かる。
 この両者、今シーズンは交流戦で顔を合わせたが、そのとき、古田監督はどういう心境でかつての師に向き合っただろう? 春のオープン戦では対面した。そのときとは比べものにならない感慨が、彼の心底には横たわっていたことだろう。そして、その彼の苦労を察してやれるのも、著者を置いて他にいない。

1億5000万いらん!金本“男気更改” (デイリースポーツ)

「野村ノート」を読む(其の六)

2006-12-27 12:05:51 | Stove League
 第6章は「組織はリーダーの力量以上には伸びない」。阪神タイガース監督時代に当時の久万俊二郎オーナーに直訴したエピソードが綴られている。著者の粘り強い説得で頑迷なオーナーも考え方を変え、タイガースは再建への一歩を記すことになる。球団内部は変わった。
 しかし電鉄本社の頑迷固陋さは変わらない、のかもしれない。「あの」『村上ファンド』に付け込む隙を与えてしまった。電鉄本社にも、著者や星野仙一SD(シニアディレクター)が必要だったのかもしれない。

 章の後半では“F1セヴン”(!)の赤星憲広、藤本敦士を発掘し、遠山奨志(現ファーム投手コーチ)を≪再生≫させた功績(自慢)話が続く。それは間違いなく功績、だと思う。「強い」タイガースの下地、基礎は著者の手によって築かれた。ならば、東北楽天ゴールデンイーグルスでも可能だろうか? 70歳を過ぎた御年寄りには余りにも酷な仕事に思えるが……

関本 5000万円で笑顔のサイン (デイリースポーツ)

「野村ノート」を読む(其の伍)

2006-12-24 00:44:00 | Stove League
 第5章は「中心なき組織は機能しない」。野球でいう「中心」とは言うまでもなく「エース」と「4番」である。上原浩治(読売ジャイアンツ)や松坂大輔(西武ライオンズ)、松中信彦(福岡ソフトバンクホークス)等、今春の『WBC』(ワールド・ベースボール・クラシック)で活躍した主力選手の名前が挙がり、その上原との比較対照で、往年の元近鉄バファローズの大エース“草魂”の300勝投手の名前も挙がる。彼が何故、監督として成功しなかったのか? 著者の「説」には納得させられる。

 そして、かつての教え子である石井一久(ヤクルトスワローズ)へのお小言も忘れない。彼の指導に失敗した、と反省し、“鉄”は熱いうちに打っておくべきだった、と後悔する。そうすれば、MLB(メジャーリーグ)へ行っても成功していたかもしれない。石井は“鉄”であり、≪熱い≫存在だったが、今や凡庸な変化球投手に墜してしまった。それは野球界にとっての「損失」。著者にとっては痛恨事、だろう。

宣戦布告や!球児“4番狩り"宣言 (デイリースポーツ)